那覇大綱挽き
那覇3大祭りのひとつである那覇祭りの、催し物のひとつ。
10月の第2月曜日の体育の日前日に行われます。
「那覇大綱挽き」は10月6日の市民演芸・民俗伝統芸能パレードを皮切りに始まった体育の
日の10月8日まで続く那覇祭りの「目玉」である催し物です。(と思っているのは私一人ではないはず)
那覇綱引き自体は王朝時代に国の慶事の際に行われていたと記録があり、350年ほどの歴史があるようです。
(太平洋戦争によって一時中断していたようですが、1971年、本土復帰1年前には復活)
全長186m(女綱93m。男綱93m)直径1m56cm。総重量40.1t。手綱総計236本(1本の長さ約7m)で
「世界最大の藁による綱」としてギネス認定を受けています。この大綱を毎年、大勢の男女(国籍入り乱れて)が引きます。
(毎年綱は新しいものを製作します)
今回は10月7日に行われました。
那覇大綱挽きは国道58号線の久茂地交差点(那覇市の中心地)で行われます。国道の中央分離帯にでん! と
準備された大綱は圧巻です。(どうやらこの中央分離帯は取り外しがきく設計がなされているようです。綱引きの前日の真夜
中に取り外し作業と大綱の設置をしているらしい)久茂地交差点を中心に左右に女綱、男綱を配置し、互いを引き寄せ、結合
するところから始まります。
が、その前に大綱挽きをもりあげるためのイベント「旗頭
行列」が国道58号線のお隣、那覇市の中心の中心である国際通りで行われます。それが右の写真。この旗頭行列で大
綱挽き、祭りの雰囲気を盛り上げ、この行列に導かれるように、久茂地交差点へと人が流れていきます。
昼12時頃に旗頭行列ははじまりましたが、大綱引き会場で動きがあったのはそれより3時間後の午後3時も過ぎたところ。
始まりは午後3時30分と予定されていたので、その時刻に近づくにつれて地元の人、観光客、いろいろな人が徐々に国道58号
線に集まりだしました。久茂地交差点の女綱と男綱が結合するその丁度まん前に、招待者用の特別席がセットされ、
その隣にテレビカメラ用の大きな土台がセッティングされました。
今か今かとカメラを片手に待っていると、頭上に大きなくす玉が準備され始め、笛の音がどこからともなく響いてきました。
爪先立ちで必死になって人ごみの向こうの様子を探ると、人の頭の間からの黒装束(ムムヌチハンター─「股抜半套」と書きま
す─という上の写真の衣装)の集団が徐々に現れます。女綱、男綱それぞれの上に先導する人が乗っていて、その人たちの笛の合図で、
女綱、男綱それぞれの綱を引いている人たちが、お互いの綱を接合させる為に大綱についている小さな綱を引いているのです。
綱が動くたびに綱の上に乗っている男の人たちの姿が徐々に真ん中に近づいて来ました。
女綱と男綱のそれぞれの綱の先端は大きなわっかになっています。徐々に互いの距離を縮める女綱と男綱。ゆっくりとふたつの
大綱が近づき、女綱のわっかを男綱のわっかに被せませす。
そして最後に長さ3m65cm、直径43cm、重量365kgの頭貫棒(いつもは那覇市役所に置かれているので、機会がありましたら
観にいってみて下さい)を差し込み、外れないようにしっかり固定します。
行列を終えた旗頭が、派手に爆竹を鳴らし、せい! せい! の掛け声とともに東西に別れ(那覇を東西、ふたつの軍にに分け
て綱引きは行われます。別に西側の地域に住んでいるからといって必ずしも西軍を引かなければいけないということはないです。
東が泉崎、若狭、小禄、垣花、久米、辻地区。西が安里、首里、泊、真和志、久茂地、壷屋地区)指定の位置につきます。(いつ
までも西側の旗頭が指定の位置に戻らないので係りの人が「早く戻りなさい」と叫んでました)旗頭が指定の位置につくと、
今度は綱の左右から衣装を着け、神輿のようなもの(どうやら「したく」というらしいです)に担がれた武士が現れ、試合に先駆け
申し合いが行われます。(しゃべっているのが方言だったので、なんて言っているか判らなかった)
したくの上の人物は、東側が他魯毎(たるみい)─15世紀、琉球が三山時代(南山、中山、北山の三つ巴時代)だった頃の南山王。
のちに尚巴志(しょうはし)に滅ぼされた─で、西側が中山王尚巴志。のちの琉球王朝時代の王です。
申し合いが終わると、今度こそ、綱挽きの始まり。合図とともに老若男女が手綱に飛びつき、入り乱れて、地元の人間も観光客も、
外国の方々も、みんな一丸となって、無我夢中で綱を挽くのです。綱を挽くことにみんな集中するので子どもが押されていようがお構
いなしだったりします。(じっさい昔私も窒息しそうになったことがあります)
大きな綱なのでそう簡単には勝敗がつきません。30分近くはかかるのではないでしょうか。
(もっと早いかな?? 挽いている時は無我夢中なので、一瞬のように感じられるんですが……)
今回は途中で小雨がぱらついてきたので、体調を崩していた私は最後まではその場にいなかったのですが、結果は西の勝利だったようです。
勝敗がついて大綱挽きが終わると、今度は引きちぎれた手綱を手に入れる為にみんな頑張ります(笑)大綱挽きに使った綱は厄除けやお守り
などの効果があるということで、けっこうみんな持ち帰ります。中にはどこからともなく刃物を取り出す人も。こんな大勢いるところで刃物
はとても危険なんですが、米軍の方々とかはナイフをおもむろに取り出して、大綱から手綱を切って持ち帰られます。(大学のとき、親切な
米軍の方に分けてもらったことがある)観光客の方は記念に持っていかれるんでしょうね。きっと。
この光景をみていつも思うことなのですが、こんなにも祭りひとつで国籍問わずに一丸となれるのに、人はどうして戦争を起こすのでしょう。
人種も文化も関係なくこんなにも団結できるのに。(そう簡単なことでもないとは思うのだけれど)
大綱の上で黄色人種、白人、黒人関係なく笑顔で踊っている様子を見るとよけい思います。
今回は世界のうちなーんちゅ大会の影響なのか、例年に比べて外国の方々の姿が多いように感じた那覇大綱挽きでした。
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