ジュリ馬スネー(行列)


旧暦1月20日の廿日正月(廿日正月)といわれるこの日に、ジュリ馬スネー(行列)は行われます。
かつては「那覇大綱挽き」「那覇ハーリー」と並んで那覇三大祭と呼ばれていましたが、1988年を最後に 2000年までの12年間の間、途絶えていました。(2000年2月27日に12年ぶりに復活)
「ジュリ馬スネー」とは、紅型衣装を着けた女性たちが馬の頭をかたどった春駒を帯の前で止め、 手綱を操り、曲に合わせて「ユイユイユイ」と合いの手を入れながら道路を練り歩くお祭りのことです。
「ジュリ馬」の「ジュリ」は沖縄方言で遊女のことを指します。このお祭りは元々那覇の辻という場所にあった 遊郭の遊女たちによって踊られたお祭りでした。
辻遊郭は琉球王朝時代、薩摩や中国などの対外政策として、一般婦女子を守る為(風紀の維持の為) に創設されたようです。昭和19年の10・10空襲で焼失するまで存続していたとされています。
貧困家庭の口減らしの為に親に売られた子女が遊女となり、その遊女となった彼女たちによって 辻むらは生まれました。その遊郭のあった辻でこの行列は行われます。
ジュリは自由に外に出ることは許されず、廿日正月のこのジュリ馬行列の時だけ、唯一、外の世界の家族に 自分の元気な姿をみせることのできるのだと、何かで読んだことがあります。
過酷な運命の中で、彼女たちはこの行列に、何を思いながら参加していたのでしょうか。
現在はこのお祭りは一般の女性によって行われています。(公娼制度はないから当たり前ですが)
今年2002年は3月3日のひなまつりに那覇市辻の新思会前で旧廿日正月奉納演舞として(主催;辻新思会) 豊年祈願や商売繁盛の為に行った祭祀と共にジュリ馬を含めた計21の踊りを披露しただけで、道ジュネー(行列)は 行われなかったようです。
今回はすいません、やるのかどうかわからなかったもので(この行事っていわれがいわれなので、 公娼制度の名残だーっといって婦人団体等が反対運動を起こすようなので、反対運動がすごかったら やらないのかなっと思っていたんです。あまり宣伝もされていなかったから)気づいた時には終わってしまってました。
デジカメで映像を残すこともできませんでした。すみません。

参考資料 琉球新報3月3日朝・夕刊。沖縄チャンプルー事典。沖縄大百科事典。


戻る