その2
緩やかに速度を落とし、停車する。
ほどよく酔った身体を後部座席のシートに預けていた女性は、完全に動きの停まった車の様子にも気づかずにいた。
ダークワインのチャイナスーツに身を包み、足を組んだまま、彼女はピクリとも動かない。
組んでいた腕に握られていたサングラスが、力の抜けた左手から滑り落ち、流したままの黒髪にひっかかった。
カチ。
暖房の効いた車内に、冷気が忍び込む。
遠慮がちに開けられたドアから滑り込んだ風は、彼女の頬を撫でていった。
車内温度を一瞬にして下げた風に、まどろみの中に囚われていた女性はようやく瞼を開ける。
「んー」
寝返りを打つように身体を動かした女性の髪に、サングラスが絡まりかける。
「三代目。着きましたよ」
滑り込むように後部座席に姿を現した男性が、サングラスを黒髪から丁寧に外し、
自分のスーツの内ポケットへとしまった。
「三代目」
軽く揺すると、焦点の定まらない瞳が、徐々に光を帯びてくる。
「あっもう着いたんだ」
降りる。降りる。
半分寝ぼけ眼で間近に迫った男の顔を見上げて、結城朱蘭はにこりと笑みを浮かべた。
「さんきゅう」
ほんのりと赤みを帯びた顔に、氷点下の風が吹き付ける。
「うわっ。さむっ」
タバコの香りと酒の香りが、一瞬、鼻をかすめ、去っていく。
男の脇をもそもそと抜け、外に出ると、音もなく降り注ぐ白い結晶に出迎えられた。
「どうりで寒いわけだ」
白い息を吐き出しながら、噛みあわない歯の間から言葉を押し出す。
アルコールで温まった身体が、すっかり冷え切ってしまっていた。
うーー。
屋敷に入るまでにはカチンカチンに凍りそうだ、と他人事のように思いながら、朱蘭は空から降りてくる
雪を見上げていた。
「三代目」
風邪、ひきますよ。
遅れて車を降りた鳴神源也は、震えたまま、頭上を見上げる少女に声をかけた。
聞いているのか、いないのか、少女からの答えはない。
薄い唇に小さく笑みを浮かべながら、ドアを閉め、少女の背後に並び、着ていたコートを薄着の朱蘭にかけてやる。
ふんわりと暖かい感触に、少女が鳴神を振り返った。
「あっさんきゅ」
「早く入らないと、風邪をひきますよ」
「あ、うん。でも……きれいだなって思ってさ」
積もるかな?
見上げてくる瞳に、鳴神はただ微笑を返す。
「どうでしょう」
この量だと積もりそうだった。珍しく明日の朝は銀世界が見れるかもしれない。
音もなく降っては消えていく空からの贈り物に少女が手の平を差し出す。
駐車場から少し離れた場所に建つ屋敷の灯りが降ってくる結晶を照らした。
体温ですぐに消えてしまう雪を、それでも少女は厭きることなく手の平に乗せ、雫を光に照らす。
しばらく魅入るように眺めていた少女は、やがて促すように肩を押した男の言葉に従った。
「そうだな。入るか」
ハスキーヴォイスが静まり返った庭に響いた。
サクサクっと小さな足音を立てる背中が、屋敷へと向かう。
揺れるまっすぐな黒髪に雪が降れ、溶けた。
少し離れて鳴神が後に続く。
「あっそうそう」
そういえば。
思い出したように鳴神は足早に朱蘭に近づくと、少女の言葉を待たずにコートへと手を伸ばした。
失礼します。
「うわっ」
ちょっと。
突然くるりと向きを変えさせられた朱蘭は、ぬかるんだ地面に足を取られそうになり、バランスを崩す。
「大丈夫ですか?」
伸ばした手が、鳴神のスーツの裾を掴む。
抱きつくような形になった朱蘭のとっさの行動に驚くでもなく、鳴神は少女の身体を受け止める。
つっかえ棒のように少女を支えながら、鳴神は彼女が羽織るコートのポケットへと手を伸ばした。
「鳴神、あんたなぁ」
鳴神の胸に頭を埋めるようなかっこうのまま、朱蘭は抗議の声を上げる。
が、男はお構いなしに、ポケットから取り出したものを、大事そうに、少女を支えていた左手に持ち替えた。
「三代目」
ほら、立って下さい。
「立てってなぁ」
バランスを崩した際に男の胸に鼻の頭をぶつけてしまった朱蘭は、恨めしそうな声をあげながらも、
促されるまま体勢を立て直した。
いたたたた。
おおげさに顔をしかめる少女の前に、細長い包みが差し出される。
「ん? 何、これ?」
鼻を擦る指の隙間から鳴神の顔をのぞき見るが、
男はいつもの笑みの形のポーカーフェイスを浮かべたまま。
怪訝な顔で、雪の中、とりあえず差し出された包みを受け取ると、朱蘭はもう一度、鳴神を覗き見た。
男は目で、開けてみなさいと少女を促すのみで、やはり何も言わない。
警戒しながらも、朱蘭はかじかんだ手で、包みを開ける。
包装紙の下からはアクセサリーを入れる箱が現れた。
ん??
「え? 何? くれんの?」
次第に目を輝かせながら、しかし手つきは恐る恐るといった体で箱をゆっくりと開ける。
「うわー。マジ? これ、くれんの?」
目に飛び込んできたアクセサリーに少女の目が輝きを増す。
小さな深紅の宝玉のペンダントヘッド付きシルバーのチェーンネックレスに、朱蘭の頬が上気した。
「え? これって高くない? 鳴神、懐、大丈夫?」
「クリスマスプレゼントです。そのスーツに似合うかと思います」
三代目へのご褒美ですよ。
にっこりと笑顔でそういうと、鳴神は少女の頭を2,3度軽く叩いて、「さぁ」と今度こそ屋敷へと促した。
「さんきゅー。でもさ、鳴神、これ、昼間のパチンコで取った、とか言わないよね?」
もしかして。
そういえば、こいつ、パチプロ並に凄腕だったんだっけ、と思い出したように呟く朱蘭に、前を行く男は
かすかに肩を揺らした。
「あーやっぱり! 気前がいいと思ったんだ! 大勝だったんだな!」
鳴神の反応に自分の推理があたったのだと確信し、朱蘭は手の中のアクセサリーケースを振り回しながら、
男の前へと滑り込んだ。
「いらないのでしたら、返していただきましょうか」
ポーカーフェイスを崩さず、伸ばした鳴神の手をすり抜けるように、ネックレスのケースを胸元に
引き戻して、朱蘭はあっかんべーと舌を出した。
「一度もらったものを返すわけないじゃん。もらっとく。だけど、今度はもっと値が張るものをくれよな」
鳴神が浮かべた苦笑をみやり、肩に積もった雪を払って、朱蘭は屋敷へと入っていった。
シンシンと降り積もる白い結晶を見上げ、鳴神も薄い笑みを浮かべたまま、少女の後に続く。
誰もいなくなった空間に、雪が静かに降り注いでいた。
季節ネタをと思い書き上げました。
ずいぶん前に思いついていたんですが、書いていなかったお話。(2年くらい前から頭にあった話)
組の忘年会(あるんだろうか? 果たして……)からの帰宅っという設定です。
未成年はお酒を飲んじゃいけません〜〜(朱蘭高1または高2のクリスマスという設定です)