旧盆



旧暦7月13日から16日未明に渡って各家で祖先(精霊)を祀る行事。
沖縄本島では「しちぐゎち」宮古島地域では「ストゥガツ」(7月のこと)とも言い、 石垣島地域では「ソーロン」波照間島では「ソーリン」沖永良部島では「ショーロ祭り」(精霊)と も言います。
まずお盆は、旧暦の7月7日に墓を掃除することから始められます。祖先を迎える準備をするのです。 その時期になると、家の男たちは否応なし墓掃除に借り出されます。そうしてお墓を綺麗にし、焼香をし、 花活けを替え、祖先を迎えるスタンバイはいったん完了となります。
いったんと言うのは、旧盆の前日までに重箱や供え物の買出しをしなければならないからなのですが……。 旧盆の前日の買出し、これもけっこう大変なのです。
仏壇に供えるお供え物として、昔ながらの風習によると、サトウキビ2本(祖先が難儀しないよう、渡ってくるときの、 またはあの世に帰る際の杖代わり)サトウキビ束1対、あだんの実、餅、ミソハギの箒、 ガンシナ(女性が荷を頭に乗せて運搬する際に用いるリング状の敷物。素材の稲わらを頭の大きさより 少し小さめにリング状に丸く作ります)クネンボ、ナス等となっているようですが、うちでは餅やガンシナ以外は この中の供え物をしていません。(ガンシナはスイカの下にいつも敷かれている) 叔父さん曰く「お祖父ちゃんは車の免許持っているから、杖なんかなくても大丈夫」らしい。
上記の説明以外の供え物としては果物類です。リンゴ、バナナ、オレンジ、メロン、マンゴー、パイン、スイカ etc……。 (時に巨峰が供えられます)
上記の供え物の買出しと、重箱の中身の買出し、盆当日にやってくる親戚に出す料理の食材やお菓子の買出し、と、 盆が近づくにつれ、仏壇を持つ家の女性たちは、その準備に忙殺されます。
そしてすべての準備を終え、旧暦の13日(一日目)、1年ぶりに家に戻ってくる祖先を迎えます。この日を沖縄では「ウンケー」といいます。宮古では「ンカイ」 石垣では「シキルヒー」「ンカイピー」というそうです。
祖先を迎える時には門の両側でトゥブシ(松明)か竹を焚くのが、昔からのやり方らしいのですが、 うちでは目にしたことがないような気がします。うちはたぶん、もうひとつのやり方(墓参して線香を焚き、 家まで案内する)をやっているのではないかな。
ウンケーの日にその前日までに用意した供え物を仏壇に供えます。果物や重箱など。また、この供え物の他に 水の子(ミンヌク)というものを仏壇の隅や外の棚に供えます。この水の子(ミンヌク)というのは、サトウキビや麦粉、 米、里芋などの切り屑からなるものでして、これは盆の時に祖先と一緒になってやってくる無縁仏への 施餓鬼(供養の為の供え物)として用意されます。
ウンケーの日はショウガ入りのジューシー(少し水っぽい炊き込み御飯のこと)を夕飯に食べます。ジューシーにショウガを 入れるのは、ショウガが邪気払いの食物とされているためだといわれています。このジューシーはもちろん 仏壇に供えますし、自分たちも食べます。このジューシーは一般的にウンケージューシーと呼ばれています。
二日目の14日は中日(ナカヌヒー)といい、仏壇に3度の食事を供えたり、 (朝はお粥、豆腐の味噌汁、酢の物。昼は冷やそうめんとサーターアンダギー。晩は白ご飯、味噌汁、 昆布や冬瓜や豚肉などの煮しめ物、ゴーヤーの地漬けなど、らしいです。決まっているって知らなかった) 親戚宅の焼香に回ります。 (お中元を持って)
3日間のうちで一番、中日が暇です。だいたい親戚はウンケーかウークイの日のどちらかに やってくるので、仏壇を持っている家はウンケーとウークイが忙しく、中日はその前後に比べれば 暇なのです。なので、仏壇を持っている家は中日を利用して親戚周りをします。(うちは仏壇を持っていないけれど 祖母の家にはあったので、よく中日には祖母の使いとして、母と一緒に親戚周りをしていました。それとも自分とこだけ??) 最終日の15日〜16日の「ウークイ」は盆行事の最大イベント、精霊(祖先)送りの儀式になります。 「ウークイ」というのは沖縄の呼び方で、宮古では「ウフーユー」八重山では「ウクルピー」波照間では 「ウグルピン」というようです。語源はほとんど「送る」からきているようです。
この日の供える食事は朝・昼は前日とほぼ同じですが、晩はあずきご飯、豚肉の入った汁物、酢の物などらしいです。 (これも全然知らなかった)
そしてこの日の夜、久しぶりにうちに帰ってきたご先祖様があの世に帰るのを見送る儀式、お盆最大のイベントがやってきます。
<ここからはうちがやっていることを中心に書きます。ところどころ一般的な部分もあります>
親戚が帰り、親族だけになり、夜も更けてきた頃(うちは大体22時くらいです)に、仏壇から、位牌や供え物を 全部降ろし、玄関の近くに即席の祭壇を作り(ちゃぶ台のようなテーブルを置くのですが)位牌や供え物を 外に向けるようにして配置し、人数分の焼香(このときの線香は30センチほどの長い線香を使用します)を済ませると、ウチカビ(あの世のお金)を焼きます。 そしてそれが済むと、供え物の初物をとり、水の子(みんぬく)とともに門外に出し、焼香を焚いて送ります。 すべて終わると、位牌は即席の祭壇からもとの仏壇へと戻され、供え物はそれぞれの腹の中に入るのです。

見送る際の見送りは、墓または墓の途中や村の外れまで、と、地域によって異なります。うちの場合は 家の門外で、見送りは終わります。

また、この盆行事ときっても切り離せない盆芸能が各地で催されます。
沖縄諸島(最も盛んな地域は本島中部)で踊られるエイサー(旧暦13〜15日。本島全域)、 伊計島で踊られるウシデーク(16〜17日)、名護の村芝居(16日)、読谷の棒、玉城の獅子舞、宮古島の クイチャー(13〜15日)、八重山のアンガマ(13〜15日)、波照間のムシャマ(14日)、与那国のスル踊り 、などです。
私がみたことがあるのはエイサーと、アンガマ(実際に見たわけではないですけど)くらいです。 アンガマはかなり面白いです。
エイサーについては別に設けて説明したいと思います。

参考文献 沖縄大百科事典

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