第3回世界のうちなーんちゅ大会
2001年11月1日。「未来〜ちゅら夢、心にのせて」をテーマに掲げ、第3回目の「世界のうちなーんちゅ大会」が開かれました。
(第1回目は1990年。第2回目は1995)
「世界のうちなーんちゅ大会」というのは、簡単に言えば世界各地にちらばるうちなーんちゅ同士の交流を図り、世界に広が
るうちなーんちゅのネットワークを構築しようとする主旨を持った大会のこと。(だと私は解釈しました……)
今回は28カ国・2地域の海外ウチナーンチュ約4000人が参加しました。(何十年かぶりに故郷の土を踏む県系1世や親
や祖父母の故郷を見たことのない2世、3世、4世……いろいろな国からいろいろな年齢の人々が集まりました)
前日の10月31日には前夜祭として国際通りで華やかなパレードが行われていたらしいのですが、私は仕事だった為、
行けずじまいでした。(ちょうどその場に居合わせていた友人は「すごかったよ」と感想を述べてくれましたが……どれくら
い凄いものだったのか一目見たかった……)
うちなーんちゅ大会の中心会場は沖縄本島中部に位置する宜野湾市のコンベンションセンター。
私がうちなーんちゅ大会の会場に行ったのは最終日の4日。目当てはコンベンションセンター第2会議場で行われている「歴
史と未来展」でした。大学時代、卒論に少し移民が関係していたこともあり、興味があって覗いてみました。展示会場の入り
口で日本語、英語、スペイン語等、各国の言葉に訳されたパンフレットが置かれていて、係りのお姉さんに「どのパンフレットが
いいですか?」ときかれ、2分ほど悩んだ末に結局日本語のパンフのみをもらいました。
(家族に話すと「馬鹿だね、全種類もらってくればよかったのに」と言われた……それもそうだなとあとから気づきました)
クーラーのきいた室内では真剣な顔でパネル展示を眺める幅広い年齢層の沖縄人がいました。
戦前、日本は海外移民を奨励していました。移住先は南米やハワイなどで、沖縄も本土に遅れること15年、1900年のハワ
イ移民から移民が始まりました。
初回のハワイを皮切りにその後、ペルー、ボリビア、キューバ、アルゼンチンなどいくつもの国に沖縄県民は夢を求めて海の
向こうの国々へ旅立っていきました。資料によると移民は太平洋戦争を挟み、1973年まで続けられたようです。
海外移民によって南米を中心に世界へ飛び出したうちなーんちゅ。現在は各地域で沖縄県人会が組織され、ネットワーク化が
進められているよう。
ゆっくりと時間をかけて移民展を観終わった後、ひときわにぎやかな場所へと足を向けました。それがワールドバザール。
コンベンションセンター敷地内の宜野湾海浜公園多目的広場ではワールドバザールと称していろいろな国の食べ物や特産物が
売られていました。何かを挟んで油で揚げたパイのようなものを売っていたり、各国のお酒を売っていたり、(ワインがとて
も美味しそうでした。買いたかったよぅ)色鮮やかな織物を売っ
ていたり、紫水晶のでっかいのがあったり、(なぜか兵馬傭のレプリカまで売られていました。しかもたぶんあれは原寸大)
珍しいものがいろいろありました。デジカメを持って歩いていたんですが、美味しそうな匂いに気をとられて、結局何も写さ
ずじまいでした。(笑)
そして……世界中の特産品を売っているなかで、県産品を売る出店が真ん中にでん! と当然の
ごとく(私にはそうみえたのです)陣取って、その存在をアピールしてました。昔ながらのやり方で作る黒砂糖を実演販売していたり、沖縄の織りや染
めがプリントされたかりゆしウエアー(アロハシャツのこと)やハンカチが売られていたり……。地元にいればどこででも手
に入るはずのそれらに、運転手としてついて来た母(行っても絶対に何も購入しないからと宣言していた)がなぜか手を伸ば
していました。海外の特産品には目もくれず。気づくと母の手にはショウガ入りやウコン入り、シークアーサー入りの手作り
黒砂糖が入った袋とミンサー織りや久米島紬がプリントされたハンカチの入った袋が握りしめられていました。
またこの会場では出店だけではなく、奥側にステージが作られていて、そこでは「うちなーんちゅ交流祭」として歌や踊り、
その他の催し物が行われていました。
コンベンションセンター以外の場所でもうちなーんちゅ大会の催し物はありました。サミットが行われていた名護の万国
津梁館ではワールド学生会議が(大学時代の知り合いが出てたらしいのですが、さすがに名護までは行けませんでした)行
われていましたし、那覇市の奥武山(おうのやま)陸上競技場では国際交流ゲートボール大会なるものも行われていたようです。
奥武山陸上競技場近くの県立武道館では空手道・古武道交流祭が、首里城公園では伝統芸能祭が催されていました。
今回、3回目にして初めて私は「世界のうちなーんちゅ大会」の会場を覗いてみました。時間の関係上、あまり見て回れませ
んでしたが、それでも離れていてもみんな故郷にものすごく愛着を持っているんだなっと実感させられました。だっていまだに
方言がべらべらなんだもの。隣でスペイン語だか何語だかわからない言葉でしゃべっていた人たちが、地元のおばあちゃんに話
し掛けられたとたんに言葉が方言に戻るのです。あまりのことにびっくりしました。日本語はしゃべれなくても方言はしゃべれる
という年配の方もけっこういらっしゃるみたいです。でもその一方で沖縄にいる私たちが方言を忘れていっている。私も方言を
しゃべれない人間の一人なのですが、何十年ぶりかに故郷の土を踏んだであろう年配の方々の楽しげに方言をしゃべる後姿をみ
ていると恥ずかしくなって、勉強しなければ! と思いました。
11月4日、第3回世界のうちなーんちゅ大会は次の再会を約束し、最後をかちゃーしー(沖縄の踊りの一種)で飾り、幕を下ろ
しました。
次回は4年後、または5年後に第4回大会が予定されています。次はもう少しいろいろな会場を飛んでレポートに幅を持たせた
いなっとひそかな野望を抱いておりますが、このHPはそれまで果たして続いているでしょうか。(不安)
以上が私の感想レポートとなりますが、私の文章ではあまり伝わらなかったのではないかと不安でしかたがないので、↓に強
い味方をリンクしてみました。
琉球新報社の
「第3回世界のうちなーんちゅ大会」に詳しい様子は記載されていますので、私の説明では足りないよーー&興味を持ったぞっという方は覗いてみてください。
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