映画雑文 |
8MM |
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監督■ジョエル・シューマ−カー 脚本■アンドリュー・ケビン・ウォーカー 出演■ニコラス・ケイジ/ホアキン・フェニックス/ジェームズ・ギャンドルフィニ 1999、アメリカ いよいよ公開が終了するという3日前、さらにもうその時期は夜のみの上映だったので娘を実家にあずけて、夫と二人で出かけました。 ニコラス・ケイジは「スネーク・アイズ」同様、「すぐ音をあげると思って君を選んだのに」…しか〜し、相手の予想をはるかに超えて頑張っちゃう、という役どころでした。 そしてもち論、ボコボコにされてしまう… 笑える映画ではないのですが、そんな彼を見ていると思わず笑いが… ◆ タバコ 映画やテレビドラマで、タバコは重要な小道具としてよく使われますね。 エレベーターの中で閉じこめられたり、事件捜査の張り込みや恋人の帰りを今や遅しと待っている時などは大概タバコは必需品で、その吸い殻の山のカットを見て、「あぁこんなに時間が経ったのね」と思うわけです。 え?今は違う? そうそう、「そんなに吸ったら自殺行為よ」とか「そんなに煙をまき散らして、そばに寄らないで」とかも。 プロレタリアートの生活にもタバコは欠かせません。 肉体(!)労働の後、仲間と分け合っての一服で疲労回復。 昔は、お父さんの臭い=タバコの臭い、だったような気がしますが、今日のパパ達はニコラス・ケイジ演じる主人公のように家庭では禁煙を敢行している人も多いのではないでしょうか? 妻が喫煙をとがめているわけでもないのに、「吸ってないよ」とひたすら隠し、赤ちゃんや妻の前では吸わないけど、独りになるとスパスパ。消臭スプレーまで使っている念の入れようです。 もし、タバコを吸っていることを告白し、「赤ちゃんのいる部屋では吸わないよ」という状況になっていたら、「タバコ」はキーワードとしての役割を果たさなかったかもしれません。 依頼されたフィルムの捜査をしているときの主人公はスパスパよく吸ってます。 こんな世界が本当にあるの?という、知ったらぬけられないと警告される世界へ関わるために、「タバコ」は非日常への扉を開ける鍵…だったのでは? ダン隊員がウルトラセブンに変身するためにウルトラアイが必要だったように、平和な家庭生活とは無縁なもう一人の自分へ変身する儀式として「タバコ」を吸う…。 禁煙する、あるいは分煙を理解するということは、それだけ自分を抑制=コントロールすることだと思います。 普段は隠している行為だからこそ、喫煙の時にはすべての抑制から解放され、彼自身も違う自分を実感していたのかも… 主人公が、問題のフィルムが撮影された現場で一味の一人を殺害する直前、いったん躊躇して…タバコを吸う…、この時ハッキリ「あぁやっぱり殺すんだな」と思いました。 フィルムに写っていた少女の母親に電話をして同意を求めるけれど、それはおまけね。 すべて事が済んで魂の抜け殻みたいになって自宅へ戻った後は、二度とタバコは吸わなかったでしょう。 もし、もう一度タバコに火をつけたとしたら、もう一人の自分の存在をきっと思い出してしまうはずですから… ジョエル・シューマーカー監督がインタヴューで「誰にでも存在する凶暴性」と言っていましたが、とにかく冒頭から「タバコ」が気になった映画だったので、その「凶暴性」について「タバコ」が何らかのメッセージだったのでしょう。 私はそれを受けとめられたのか? うーん、修行が足りない… ◆ ホアキン・フェニックス 主な出演作:誘う女/秘密の絆/Uターン 「誘う女」でニコール・キッドマンに誘われていた少年です。 彼の存在がとても印象的でした。 屈折した欲望やなんとも頼りない主人公に混じって一筋の光のようにみえた彼でしたが…殺されてしまうのです。 この、彼が捕らえられて主人公の前でさらし者になるシーンが一番恐怖を感じました。 スナッフ・フィルムの存在よりも、こっちの方が「あるかもしれない」と思って怖かった… ◆ マイケル・ダナ(音楽) 主な作品:エキゾチカ/スウィート・ヒアアフター/JM アングラな世界ととてもよく合うエキゾチックな音楽で、リズムと心臓の鼓動が共鳴するようにドキドキさせてくれました。 |