注意!! こちらは第2部へちょっと足を突っ込んだショートを掲載しています。
先をお知りになりたくない方は読まないで下さい。
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「あんた、何してんだよ」
運転席にカギを差し込もうとした瞬間聞こえた声に、まさみは身構えた。
反射的に警戒姿勢をとりながら振り返った先には、憤りを隠そうともせず、
こちらを睨むひとりの青年がいた。
前髪の一部を立てたヘアースタイルはそのままに、髪全体を赤めに染めた青年は、
ポケットに両手を突っ込んだまま、こちらを睨んでいた。
「何のことだ?」
久しぶりに姿を見せた青年のぶしつけな質問に、まさみは眉を寄せる。
言わんとすることがわからないのか、鍵穴にカギを指した状態のまま、
困惑気味に青年を見返す。
「とぼけんのかよ」
埃まみれの革靴が、乗用車の後輪をけりつける。
挑戦的な眼差しは以前と変わらない。
学生服から背広姿に格好は変わったものの、尖った雰囲気は健在だった。
比嘉篤志。
結城朱蘭の相棒であり、この地域を仕切っていた総長(ヘッド)だと
まことしやかに囁かれていたうわさの持ち主。
彼もまた、あの事件の関係者のひとりだった。
ああ、そうか……。
眉を寄せたまま考え込むまさみに、詰め寄るように近付いて、
篤志は彼の背広を掴んで自分の方に引き寄せた。
間近に迫る憤りの眼差しに、思い至ったまさみは、静かに青年を見返した。
「広域に移ったことを言っているのか?」
淡々とした口調に、篤志の、形が整った細い眉が上がる。
「わかってんじゃねぇか」
瑞穂と別れて半年後、まさみは所轄から広域へと異動願いを出し、
それが認められ、現在は広域捜査課に籍を置いていた。
決定したのはつい最近のことで、数週間前に異動したばかりだった。
耳が早いな。
凄みをきかせる青年の目を見返しながら、ぼんやりと思う。
麻痺した感情は、考えに追いつかない。
数秒後にようやく唇の端が動いた。皮肉気に歪む。
「それがどうした」
君に関係があるのか?
投げやりに聞こえる声だった。
無表情に紡がれた言葉に、篤志の目が光った。
「本気で言ってんのかよ」
導火線に火が付けられ、いつ爆発するとも知れない一触即発の状態が2人の間に横たわる。
かたや無表情で、かたや憤怒に顔を染めて、睨みあいが続いた。
息苦しいほどの沈黙が続く。
先に視線を外したのは、意外にも篤志だった。
「今さら調べて何になるっていうんだよ」
吐き捨てるような台詞に、まさみは何も言わぬまま、篤志をみつめる。
「医者から何も訊いてないのかよ。あんたは」
「彼女の病状なら聞いている」
落ち着いた声が、よけい篤志を苛立たせているらしい。
行き場のない苛立ちをタイヤにむちゃくちゃにぶつけ続ける。
篤志を止めるでもなく、まさみは大きく小さく揺れる車体を無感動に眺めていた。
「なら、なんであの日のことを調べんだよ」
「だから調べるんだ」
間髪いれずに答えた声には抑揚がなかった。
僕はあの日、何があったのか、知りたいんだ。彼女に何があったのかを。
「医者は言ってんだぞ。脳にも神経にも異常はみられないって。
あいつが目覚めないのが不思議なくらいだって」
怒りもあらわな声が耳を打つ。それはすでに知られている周知の事実だった。
彼女が目覚めない。医者も原因不明だといい、
治療の方向性さえ定まらず、様子をみているのが現状だった。
「あいつは起きる気がないんだ」
何が起こったのかは判らない。が、それは明白だった。
何らかの事情で、彼女は現実に戻ることを拒否し続けている。
「眠り」という手段でもって、その意思を示していた。
「あいつは知られたくないし、触れられたくないんだよ」
なんでそれがわかんないんだ。判れよ。
物分りの悪い子どもに言い聞かせるような口調だった。
けれど、まさみは頑として譲らない。
「だからこそ、調べるんだ」
まさみの静かな台詞に、足元を見ていた篤志が顔を上げる。
「ざけんなよ。てめぇ、何様のつもりだよ!」
襟首を捕まれ、一瞬後には運転席のガラスに頭を強く叩きつけられていた。
左の頬に強い痛みを感じる。
ゆっくりと頬に左手を持っていく。
徐々に口内に鉄の味が広がった。
口の中が切れたらしい。
異物を感じ、ぺっと吐き出すと、赤く染まった歯の欠片がアスファルトの地面に転がった。
殴られたのだとようやく気づく。
「痛いな」
独り言のように吐き出された言葉は、無味乾燥なものだった。
もう一度、篤志に向き合いながら、まさみは緩慢な動作で痛み出した頬を擦った。
「君がなんと言おうと、僕は調べるよ。これは事件だし、事件を調べるのは警察の仕事だ」
「あいつはそれを望んでない」
「それでも、調べる」
「あいつとの約束を反故にしてまで調べる価値があんのかよ」
篤志の台詞に、一瞬、まさみは沈黙した。
「彼女を救うためだ」
彼女を救いたい。だからこそ、調べる。
「ああ、そうかよ」
ややあって返って来た答えが気にいらなかったのだろう。篤志がまさみの足元に向けてつばを吐き出す。
怒りと憤りが、軽蔑へと色を変える。
「そんなに真実が大事か? 関わった人間を不幸にするような真実でも、調べるっていうのかよ」
「それが彼女を救う唯一の手だというなら」
揺ぎないまさみの意思に、篤志はこれ以上言葉を交わすのも無駄だと悟ったのか、大きく舌打ちすると
話を切り上げた。
「言っても無駄かもしれないが、まりあには近付くなよ。彼女に近付いたらたとえあんたでも容赦しないからな。
殺すぞ」
無表情の中にもどこか地に足がついていない不安定な顔を覗かせるまさみは、即座に首を横に振った。
「彼女は重要人物だ」
「そんなの知るか。彼女はあいつが守りたがった唯一のものだ。彼女を傷つけるのは許さない」
精神的に不安定な彼女をこれ以上追い詰めることは許さない。
敵意を剥き出しにして、篤志は牽制する。
激しい嫌悪と軽蔑とを内包した目で、無表情のまま佇むまさみを一瞥し、彼は踵を返した。
本当はまりあのことなど頭になかった。彼に言われて、その方法もあったのかと気づく。
しかし、まさみがまりあに近付くことはないだろう。
彼女まで精神を崩壊させてしまう事態は彼自身も望んでいなのだから。
ただ、知りたかった。朱蘭がなぜ、目覚めないのかを。
できるなら目覚めさせてやりたい。そのためには原因をつきとめ、
彼女の不安を取り除くことが第一の条件だ。
まさみは信じて疑わなかった。
ぼんやりと遠ざかる背を見送り、呟く。
ただ君を取り戻したいだけなのだと。
このショートは「虚無の夜」と「君へ……」の間の時期のお話になります。
ちなみに篤志は堅気になった神沼さんの会社で働いています。
もろ第2部に入っています。すみません……。いい加減やめないとね……。
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