那覇ハーリー
2004.5.3〜5.5
GW中に開催される那覇3大祭りのひとつで、競漕行事。
那覇ハーリーは毎年那覇新港埠頭で開催されます。
ハーリーとは<爬竜>の中国音で竜のことを指すそうです。ハーリーに用いられる船は爬竜船(はりゅうせん)
といいまして、舳先(へさき)に竜頭、艫(とも)に竜尾の彫り物を飾っていて、縦に細長いつくりに
なっています。
ハーリーの伝来は14世紀の(1)びん人三十六姓がもたらしたとする説や、
(2)『琉球国旧記』(3)『那覇由来記』には、
長浜大夫という人が、中国南京の爬竜船を真似て作り、太平を祝して那覇港競漕したのが始まり
という俗説が載っているようですが、本当のところは分かりません。
ハーリーは海の安全と豊漁を祈願するお祭りで、那覇の他でも沖縄各地でみることができます。
王国時代には国王の観覧があり、冊封使来琉の際には、首里の龍潭池(首里城下にある池。現在、隣に小学校があります)
でも催されたようです。
那覇ハーリーは今回でちょうど30回目。
入梅間近(子どもの日に梅雨入りとなりましたが)だったこともあり、
時折、小雨(時には大降りだったのですが)がぱらつく、あいにくの天気となりました。
1日目の中学生などの子どもハーリー競争から始まり、
3日目には一般競漕(職域ハーリー)や御願(うがん)バーリー(本バーリーの成功を祈願するためのハーリー)、
その後に本バーリーが行われました。
一般競漕には今回、本場の中国チームや、漁業研修に来ているインドネシアのチームなどが参加していました。
ちなみに中国チームはぶっちぎりでゴールしていて、さすが本場と唸るほどのスピードでした。
(テレビ中継でみていました)
航空関係も参加されていたのですが、ANA、JAL&JTAに混じって航空管制チームが参加していましたが、
その間お仕事ってどうされているのかなぁ。連休最終日って空港忙しくないのかなぁと思いながらみていました。
さすがに管制官は仕事が24時間3交替制であるために全員そろっての練習ができず、ぶっつけ本番だったみたいで、
舟の歩みは遅かったです。
ハーリーは3艘の船で競い、一番早くに戻ってきたチームが勝ちとなります。港の陸地に近い位置からスタートして、目印のポールのところでUターンして
スタート地点に戻ってくるレース。レースは港内で行われます。
乗組員は合計42人で、かね打ち(漕ぎ手のリズムを合わせるために拍子をとる)、旗振り、前乗り、
中乗り、漕ぎ手で構成されます。
こういう感じです。
本バーリーとは、那覇を久米、泊、那覇の3チームに分けての対抗戦のことをいいます。この本バーリーが主役とも
いえます。この本バーリー、昔は久米村(くめむら)、那覇、若狭(わかさ)、垣花(かきのはな)、
泉崎(いずみざき)、上泊(うえどまり)、下泊に分かれて行われていたようです。
今年の本バーリーは、那覇が勝ちました。
私は個人的には転覆ハーリーが好きなんですけど、(わざと船を転覆させるハーリーなんです。けっこう面白くて
盛り上がります)今は続いているのかどうかはよくわかりません。
ハーリー会場は爬竜船競争がメインではありますが、同じ敷地内には舞台も用意してありまして、
メインステージではテレビの公開録画のお笑いや演劇、ライブ、エアロビ大会等を行い、サブステージでは
相撲大会、子どもショーなどをやっていました。
今回、私は友人と一緒に5月4日の二日目、会場へ行ってみました。
目当てはハーリー体験乗船。
朝から行っては夜の花火までの間の時間つぶしに苦労する、ということで、14時頃に行ったのですが、
危うく体験乗船ができないところでした。目の前で「受付終了」と言われてしまって(汗)
応募が殺到してしまって終了時間の15時までにさばけない、ということが理由だったようです。
ふたりで「あ〜〜せっかくこれに合わせて来たのに……」と残念がっていたら、
係りの人が「約束はできないですが、もしかしたらキャンセルが出てくる可能性もあります。
キャンセル待ちになりますが、いいですか?」
(でも乗れるかどうかは約束できないと念を押されました)と仰ってくださって、
まだチャンスがあるのなら、と待っていたら、な、なんとキャンセルが発生し、土壇場で乗れることになりました。
写真は体験乗船の風景。
