沖縄全島エイサー祭り


2002.8.31〜9.1
毎年、旧盆後の休日に開催されますお祭り。今年は8月31日から9月1日開催。
主催は沖縄市のため、出演団体は沖縄市が中心です。
同じ日、青年ふるさとエイサー祭りが開かれますが、こちらは那覇市で開催されます。

1日目は前夜祭。2日目に演舞する団体が道ジュネーを行います。
2日目は参加13団体によるエイサーの演舞が行われます。太陽の暑さが和らぐ午後4時から、 それぞれのエイサーが披露されます。
エイサーの演舞場は陸上競技場です。そのトラックの中央に、演舞スペースが設けられ、そこで 各団体がエイサーを踊ります。
観客は観客席に座って観ることもできますが、演舞しているすぐ側で、演舞を観ることも出来ます。 (演舞スペースの左右がロープで仕切られているので、その外側で観るのですが……)間近で観ると その迫力に圧倒されます。私は以前、ロープのすぐ側に陣取って、観ていました。 おかげで出場していた同期の青年をばっちりとこの目で見ることができました。 (祭り太鼓にいる後輩は、あまりのメンバーの多さに、探すことができませんでしたが……)
観に行くなら、観客席ではなく、トラックがお勧めです。圧巻ですし、一体感があります。

実はこの全島エイサー祭り、その前身を「全島エイサーコンクール」といいました。 「祭り」とつく以前は、コンクール形式のイベントでした。
1952年、石川市でエイサーコンクールが初めて開催されました。しかし、このコンクールは単発的で継続的に毎年行われる 類のものではありませんでした。
それが1956年、コザ市の誕生とともに、コザ市主催のエイサーコンクールが開催され、 その年から継続的に毎年全島エイサーコンクールは開催されるようになりました。
このコザで開かれたエイサーコンクールが現在のエイサー祭りの前身となるのです。
このエイサーコンクール。その会場に居るだけで、観客は全島各地のエイサーを見ることができたため、 回を重ねるごとに観客は増え、一大イベントに成長しました。
コンクール形式の当時、どのような審査規定だったかといいますと……。 (「エイサー360度参照」第3回大会)

1.服装(品位、美的、簡素)
2.体形(整然、変化、美的構成)
3.態度、技能(団体行動、精錬度、明朗、威勢)
4.伴奏(技能、音声、品位。明朗、節度)
5.変化(従来=古的、現代的)
    ※1チーム30名以上、所要時間40分。


以上のような審査基準でした。しかし回を重ねるごとに、審査基準も細かくなり、 また参加するエイサー団体自体も他団体との区別を図るため、独自性を強くするようになったといいます。 先祖の霊を慰めることを目的とした踊りが、見せる踊りへ、より芸能色の強い踊りへ、と変化していきました。

一大イベントとなり、注目されたエイサーコンクールでしたが、 それぞれに個性があり、伝統があり、違いがあるエイサーに、客観的であれ、順位をつけることは 無理な話でした。
だんだんと大会審査基準と参加する団体の間にズレが生まれ、下された評価によっては次回から不参加を表明する 青年会も出てきたため(大会側と参加青年会の間でのトラブルが相次いだようです)第22回大会から コンクール制は廃止され、「祭り形式」に大幅に変更されることになりました。
それが現在の「全島エイサー祭り」です。
コンクール形式から祭り形式への移行により、それまで参加のなかった子ども会や婦人会による エイサーが踊られるようになり、誰でも参加できるようになりました。そしてそれは現在にいたります。 (従来エイサーは青年の踊りとされていました。コンクール形式では青年会が主役)

ちなみに、今年、参加を表明している団体は以下の13団体です。
沖縄市立島袋小学校・沖縄市国際交流協会・沖縄市婦人連合会・沖縄市南桃原(とうばる)青年会・ 宜野湾市野嵩3区青年会・糸満市喜屋武(きゃん)青年会・琉球国祭り太鼓・沖縄市諸見里(もろみざと) 青年会・嘉手納町千原(せんばる)エイサー保存会・勝連町平敷屋(へしきや)青年会(西)・ 沖縄市胡屋(ごや)青年会・具志川市赤野区青年会・沖縄市園田(そんだ)青年会。
   ※演舞順になります。

また、この日、同じ敷地内の別の場所で「オリオンビアフェスト」が開かれます。
こちらは未成年入場禁止。会場では工場直送のオリオンビール(沖縄のビール会社)を ガバガバ飲むことができます。(注意・無料ではありません。有料です)

今年も多くの観客を魅了したエイサー祭り。フィナーレは観客を巻き込んでの、 大カチャーシーとなり、興奮の中、幕を下ろしました。


参考文献 エイサー360度

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