エイサーについて



沖縄にはお盆の時期に踊られるエイサーという踊りがあります。
この芸能は本土の盆踊りと同じく、祖先の霊を慰めるための盆踊りとして発生しました。
その歴史は古く、王朝時代まで遡ることができます。しかし、王朝時代から現在と同じ形だったのか、 というとそうではなく、最初は踊りのつかない念仏歌でした。
王朝時代、人が死ぬと、招かれてその家に行き、鉦を叩きながら念仏歌を歌い、 葬送の際には、末尾に従って墓所についていく人達がいました。彼らをニンブチャーといいます。
死者の霊を慰める念仏歌が(王府としては祖先祭祀の向上をにらみ、公的に認めていたようです) その後、太鼓や鉦を打ち鳴らし、念仏歌を歌いながら踊る念仏踊りに発展し(これは日本本土も合わせ、 全国的にいえることみたいです)武士階級、庶民階級それぞれに浸透し、現在に至っています。

  エイサーは
1.数人から数十人規模で唱和するジウテー(地謡)衆・ジカタ(地方)衆。
2.多数の踊り手衆。
3.チョンダラー(道化)───地域によっては、入れないところもあります。
で、構成されています。(構成員はそれぞれの地域の青年会です。地域密着型。 一部、琉球国祭り太鼓のように住んでいる地域に限定されない団体もありますが)
地方・地謡衆は太鼓やサンシン(三線)を持ち、伴奏します。
踊り手は男性のみ、女性のみ、男女混合と各地域によってさまざまです。

  踊りは
手踊り──素手・片手に手ぬぐいを持つ踊り・採り物といわれる扇や四ツ竹などを持つ踊り
太鼓踊り──締太鼓・パーランクー(片手で持てる太鼓。タンバリンの片面に皮が付いているような形です)
に分かれます。
女性はだいたい手踊りです。(太鼓踊りをやらせてくれる地域もあるようですが、太鼓を持ちながら、飛んだり跳ねたり 活発に動き回らないといけないので、体力的に女性は厳しい)
男性の手踊りももちろんあります。
地域によっては太鼓踊りがなく、手踊りだけの地域もあります。また太鼓踊りでも平敷屋エイサー (平敷屋公民館HP内に紹介があります)のように パーランクーのみを用いる地域もあります。

  エイサーの衣装
儀式性が低い芸能であるため、本来は決まっていなかったようです。
北部地域では浴衣が一般的らしいです。
中部地域では
男性は薄い陣羽織を羽織った白いシャツに白いズボンや脚絆が一般的。黒地や緑地の衣装も増えているようです。
女性はそろいの紺地の浴衣です。(どの地域もだいたい同じです)
手踊り衆は頭に鉢巻をします。北部は前結びの白い鉢巻が普通なようですが、中部だと色にそれほど制限があるわけではなく カラフルらしいです。(黄色などあります。そういえば)
太鼓踊り衆は赤や水色、紺色の頭巾や頭巾+長巾(ながさーじ・腰あたりまでの長い布の頭巾です)


ひととおり、簡単ではありますが、エイサーについて説明してみました。
各地域で、進化、淘汰を繰り返し、エイサーはほぼ全島に浸透していきました。
時代を経、芸能化が強まることによって、かつての念仏としてのエイサーは後退し、手踊りは採り物を採りいれ、 太鼓踊りエイサーは独自の踊りを追及し、それぞれ発展していきました。
(現在、最も原初的な性格を持っているのは本部のエイサーと言われています)
その地域地域で、お年寄りから壮年、青年へと代々にその踊りは引き継がれていきます。
掲示板にもほんの少し書きましたが、お盆の1,2ヶ月前からエイサーの練習は始まります。 その時期になると、学校、仕事よりなによりエイサーの練習が優先されます。
練習に参加しないとペナルティーが与えられるようです。(とある青年会の構成員から聞きました)
その日がデートであろうが、摸合であろうが、関係ありません。その時期はすべてを犠牲にして (言い過ぎかもしれませんが)エイサーに時間や体力や、あらゆるものが注がれます。 (以前、「エイサーっていいよね。やりたいなー」という私に、みている側は気楽でいい、とその方は 言ってましたが……実情聞くとなるほど、参加するより見ているほうが楽かも、と思いました)
このような苦労(? 笑)を乗り越え、エイサーは受け継がれていくのです。

こうして受け継がれて来たエイサー。
旧盆のウンケー(迎え)とウークイ(送り)の夜、踊られます。団体によっては旧盆3日間 (踊るのは夜)続けるところもあります。
エイサーは道ジュネーと各家々を回る2つのタイプがあり、だいたいの青年会は道ジュネーを行いますが、 具志川赤道青年会は、各家々を回り披露する後者型です。
各町内ごとに青年会がある地域の場合、道ジュネーをすると、隣接する地域の団体と鉢合わせをすることがあります。
その場合、どうするのか。
互いの先頭が接触するほどに近づくと、ガーエーをはじめるのです。
ガーエーというのは、適切な言葉がわからないので、上手く説明のしようがないのですが、
接近すると、相手の音楽がいやでも耳に入ります。が、この場合、相手の音に引きずられてはいけないのです。 互いが相手の音に引きずられず、最後まで踊りきる、そういうような感じの競い合いのこと、です。 観衆の前で、互いが、相手の音に引きずられず、相手の踊りに惑わされずに、自分の踊り (地謡は自分たちの音楽を演奏し続ける)を踊りきる。日頃の練習の成果をいかんなく発揮する場面 だったりもします。
互いに競い合い、互いにエールを送ります。
エイサーの演舞は夜遅くまで沖縄の夏の夜空に響き渡ります。

現在、全島各地で、いろいろなイベントでエイサーは踊られています。
最近では、伝統的なエイサーの他に 「琉球国祭り太鼓」などの創作エイサーも盛んになり、沖縄だけでなく、本土でも、海外でも踊られるようになり、 広く知られる芸能となりました。
沖縄以外ですと、大阪大正区(沖縄移民が多い地域です。小さな沖縄らしい)・よさこい祭り (どの「よさこい」かは判りませんが、参加していることがままあるらしい)最近ですと、新宿区でも踊られています。 (4町開催でエイサー祭りを開催しているらしい)
これからも進化を続ける芸能、エイサー。
沖縄の夏の風物です。


参考文献:エイサー360度/うちなー紀聞9月15日放送(RBC)


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