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※ネタバレ注意!未見の方は、ご覧になってからの方がよろしいかと・・・。
映画雑文えんぴつ
映画「ペイ・フォワード 可能の王国」から見えるもの
PAY IT FORWARD
監督■ミミ・レダー
原作■キャサリン・ライアン・ハイド
脚本■レスリー・ディクソン
音楽■トーマス・ニューマン
出演■ハーレイ・ジョエル・オズメント/ケヴィン・スペイシー/ヘレン・ハント/ジェームズ・カヴィーゼル/アンジー・ディキンソン/ジョン・ボン・ジョヴィ
2000 アメリカ 123分
http://www.payforward-jp.com/(オフィシャル・Japanese)
http://www.payitforward.com/(オフィシャル・English)


「こ、こんな映画だったのね・・・。」というのが第一の感想です。ミヒャエル・エンデ風のファンタジーを想像していたのに、見事にハズレてしまいました。ラストは泣いちゃったけど、それじゃあ、甘いんだよー!ってツッコミを入れたくなるのが本音です。

この作品、私は<人間の浅はかさ、愚かさ>を感じましたが、製作側がもしそれを意図しているのなら、ミミ・レダー監督は如何にも“足を踏む側の理論”の人だなぁ、と思いますね。つまり、アメリカ国家的というか。

なぜか。

以前、『エンデの遺言』というドキュメンタリー番組で、<地域通貨>というものが取り上げられていました。エンデは、「利子が利子を生み出す現代の貨幣システムの陰で、世界の二割の人口が全体の八割の富を独占し、多くの第三世界の人々と自然とが犠牲になっている」ことを強調していました。そこで新たに考え出されたシステムが<地域通貨>構想というわけです。現在、アメリカや日本でも小さなコミュニティ単位(商店街など)で実際に導入されています。

ミヒャエル・エンデ風と表現したのは、この<地域通貨>のような“既存のシステムを抜本から変革するために、奇抜な発想でありながら人々の日常生活に根ざした、極めて現実的な方法論の提起”、ということ。ファンタジー作家エンデにちなんで、柔軟性のある発想と弛まない人間愛を期待しての意味です。

主人公の少年のアイディア=“善意のネズミ講”なるものが、そんなトントン拍子にうまくいくわけはないのだから(当然、ストーリーもそう展開しますね)、そこへ大人の思慮と経験が加味されて、次第に人々へ認知されていく・・・。ファンタジーの中に発想のヒントがあり、しかしそれはユートピア的な絵空事ではないってことを示唆してくれるような内容を期待していたのです、実は。

だって、少年の言葉が全て正しいかのように誰もが言い含められるか、または「君の言うことはもっともだけど、大人はそうはいかないんだよ。」じゃあ、あまりに説得力ないでしょう?
それで、「さあ、あなたも誰かへペイ・フォワード!」なーんて言われても、「そんなオママゴトにつき合ってる暇なんてないねっ。」って気分です。

こうして沖縄に住んでると、今の世の中、どうしたら変わってくれるのよ〜!ってマジに思います。次から次へと繰り返される米兵による事件・事故。暴行、強制わいせつ、器物損壊、連続放火、中傷メール等々、毎月毎週のように米軍基地から派生する事件・事故は後を絶たない。その度毎に県内の議会では抗議決議をし、再発防止を繰り返し求め、米軍側も努力するとは言うものの、それでも事態は何も変わるところがない。同じことの繰り返し・・・。抗議と米軍の答弁のいたちごっこ・・・。

『むなしさを覚える』。連続放火や器物損壊が発生した北谷町では、町議会の抗議決議文の中にこのような文言が盛り込まれました。むなしい・・・。ホントむなしいです。当然の要求、人間としての尊厳を求めているだけなのに、基地の中へは一向に届かない。

県内を走る米軍車両がナンバープレートを付けるようになったのが、ほんの数年前(第2次大戦が終わったのはいつだ?)だということをご存知だろうか。そんなナンバープレートの無い車両が事故の加害者になり命を落とした人もいるというのに、被害者側は泣き寝入りを強いられるばかり。先日見かけた米軍車両のナンバープレートは、あろうことか逆さま!に付けられていた。その程度の認識なのだ、彼等は。

この現実を見て見ぬ振りをするかのような日米政府の態度。自分の家族が暴行され、家が壊され、職場に火をつけられたら、誰だって怒るよね。それでも世の中変わらないとするならどうしたらいいの? これ以上、どんな犠牲が必要だっていうんだろう。誰か死んだら、何人死んだら本気で考えてくれるのかしら?

それで、この映画。失って初めてその大切さに気付く。それはそれでいい。それが<人間の浅はかさ、愚かさ>なのだから。しかし、死と引き替えに、少年を美談混じりにまつりあげることには不快感を覚えてしまう。死んだ少年の家へ手に手に花やロウソクを携えて集まる人々、車のテールランプが延々と長く続いているエンディング。美しい光景です。夜景としては。でも、私はその車や人々の列が、殉教者の列のようでとても嫌だった。死ぬことは、そんなに美しいもの? ほんの10代の少年が殺されたんだよ、なぜ修羅場にならないの? 彼を讃えることで、問題をすり替えないで・・・。

「痛いですから、その足をどけてください。」と言う人がいる。しかし、相手は「そんなことはないでしょう。痛くないはずです。」とその足を退けようとはしない。「善いことをしているのだから。努力しているんだし。」

「善いこと」だから許されるのか?
そんな「善いこと」だからではなく、踏まれる側の身になって考えようよ。
善意という隠れ蓑の足を踏む側の押しつけ理論はもうたくさん!


2001.3.4


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