コントラバスを弾くことへの憧れ

私がコントラバスを始めたのは、大学1年(当時は1992年である)の始めからである。オーケストラでコントラバスをやりたいというきっかけは、管楽器より弦楽器を弾くことに憧れ、コントラバスが他の弦楽器に比べて速い動きが少ないからである。理由は他にもある。自分は大きな楽器を弾くことに興味を持っていることもその一つである。また、琉球大学フィルハーモニー管弦楽団に入団して約1,2週間後、すべての弦楽器を弾くことを試した結果、私にとってヴァイオリンはすべての弦楽器の中で最もやりにくく、弾く姿勢もとりにくかった。ヴィオラとチェロは、姿勢のとりやすさは悪くはなかった。でも、憧れの的としてコントラバスを弾くことを決めた。

コントラバスの上達の具合に関しては、私が小学校3年の時からピアノをやっていて、小学校の時から楽譜を読める状態であったので、楽譜を読めない初心者と比べて上達が早かった。でも、苦労したのは、メトロノームに合わせてタイミング良く弾くことだった。

私が大学2年の前半からコントラバスのパートリーダーになると、あらゆる場所の演奏会に参加することに憧れるようになった。小学校や幼稚園の訪問演奏会、沖縄交響楽団の賛助、ガーデンフィールズオーケストラ、佐敷町文化センターシュガーホールの落成演奏などの色々な音楽会(演奏会)に参加した。パートリーダーは、大学3年の時に引退した。パートリーダーは1年間務めた。1994年の11月には、沖縄交響楽団主催の「第9演奏会」に参加した。

大学4年まではコントラバスを続けていたが、大学院に入ったら研究などで忙しく、大学院時代からコントラバスを弾くことを休止していた。1998年3月に大学院を修了した後は、ソフトウェア開発関係の会社に入るが、入社して10ヶ月まではコントラバスの演奏活動は休止していた。1999年2月からはコントラバスの演奏活動を再開するため、沖縄交響楽団に入団した。2年10ヶ月間演奏は休止したとはいえ、コントラバスを弾く能力は、少ししか衰えていなかった。


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