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映画雑文
海の上のピアニスト
THE LEGEND OF 1900
1999 伊=米 監督・脚本■ジュゼッペ・トルナトーレ
製作■フランチェスコ・トルナトーレ
原作■アレッサンドロ・バリッコ
撮影■ラホス・コルタイ
音楽■エンニオ・モリコーネ
出演■ティム・ロス/プルイット・テイラー・ヴィンス/メラニー・ティエリー/クラレンス・ウィリアムズ三世/ビル・ナン/ピーター・ヴォーガン/イーストン・ゲイジ/コリー・バック


http://www.iijnet.or.jp/ASMIK/M/Ace/1999/Pianist/index.html


 船で生まれ、一生その船から降りることのなかった伝説のピアニストの話。荒れ狂う海の中で、ピアノを固定しているストッパーを外し、まるでピアノとダンスでもするようにピアノを弾くらしい…。

知っていた情報はこのくらいで、それを聞くとどうしてもその場面を見たくて仕方ありません。

実際目にして、それは、“ピアノを聴く映画”。音楽がストーリーを奏で、映像が音楽を描写する…。
期待通りの印象でした。

 「ピアノ・レッスン」(1993、監督:ジェーン・カンピオン、出演:ホリー・ハンター)で、主人公の聾唖の女性が海岸の砂浜の上に無雑作に置かれたピアノを弾く場面があります。
 もち論、そんな場所にピアノを放置するなんて常識では考えられないし、本来なら、決して穏やかではないその海の波の音にピアノの音はかき消されてしまうのでしょうが、耳の聞こえない彼女にとっては、静寂の中で自分の指先が奏でる鍵盤の震えだけを全身で受けとめるかのように夢中でピアノを弾く、…。
 このシーンのためにカンピオン監督はこの映画を撮ったのではないかと思うくらい、とても印象的で美しい場面です。

 もしかして、また、そんな素敵な場面に出会えるかもしれない。
 ピアノが好きで、ピアノの音色にまるっきり弱いとしては、“ピアノが登場する!”というただそれだけでも期待するに十分な作品でした。

 好みが分かれるところですが、この作品は映像で音楽を表現していると思います。

 主人公のピアニストは船から一度も降りたことはないのだけれど、ピアノを弾きながら世界中の色々な場所を旅しているのだと言い、即興でその想像の旅を奏でていきます。
 また、その豊かな想像力で船の一等船室に乗り込んでいるお客達の素性をおもしろ可笑しくピアノで効果音をつけて表現したりするのです。
 例えば、若い愛人を連れている有閑マダムの効果音、そろそろ足を洗おうかと考えている物憂げな売春婦の効果音、女の子をナンパしようと借り物のタキシードを着てラウンジにもぐり込んだ落ち着きのない貧しい青年の効果音、という具合に。
 これが実にピッタリで、観客の笑いをそそります。

 目に映ったもの、心に浮かんだことを音楽という手段で自己表現していったのがピアニストの彼ならば、トルナトーレ監督はその逆に、音楽からイメージした情景を映像で表現したかったのではないでしょうか。

 ストーリーというかテーマは原作から、しかし確かにあれは映像で音楽を表現していると思いました。
 音楽はもはやストーリーを引き立てるBGMではなく、曲そのものがストーリーを語っているようで、“名曲アルバム・スペシャル映像版”という感じ…。(解っていただけるかしら?)

 さらに監督はその“手もと”を丁寧に見せてくれました。
 ピアノの演奏会へ出掛けて何を一番期待するかというと、私は音より、実際に演奏しているその“手もと”です。
 極端に言うと、演奏そのものはもっとイイ音をCDで聞けるから、あの楽譜からどんな風に音が出てくるのか、その弾いている演奏者の手を見たい、と。
 クラシック、ジャズに限らずそう思います。

 娘がまだ小さいため、夜に催されることが多いコンサート・演奏会等へは気軽に行けそうもないので、この映画は“ピアノを聴く映画”としてとても楽しめました。
 映像を通しているのに、ライヴの臨場感も味わえ(とくにピアノ対決の場面など)、それを期待していた私としては、あれだけ存分にピアノを弾いてくれたので満足…。
 一緒に膝の上で指を動かしてみたり、早弾きのところの手がいっぱい出てくる映像は、うん、分かる、分かるって思ったり…。
 役者が演じるピアニストにも違和感がなくて安心しました。
 当然、実際ピアノを弾いているわけではないのですから、この“フリ”が上手くないと興ざめてしまうんです。

 映画の感動作を観るというよりは、ピアノ・リサイタルの気分になっていました。


 物語は、ピアニストの友人であるトランペッターの男が語り部となって、彼の回想と現実が交差しながら進んでいきます。

 思い出の中にいるピアニストの話、という展開そして、船で生まれて一度も船から降りたことのないという現実離れした設定からしても、まるでおとぎ話ですよね。
 原作は読んでいませんが、大人っぽさを離れて、もっと、“絵本の中のお話”という風にアレンジしてもよかったんじゃないかという気もしました。
 思いっきりファンタジーにして、極上の音楽が流れる…。私だったら即ビデオ買います!はは。

  ただ、ちょっと長いかな…。(それでも40分のカットがあるらしいです)

 後半〜ラストについて、ネットでも様々な指摘がありますね。

 ピアニストとトランペッターが解体寸前の朽ち果てた船の中で再会しますが、私は、ピアニストは既に亡くなっていて、この時の彼は幽霊、あるいはトランペッターの幻覚だったんじゃないかと思いました。
 (だって、何年も船底に独りで暮らしていたというわりには、あまりに小綺麗にしてたもの。)
 かけがえのない友人に「さよなら」を言いに現れたのかも、と…。

 この時ピアニストは、なぜ自分が一度も船を降りなかったのかという理由で、始まりがあって終わりがある、限られた空間の船と異なる世界への恐れという話しをしますが、その心境は、「ショーシャンクの空に」(1994、監督:フランク・ダラボン、原作:スティーヴン・キング)や、「炎の大捜査線2」(1997、監督:チョー・イェンピン、出演:金城武)で観た、長い刑期を全うして刑務所を出所したものの、塀の外で生きる道を見つけられず自ら命を絶つことを選んでしまう…。
 「刑務所を出て、俺に何ができるんだ!」と叫ぶ、その男たちと似ているのかな、と思いました。

 陸に上がってもおそらく彼はピアノを弾けないだろう、そう思います。
 船を降りて、あの少女と再び出会えてロマンスが生まれたとしても、そこでの彼の物語は悲しい結末しか思い浮かびません。


 ラストで船が爆破されます。
 船の爆破の画面から、ほとんど余韻を残さずに楽器屋でうつむくトランペッターのカットへ。

 語り部役のトランペッターは、目の前でその爆破を見るのではなく、少し離れた楽器屋でその爆破の“音”を聞いているという、このシーンは良かったです。
 その“音”が、ピアニストとの永遠の別れを象徴するわけですね。
 アクション映画のような火薬はこの作品では要らなかったかな、という気もしますが、“永遠の別れ”の演出に“音”だけではインパクトが足りないと判断したのか…?んー、成功か、失敗か?

 そして、この瞬間に彼のピアニストは伝説のピアニストになったのですね。




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