―平行線の先、かもしんない―



いつか、僕の想いが君に届く日が来るのだろうか
平行線上で真っ直ぐ先を見つめる君
揺るぎない君の視線が僕を絶望へと堕す
永遠に重ならない先への予感に、僕は震える


「後、5分っ」
「んっ、ぎゃぁ―っ」
 奇声を上げて僕の前を行ったり来たりする、黒いドレスの女。ヘアバンドで髪を上げ、 歯ブラシを銜えた姿は滑稽を通り越して哀しい。
「何が哀しいって、………コレが15年想って報われてない相手ってことだよな…」
「何っ陸?」
「歯磨き粉、落とさないでね……深冬」
「判ってる!」
 再び洗面所へと小走りに入っていく深冬とは逆方向へと進み、 先ほど掛けておいた自分の上着を羽織る。
「残り1分っ化粧は車の中で。鐘が鳴るよっ!」
 深冬のショールとキーを持って玄関のドアを開く。
 ドアの隙間から差し込んだ陽光に、 僕は笑ってしまうほどの祝福が本日の主役両人へと向けられてる気がしてならなかった。


「遅いっ、馬鹿者!」
 深冬の顔を見るなり怒鳴ったのはもちろん、兄・海晴。 本日の主役その1は白いタキシードが厭味なほど似合っていた。
「まさか、とは思ったが……、陸を行かせて正解だったな。 ………何処の世界に、姉の結婚式に寝坊する馬鹿が居るっ?!」
「此処に居る」
 タイミングよく耳を塞いだ深冬は頃合を見計らって離すと、ぼそりっと呟く。
 僕はまだする耳鳴りに頭を振りながら、 どうしてこう深冬が火に油を注ぐ真似をするのか理解に苦しんだ。
「み〜ふ〜ゆ〜?イイ度胸してんじゃないか、お前……」
「ま、兄さん…ほら、時間もないことだし、説教は後でね」
 赤い唇で口笛吹いてそっぽを向く深冬を睨みつけ、僕は兄の背を押した。
 兄より目線を少しだが高くするようになって何年が過ぎたろう?この晴天の下、 切望し続けた人を遂に手にする兄は、今尚僕の憧れと嫉妬の先に居る。
「深冬っ、春霞に逢っておけよ」
「はぁ〜い」
 教会へと入っていく兄の背を見送り、深冬を促して控室の方へ向かう。
「深冬」
「………だって」
 今朝寝坊した理由、それはリビングに散乱した缶と瓶で一目瞭然だった。 あれだけ呑んでけろっとしてる点は、天晴れとしか言いようがないが。
 嫁に行く姉が哀しくて、一晩中飲み明かした妹。相変わらずどうかしてる、と僕は思う。
「家に、帰ってもさ……明日から、もう、春霞居ないんだよ?」
 花嫁控室の扉の前で、泣き出す寸前で顔を歪める深冬。かっ、可愛い…何て思ってしまうあたり、 僕もどうかしているんだろう。
「……結婚したぐらいで、春霞ちゃんが深冬から目を離すと思う?家ぐらい何でもないよ、 扉数枚分ずれただけだよ。」
 そういえば、いつの間にか深冬が小さくなった。もちろん、僕が大きくなった、 が正しいのだけど……腕の中に仕舞ってしまえるようになるとは誰が思っただろう?
 抱き締めたかった。猛烈な衝動と激闘の末、代わりに僕の手は深冬の艶やかな黒髪に伸びた。
「ほら、笑って。春霞ちゃんが結婚辞めるなんて言い出したら、兄さんに絞め殺されるよ?」
 実際、それだけは遠慮したい展開だと思いつつ、僕は深冬の頭を静かに撫でた。
「陸、小生意気!」
 ………またかよ。憤慨した顔で僕の手を払い扉の向こうに消えた深冬へ、思わず泣き言が洩れる。
「ほんの数ヶ月に、15年だぞ?いい加減消化してくれよ」
 鐘が鳴る。葬式の鐘、なんて言ったら兄はどんな顔をするだろう?
 景気の悪い顔をしているであろう僕にはそっちの方が相応しい気がしたのだ。 試練にしても15年は長過ぎて、神を怨んだ月日の方が拝んだ月日より長い。
「陸」
 隣に滑り込んでくる深冬をぼんやりと見下ろして気付く、 周囲を暖かい曲とヒソヒソと話す声が包んでいた。
「そろそろ始まるのかな?」
「そ」
 え?
 簡潔に言葉を返して伸ばしてきた白い手に、僕は固まる。
「タイ、家で緩めたまんま………」
 器用とは言えないまでも喉元で動く深冬の細い指に、 制御不能になった僕の心臓が場所に似つかわしくないビートを刻む。
「ほら」
 満足げに笑って見上げる深冬に、僕は……神様に感謝した。 この笑顔があれば、後10年ぐらい僕は耐えられます。
 何処からか零れた小さな笑い声に、深冬が鋭い睨みを向ける。 視線の先には、相変わらず飄々とした笑みを浮かべたかおる先輩、妹のゆたかさん。
 そして……綾瀬先輩。シックな正装に身を包んだ綾瀬先輩はやはり、 出席女性陣の注目の的になっていた。教会に夢の王子様が出現したのだ、仕方ない。 でも、面白くなかった。
 深冬に向けられる優しい視線が呼ぶ不安に苛まれて、頭の中がぐるぐるし始めた頃、 扉が重々しく開かれた。
「うわぁ…………」
 其処彼処で洩れる感嘆の声。乳白色のウェディングドレスに包まれ、 薄水色の花のブーケを手にして歩いてくる春霞ちゃんは綺麗だった。
「春霞ちゃん、綺麗だ」
「当然」
 ぼそぼそと話す僕らに、兄がにっと笑みを寄越した。,br>  その勝利感が滲んだ笑顔に、 思わず僕らが笑ってしまったのはこれまでの経緯を逐一知ってる所為だろう。
「いいな」
「何だ陸、ウェディングドレス着たいの?着せてやろうか」
 判っていても、慣れていても腹が立つことってあるものだ。 深冬も流石に失言を悟ったのか、すいっと視線を祭壇へと逸らす。
 静かな声が儀式の開始を宣言する。
 花嫁の手を取り並立つ花婿、羨望で胸が焦げる光景だった。 花婿の顔がそっくりな兄とくれば、判るだろう。
「ちっ、ちょっと?」
 式が進むにつれ、そして誓いのキスまで進んだ頃潤んだ僕の瞳は臨界点に及んでいた。 情けないことに深冬のことを想うと、本当に僕は弱い。


