沖縄本土復帰記念日


1972年5月15日。第2次世界大戦から27年後、沖縄は本土復帰を果たしました。

今から58年前、日本は戦争をしていました。その戦争の際、ここ沖縄では国内唯一の地上戦が 繰り広げられました。
その恐ろしい戦争が終わり、新しい時代の幕開けが来たはずでした。 しかし皮肉にも東南アジアや大陸に近く、周囲を取り囲む大海原に漕ぎ出し、中継貿易を行ってきた 沖縄の地理的条件の良さが、軍事的な面で目をつけられてしまいます。アメリカは沖縄を 太平洋の要石として、軍事の拠点として使用することになったのです。
軍事拠点としての大規模な基地の建設。そのため、強制的に土地を取り上げられた住民も少なくありませんでした。
また当時の世界情勢も沖縄の基地占有率を高めていきました。(中華人民共和国の成立、朝鮮戦争等) 1951年。日本はアメリカの占領から開放されます。しかし、沖縄は対日講和七原則により、日本から 切り離され、アメリカの統治下に入りました。(奄美地域も同様に日本から切り離されていました)
この日から日本語を話しているのに、通貨はドル(その後、B円)に、沖縄を出る際にはパスポートが 必要、という外国になってしまいました。
この頃から復帰運動は大規模に組織され、県内各地に広まっていきます。
しかしその一方で、ベトナム戦争などにより、沖縄の軍事的価値は高くなり、ますます基地は強化されていきました。
1953年、軍事的比重が沖縄に比べ低く、また復帰運動が激しかった奄美地域が先に本土復帰を果たします。 (長期的な沖縄支配のために有効と、日本政府が判断したことで実現した奄美返還だったようです)
同年、米国民政府(沖縄を統治した米国海軍軍政府のこと)は「土地収用令」を公布し、住民から 強制的に土地を取り上げました。
その後も、復帰運動をものともせず、アメリカは沖縄を統治し続けました。
しかし、その米軍統治にも終わりがやってきました。
1971年に結ばれた「沖縄返還協定」によってその状況に終止符が打たれ、1972年5月15日午前零時、 沖縄は27年ぶりに日本に復帰しました。
けれど、本土並みの所得水準、基地の返還を夢見た本土復帰は裏切られ、復帰しても沖縄を占有する基地はなくならず、 相変わらず騒音を振りまき(夜中の1時過ぎにも住宅街上空を飛ぶのは、正直キレます)、 生活水準も47都道府県中いまだ下位です。

余談ですが、本土復帰となる前、返還運動とは別に「琉球独立」論も叫ばれていたようです。 アメリカ支配でもなく、日本に帰るのではなく、琉球として存在していく、という論。(実際に中国に援助を求めた 人々もいたらしいです)
そうなっていたとしても、きっと沖縄は沖縄のままであり続けていたんだろうな。 (選ばれなかったもうひとつの沖縄に思いを馳せてみると……どこか日本ぽくって、でも中国的でもあるし、東南アジア系も匂わせながら、アメリカ的でもある、 そんな国。文化がごちゃまぜでどこって決められない国ができあがりました)

ニュース番組で30周年記念の特集が組まれた5月15日の夜、テレビの前で親子3人、母親が引っ張り出してきた 当時のパスポートを眺めながら、当時の話をしました。(ちなみに母は赤いパスポート、父は黒っぽい パスポート)新婚だったにも関わらず、父は「沖縄を返せ〜♪」という復帰の歌を歌いながら、デモ行進に 参加していたようです。
あれから30年。沖縄は、変わりません。


戻る