名乗り頭とは



あなたの名前は漢字表記ですか?
どんな漢字を書くのでしょう?
それにはどんな思いが込められていますか?
もしかしたら祖父母や両親から一字とった名前だったりするのでしょうか?

沖縄には名乗り頭、という風習が昔からあります。
名乗り頭、というのは、苗字ではなく名前の頭に氏共通の漢字をつけることをいいます。
大抵は男子につけれらますが、女子にも稀につけます。(元会社の同僚がそうでした)

琉球王朝時代、特に島津侵攻以降は幕藩体制下の封建制度が導入され、 それまで身分的に不明確だった沖縄の士と農(百姓)の区分が明確化されるようになりました。
1689年、王府に系図座という部署が設置された後は家譜(家系図) の編集を許された者を士族とさすようになります。

琉球の士族は名乗(なぬい)、唐名(からなー)、童名(わらびなー・ドゥナー)の3つを持っていました。
名乗は日本的な名前。
唐名は中国的な名前です。
近世以前は人名は童名だったそうですが、近世以降、名乗や唐名が明確に位置づけられたため、 公用には名乗、唐名が用いられるようになったそうです。 そのため童名は幼少時代の名前、または家族、仲間内で呼ばれる名前 というようになっていったようです。(近代までは家族、仲間内では童名を用いるのが一般的だったようです)
(余談ですが、私の大学の先生も童名を持っていました)

では実際に昔の沖縄の士族がどんな名前を持っていたのか、偉人を例にあげてみますと……。

麻 平衡 儀間親方真常(1)  (「ま へいこう ぎまおやかたしんじょう」と読みます)
 (ま)は氏名。中国式の姓。
 平衡(へいこう)は諱(いみな)。中国式の名前。
 儀間(ぎま)は家名。治めていた間切(行政区分。宮古八重山久米島を含め、49間切存在した) や村名をそのまま家名にしていました。(地頭という役職をもらい、治める地域が変われば、 家名も変わっていきますが、その後、子孫が地頭職をもらえなかった場合は、ずっと同じ家名だったそうです)
 親方(おやかた)は位階の名称
 真常(しんじょう)は名乗。日本式の名前のこと。

ここで注目して欲しいのは、日本式名前である名乗りの「真常」の「真」です。
これを「名乗頭氏」略して「名乗頭」といいます。
この名乗り頭は各氏ごとに決められており、名前の頭についていました。

 (ちなみに王の血筋であった尚氏の名乗り頭は「朝」
 向氏(尚氏の分家にあたります)の名乗り頭も「朝」でした)

家譜によると麻姓は首里系だったようで、 現在の家名は、本家は「田名家」分家筋だと「西原家」「瀬底家」「渡口家」となるようです。
名乗り頭が「真」である↑の苗字の人は、祖先を辿れば同じ人物が元祖であり、一門であることがわかります。


このように、名乗り頭は一門、氏を表すだけでなく、実は先祖にさかのぼって、元祖は誰で、どんな系列だったのか、 祖先にはどんな人がいたのか、ということも判る便利な識別方法だったりします。
なので、今でも名乗り頭がついている人は、ああ、どこどこの誰々さんだね、っという具合に 出身地までわかってしまうこともあります。
また系図がきちんと残されているということは祖先が士族だった、ということでもあるのです。

しかし、現在、この名乗り頭の風習も徐々に失われつつあります。
私の家族でいうと、父の代まではみな男子は名乗り頭がついていましたが、子どもの代 (私の兄弟)には名乗り頭はついていません。父方のいとこ達もそうです。
母方のいとこ達は……ついています。これは本家筋ということもあるのかもしれません。
ちなみに従兄弟殿は最近生まれてきた息子にちゃんと名乗り頭をつけていました。

古い時代から受け継がれている風習。自分のルーツを知り、先祖を敬う、この風習は私は好きです。 残していきたい沖縄の文化だと思います。

 (1)儀間真常
 「1557年〜1644年。野国総官が中国から持ち帰った芋の栽培方法を研究。普及したことで知られる偉人。
 尚寧王が薩摩に連行された際、随行し、木綿種を持ち帰ったり、また家人を中国に派遣し、 砂糖製法を学ばせ、砂糖生産を琉球の代表産業にまで押し上げた」ことで知られる。


 参考文献 沖縄大百科事典/沖縄門中大事典/琉球歴史便覧

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