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映画雑文えんぴつ    *思い切りネタバレしてます。未見の方はその後の鑑賞に大きく影響しますよ。
PLANET OF THE APES 猿の惑星
PLANET OF THE APES
監督■ティム・バートン
原作■ピエール・ブール
脚本■ウィリアム・ブロイルズ・Jr/ローレンス・コナー/マーク・ローゼンタール
出演■マーク・ウォールバーグ/ティム・ロス/ヘレナ・ボナム=カーター/マイケル・クラーク・ダンカン/エステラ・ウォーレン
2001 アメリカ 119分
http://www.planetoftheapes.com/(オフィシャル・English/Japanese)

猿との遭遇!
いけない、いけないと思いながら、「ラストシーンはどないになるんだろ?」とオープニングから気持ちは既に終幕へ・・・。

悪玉ティム・ロスが一番ノリに乗ってるという感じで、ティム・バートンはストーリーは他の人に任せて、そういう猿づくりを楽しんでいたんじゃないかなぁ、きっと。

生々しい活力溢れる猿人達に比べて、支配からの解放のために本気で闘う気があるのかと思うくらい、まるで生気がない人間達が気になった。主人公のロマンスの相手として、また自由への強いあこがれを持ち、勇敢な闘士になるであろう“人間族のリーダーの娘”が、ただ口を半開きにした“思慮のない人間”としか映らず、主人公の若き青年は美しい彼女にちーっとも目もくれない。ぜったい不自然。バートンはそれほどまでに人間の人物設定については興味がなかったとしか思えないぞ。役者の力量に任せっきりだったんだろうなぁ、きっと・・・。
(ティム・ロスなんて、演技指導なしの野放しだったんじゃないかと思うほどのびのびしていた。彼のようなしつこい役者は、猿のマスクを被ったくらいが丁度いい表現力になるのかもしれない。なーんて。嫌いじゃないのよ、ティム・ロス。)

69年版「猿の惑星」(Photo gallery)から始まる一連のシリーズでは、「人権」や「差別」等に関する強いメッセージが込められていたように思う。そこにはフェミニズムさえ感じられた。故に、彼のラストシーンで映し出される朽ち果てた自由の女神像が意味するものは大きく、単に「地球だった」という証明にとどまらず、計り知れない衝撃となって観客の脳裏に残っていった。

不謹慎だと叱責されるかもしれないが、世界貿易センターが崩壊した今、「あるシンボル」が他力による破壊を被るという意味がどういうことかを現実のものとして感じることができる。

原作者のピエール・ブールは、先の大戦で日本軍の捕虜になった経験があるという。その時の経験が、猿vs人間という構図に少なからず影響を与えたであろうことは容易に想像できる。日本人=イエロー・モンキー・・・。ハハ、そうなの?

今回、リイマジネーションされた本作のなかで、「MONKEYじゃない!APEだ!」という猿の台詞が一番印象に残った。(MONKEY=サル、APE=類人猿、尾のないサル)
「APE」という言葉の中に、彼等の誇りや自尊心のようなものを感じた気がする。いや、それは「APE」でなくてもいい。すべての生きとし生けるものへの畏怖の念であるはずだ。

・・・おーっと、脚本は別の人だったっけ。バートンはそんなことに構ってはいないよねー。彼がこだわるとしたら、もちろんビジュアル部分。とすると、最も楽しんだであろうと思われるのは、やはりラストシーンか!?
リンカーンを猿にすり替えたのはさぞかし快感だったのではないだろうか。

この最後に登場したリンカーン像に何かしらのキーワードを感じて劇場を後にしたが、それが何なのか分からない。が、ネットの友人の「南北戦争」という指摘に「なるほど」と思った。

幾度となく、階級闘争、民族闘争、人種間闘争を繰り返してきた人類を揶揄し、それら愚行へのアンチテーゼとして捉えたい。自らのアイデンティティを見失わないために・・・。
性が違っても、国が違っても、人種が違っても、ひいては種が違っても、すべての命あるものはその生を尊重されるべきだし、生に優劣などなく等しく扱われなければならない。そう深読みしても構わないではないか。バートンだろうが誰であろうが、それがオリジナルであってもリイマジネーションであっても、「猿の惑星」は「猿の惑星」なのだから・・・。


2001.10.2


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