写真2枚目は実際に漕いでいる姿です。私が乗った席には櫂がなかったために
みんなと同じように「漕ぐ」ことが体験できなかったので、携帯カメラでバシバシ周囲を撮っていました。
(でもどうしても漕ぎたかったので前に座っている人に頼んで、ちょっとだけ櫂をかしてもらって漕いでみました)
爬竜船の先頭に立っている人が叩く鐘(ドラ??)の音に合わせ、櫂を水の中に入れ、漕いでいくのですが、
全員の息が合っていないと進まない(汗)バラバラに漕ぐと進まないどころか、潮に流されてしまい、
疲れがたまるだけ(笑)
みんな流されないように、と必死に合わせようと頑張ってました。
今回は少し波が高く、降りる頃にはちょっとだけ船酔い気味になってましたが、楽しかったです。
久しぶりに潮の香りをかげて嬉しかった。
そのあと、体験乗船の隣でやっていた海上保安庁の巡視船「くだか」の一般公開があったので、
それも1時間かけてみて回りました。船の中はけっこう快適で、トイレも清潔で、洗濯機も乾燥機つきの
上等なものが。思わずカメラで撮ってきちゃいました。
船内では保安官のみなさんが、見学の人々の質問に丁寧に答えてくださったり、ちょっとした展示スペース
のある部屋ではクイズなどがあり、楽しく参加できました。
なにより、保安官、みんなかっこいい方々ばかりで、びっくり。年配の方もステキに年を重ねていて、。
若者はすっきりとしたさわやかなかっこよさで、思わず「お付き合いしませんか?」って言いそうになりました(笑)
そういえば、以前コンパしたメンバーの中に海上保安庁の方がいたんですが、その方もりりしい顔つきをなさっていました。
(海上保安庁ってもしかして顔で選んでいるのだろうか??それくらい、いい男揃いでした)
そしてこちらは海上保安庁マスコットです。雨の降る中、カメラを向けたら敬礼をしてくださいました。
暑くて大変なのに、お疲れ様です。。。
そして日も暮れて20時40分から20分間、3部構成で音と光のイリュージョン花火うちあがりました。
大きな花火、小さな花火、ハート型といろいろあって
楽しかったです。でも以前あったナイアガラがなかったのが少し寂しかったです。綺麗でしたけど、ね。
那覇ハーリーの他に有名なハーリー競争に、糸満ハーリーがあります。(糸満ではハーリーをハーレーとも呼びます)
糸満は漁業の町、海人(うみんちゅ)の町で、伝統にのっとって、旧暦の5月4日にハーリーを行っています。
(ちなみに旧暦5月5日はあの世のハーリーということで、その日一日は船を出さないのだそうです)
私は観に行ったことがないのですが、那覇ハーリーとはまた趣が違っていて面白いらしいです。
また「ハーリー鐘が鳴ると梅雨があける」ともいわれているようで、糸満ハーリーが終わる頃に、
梅雨明け宣言されることがよくあります。
那覇ハーリー前後に梅雨入りして、糸満ハーリー前後に梅雨明けする。行事は季節のひとつの目安になっています。
同じように船での競争といえば、有名な長崎のペーロンがありますが、残念ながら、
私は観に行ったことがありません。どう違うのか、とても興味があります。いつか、どう違うのか、
行って見てみたいなぁと思います。
長くなりましたが、那覇ハーリーについてイベントレポートを更新してみました。
解説
(1)琉球に移住した中国系移民の居住区を「久米村」といい、その久米村の人々のことをさした言葉。
(びんの字は門の中に虫と書きますが、パソコンでは表示されないので、ひらがなで紹介)
中国福建省の出身者が多かったようです。しかし本当に三十六姓存在していたのかはナゾ。
(2)琉球国の地誌。本巻、附巻11、計20巻。首里王府編で、1731年11月成立。『琉球国由来記』を
簡略して漢文に書き改めたものであるといわれているが、一部、詳しい部分も存在。
(3)旧那覇の由来記。1709年11月成立。那覇4町(那覇の西・東、若狭町、泉崎の4ヶ村のこと)
の旧事、旧跡を62ヵ条に渡って記す。巻末には由来のわからないところとして18ヶ条を記述。
参考文献
沖縄大百科事典・沖縄チャンプルー事典・琉球新報5月4日5日6日記事・沖縄タイムスHP5月4日6日記事より
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