夜空に……



「……んで、おれが……」
「朱蘭!! ほら、早く早く〜〜」
 ぴょんぴょんと跳ねるように、薄い黄色に朝顔の柄の浴衣を着たまりあが背後を振り返った。 帯と同じ緑色の髪留めと、薄茶色の柔らかな髪が夕日を浴び、光を散らす。
 手招きする少女の声は、常よりほんの少し高いもので、それが最高レベルの機嫌の良さを表している。
 数歩遅れて歩むのは、クラシック調の深紅の浴衣に身を包んだ結城朱蘭。 不機嫌な表情を隠そうともせず、浴衣と同色の下駄の踵をすりながら、それでも彼女は友人を追いかける。
 ふてくされつつもついていくのは、前を行く親友がとても楽しそうだからである。

『今日は時間があるんでしょう? たまには私に付き合って。ね?』
 髪と同じ薄茶色の目を細め、えくぼを浮かべ、覗き込んできたまりあに、朱蘭はつい頷いてしまったわけなのだが。
 気まぐれは朱蘭の専売特許のはずだった。いつも振り回すのは朱蘭だったはずで……。
「どこに連れてくんだよ」
 すっかりペースをみだされ、主導権を握られた現在の状況に、朱蘭は唇を尖らせてみる。 が、返ってくるのは楽しそうな笑い声だけ。まりあはもったいぶって、上気した頬と柔らかな瞳を前に向け、 問いをかわす。
 何がなにやらわからないまま祖母の家に連れて行かれ、反論も異論も挟めないほどの手際のよさで、 浴衣に着替えさせられたのは半時間前のこと。今は目的地も告げられないまま、 下駄で軽やかに走る親友の背中を朱蘭は追いかけていた。

 薄紫から青に、紺に、徐々に変化していく空に、一番星が煌く。
 西の彼方、家々の谷間へ太陽の光が飲まれていく。灯る明かりをみやり、 次いでかすかに葉擦れの音を奏でる植物を見上げ、由暁は溜息をついた。
 なぜ、自分が協力する羽目になったのか。
 不用になったブルーグレイのグラスをシャツの衿に差し込み、 視界にかかる前髪を払いのけ、由暁は眉をしかめる。
 いつもは親友に振り回されてばかりの少女がみせた、意外な強引さを目の当たりにしたためか。 うまく少女の勢いに乗せられてしまった気がしないでもない……。
『お屋敷に立派な笹がありましたよね? あれ、もらえませんか?』
 熱心に頼み込んでくる姿に、興味を覚えたのがまずかったのか。
 気付けば彼女が希望する場所まで配達をしてしまっている自分がいた。
 薄い血色の悪い唇がかすかに引き上げられる。
 使い走りのような今の自分の姿にも、けれど悪い気はしない。まぁ、あの娘にしつこく絡まれるのは覚悟しなければならないが。
 彼女が指定した場所は眺めの良い小さな空き地だった。よく注意を払わなければ見過ごしてしまいそうな ネコの額ほどの小さな場所。道からはずれてはいるが、きちんと整備がされ、柔らかな芝生が敷き詰められている。
 生温い風が通り抜ける。笹の葉を数枚さらった風は瞬き始めた空へと流れていく。
 広がる闇と冷たい輝きを目を細めて見上げ、由暁は近づく声に視線を流した。
 願い事を書いた短冊を大きく左右に振った柔らかな色彩を纏った少女が駆けて来る。
 長い黒髪を高く結い上げ、落ち着いた色彩を纏った少女が、先頭の少女からだいぶ遅れて続く。 由暁の姿を見つけた途端、あからさまな表情を浮かべて。 けれどしっかりと願い事を書いた短冊は細い手に握り締められている。
 頭上高く、ふたつの明るい星が天の川を挟み、お互いの存在を眩しく示していた。


 

戻る

七夕をテーマに書いてみました。え〜と旧暦の七夕までにあとひとつほど七夕テーマの SSを書いてみたいと思います。