 結局焦った深冬が、 外で準備あるとかないとか周囲に囁いて僕を教会外へ手首を掴んで引張り出してくれた。
「何がどうしたのよっ、陸」
 僕だって止められるものなら止めたい。 20代半ばの大の男がぼろぼろ涙零すなんて、 それも好きな相手の前でとは…情けなくって更に涙が零れる。
「わ、判らないっ……淋しくって………止まらない」
「お前、人のこと言えないだろ……」
 流石に呆れ声を出す深冬。誤解はさせたままで良かった。
 深冬との距離が縮まらなくて淋しいなんて、言えたもんじゃない。 簡単に口に出来た子供の頃が懐かしい。
 無言で僕の涙が止まるのを待っていてくれた深冬は、 扉が開いて招待客が出てくるのを見ると離れていく。花弁の入った籠の準備するのだろう。
「ちっ、いつも傍に居んのに……………」
 ?機嫌損ねたか。ごめん、深冬。
 ?!ぬっと唐突に横に現れたかおる先輩に、心臓が悲鳴上げる。
「馬鹿だね〜陸君。どうせ泣くなら、ちゃんと泣き落さなきゃ」
 くすくすと含み笑いを零すこの男、これが小児科医だなんて世も末だと思う。
「君みたいに余所見しないってのも問題だねぇ……経験値足りなさ過ぎ。 一般的女心すら判ってない陸君に……変則傾向にある女性相手できるわけ……」
「かおるさん、止めときましょ。……唐突にある日、彼が自分で気付くから面白いんです。 ヒント出してたら興醒めですよ。」
 勝手なこと抜かし始めたかおる先輩の襟首を、綾瀬先輩が引っ張って話を止める。
「何が言いたいんですか?二人とも」
 両人の意味ありげな視線が気持ち悪くて、自然と声が尖る。
「……………ん〜?自分の置かれた状況にも目を向けようね。 それから、深冬さんのこと観察し直してごらん?」
 訳が判らないままの僕を残し、教会の入口がわっと沸く。
 花と涙、祝福の言葉の嵐、嵐、嵐………遠目に兄が深冬に何か囁いているのが見えた気がした。


「深冬」
「うん?何、にぃ」
「公衆の面前でタイ締め直してやるなんて、やるもんだな」
「…………露骨過ぎた?」
「否、見事な牽制だった。しかし最近お前、余裕なくなってきたな」
「無自覚に毎日、男上げてる奴相手だからね。如何にいい女のあたしでも辛いよ」
「自業自得、だろ?」
「違いない」


いつも、隣に居た
これからも君は、隣に居てくれますか?
晴れの日も雨の日も、手を繋いで離さないでください
遠い日の夕暮れそうしたように、地平線へ向かって2人で駆けて行こう


Is it Ending?


戻る


うちの裏キリを踏んでくださった大澤 想さんからいただきました。
想さんのHPで連載されていました小説─悪魔は嘲笑う─から大人バージョンのSS。私が陸くんと深冬ちゃんのことが 好きなのを覚えていらしたようで、二人に視点をあてた内容となっています。嬉しい。ありがとうございました。