人類館事件


1903(明治36)年の3月〜7月までの間、政府主催の第5回勧業博覧会が、大阪の天王寺今宮で開かれました。
その際、博覧会会場郊外で、場外余興としての見世物小屋が立ち並びました。 (様々な資料が発見され、現在では「人類館」は「博覧会とは別物」ではなく、一見無関係に見える場外の見世物小屋も場外余興として「博覧会」を構成していたとされています) その中のひとつに「学術人類館」と称する茅葺小屋があり、学術研究資料の名目で朝鮮人・北海道アイヌ人・ 台湾高山族・インドキリン族・ジャワ人・トルコ人・アフリカ人・沖縄人が「見世物」として展示されました。
この見世物小屋に連れてこられたのは、人形ではなく、本物の人間でした。
「琉球の貴婦人」と銘打たれ、沖縄人として連れて来られたのはふたりの遊女。(じゅり)
この「学術人類館」に対して、当然のことのように沖縄から激しい非難と抗議が巻き起こりました。
その後、興行主が連れて来たふたりを沖縄に帰したので、事件は一応、収まります。
これが「人類館事件」です。 (この「人類館事件」を題材に、1976年、知念正真という方が「新沖縄文学」第33号に「人類館」というタイトルで 戯曲を発表されています)

明治維新後、沖縄は「日本」の一部として組み込まれることにはなったのですが、差別がかなりありました。
店先に「リュウキュウジン オコトワリ」の看板を掲げられたりされたこともあったそうです。
この事件は沖縄側に沖縄差別のしこりとして長く残ることになりました。

しかし!! 実は問題はこれだけじゃないんですよね。実は。
沖縄側は声高に「沖縄差別だ!」「差別反対!」と叫んでいたのですが……。
その頃の新聞記事をちらりっと卒論製作中に読んだことがありますが、そのあとがまずいのです。
「沖縄を差別するな!」「差別はいけない!」
ここまではいいのです。ここまでは……。しかしそれに続く言葉が、
「アイヌや他の人種と一緒にするな!」ですから……。
おいおい、おたくら、主張の方向性が違うよ。あんたらも差別生んでどうするよっという内容でした。
差別反対っと叫びながら、一方で一緒に見世物とされていた他の連中とは別なんだ、彼らとは違う、 私たちは日本人だ! と言い切る。
人とは、他者に対し優越意識をもちたいと思ってしまう動物なのだと哀しくなったのを覚えています。
被害者意識丸出して、でも自分たちも加害者になっていることを気づいていない。
沖縄人の悪い部分です。



参考文献 沖縄大百科事典/沖縄の文学─高校生の為の副読本 近代・現代編

2008年7月訂正個所 「人類館─封印された扉─」
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