コントラバスの上達の具合に関しては、私が小学校3年の時からピアノをやっていて、小学校の時から楽譜を読める状態であったので、楽譜を読めない初心者と比べて上達が早かった。でも、苦労したのは、メトロノームに合わせてタイミング良く弾くことだった。
私が大学2年の前半からコントラバスのパートリーダーになると、あらゆる場所の演奏会に参加することに憧れるようになった。小学校や幼稚園の訪問演奏会、沖縄交響楽団の賛助、ガーデンフィールズオーケストラ、佐敷町文化センターシュガーホールの落成演奏などの色々な音楽会(演奏会)に参加した。パートリーダーは、大学3年の時に引退した。パートリーダーは1年間務めた。1994年の11月には、沖縄交響楽団主催の「第9演奏会」に参加した。
大学4年まではコントラバスを続けていたが、大学院に入ったら研究などで忙しく、大学院時代からコントラバスを弾くことを休止していた。1998年3月に大学院を修了した後は、ソフトウェア開発関係の会社に入るが、入社して10ヶ月まではコントラバスの演奏活動は休止していた。1999年2月からはコントラバスの演奏活動を再開するため、沖縄交響楽団に入団した。2年10ヶ月間演奏は休止したとはいえ、コントラバスを弾く能力は、少ししか衰えていなかった。