息子の部屋
LA STANZA DEL FIGLIO
監督■ナンニ・モレッティ
脚本■ハイドラン・シュリーフ
出演■ナンニ・モレッティ/ラウラ・モランテ
2001 イタリア 99分 |
http://www.warnerbros.co.jp/sonsroom/index.html(オフィシャル・Japanese)
ものすごーく緻密な計算の下に創り上げられた映画という印象。監督の性格がわかるってもんです。決してツッコミではなく存分に<解説>のしがいがありそうな作品だと思うが、とても私に解説評は書けないので、あくまで感想として。
友達が減ることを覚悟で告白すると、本作は、私ってよっぽど薄情で優しくない性格なのだと思い知らされた作品でもある。まず、主人公の精神分析医のクライアント達を受け容れることができない。
私は、自らが欲したある目的を達成するためにはどうすればいいか、自分自身がやらねばならないことは何か、ということが明白に分かっていながら、顔を合わせるたびに同じことに対して「どうしたらいいだろうか」と尋ねてくるような人は苦手だ。いい加減その質問から一歩踏み出してほしいと思う。アドバイスを求められて、「それなら斯く斯く然々・・」と私の持っている知識と経験を総動員して何某かの言葉添えをすることがある。その後どうなっただろうかと気にしているのはこちらばかりで、相変わらず「どうしたらいいだろうか」と話題を振られるともうガックリだ。この人とは今後一切建設的な話はできないなと肝に銘じるしかない。
そして決定的なのは、ラストでひたひたと押し寄せてくるはずの感動がない!
心が揺れなかったのね。これにはちょっとショックだった・・。
私にはこの映画が理解できてないってこと・・・?
<部屋>を個々人の心理的領域の象徴として扱っていて、<開かれた部屋>と<閉ざされた部屋>で心の開放感と疎外感、<部屋を(あるいは家へ)訪ねたり出入りすること>で心の交流や受容というように<部屋>をキーワードにしている点などは「細かいなぁ」と思わせるものの特に難解な感じはしなかったんだけどな・・。もしかしてその緻密さにそれぞれの場面が単に記号化され、私が感情の抑揚を感じ損ねたのかもしれない。
大切な家族を不慮の事故で亡くしてしまうなど、チラとでも考えてもみたくない。まして、その悲しみがどうして乗り越えるとか癒されるのかなど想像もつかないし・・・。
だからなのかなぁ。
悲しみは忘れようとすると逃げることになる。<息子の部屋>へ入る勇気が息子の死を受け容れる勇気と結びついたんじゃないの?
だから、ラストの<海>は息子の死んだ場所としてじゃなくて、家族の再出発の場になるんだよね。ね、ね。ここでジワ〜っと感動の嵐って筋書きよ。
なのに泣けない私ってなんなのさッ。
2002.4
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