夕闇
「ねぇ、知ってる?」
燃えるような深紅の髪をかきあげて、リヴィアは傍らに立つ男に目を向けた。
この街で一番眺めの良い場所に立つ神殿。祈りの間からリヴィアの私室に向かう一角に、
街並みを見下ろせるバルコニーがある。
通り雨の雫を含んだ芝生を歩み、リヴィアは石積みのバルコニーへと向かう。
街が夕暮れの、燃えるような朱色に包まれていた。
足早に家路へと向かう小さな影がいくつもみえる。
家々は食事の支度のためか、白く細い煙があちこちからあがっている。
目を細めてそれらを見下ろしながら、リヴィアは形の良い唇をひきあげた。
「好きだと言い続けていたら、本当に好きになるんだってさ」
髪と同じ、深紅の瞳を男に向ける。
が、男は彼女に一瞬目を向けただけで、すぐに視線をそらしてしまう。
「なら、ドランで試してみるんだな」
あれは単純だが頭は悪くない。腕も立つし、頼りになる。
低い声がそっけなく言い放つ。
彼に好きだと言い続ければ、そのうち彼女も気持ちがそちらに向かうだろう。
無表情に近い横顔ではクウェンが何を思っているのかリヴィアには読み取れない。
女の顔から笑顔が消える。
「……クウェン……そんなにあたいが嫌かい?」
肉感的な唇をきつく噛み締め、リヴィアは視線をはずした男の瞳を追いかける。
そういうわけではない……。
言いかけて、クウェンは口をつぐんだ。
反射的に目を戻した彼の胸に、悲しげに揺れる少女の瞳が突き刺さる。
もう出会った頃の12の少女とは違う。
性別不明の身体は、今や成熟した大人の女性のものだった。
弾力性のある柔らかな肌。服の上からでもわかる大きく形の良い豊かな胸。
細くひきしまったウエスト。大きく張った腰。
成長したリヴィアは、誰よりも輝かしく、眩しい。
だからこそ、クウェンは目をそらしてしまう。
彼女を欲しいと思う。その一方で離れたいと思う。
出会った頃と変わらず、リヴィアはクウェンに尊敬と好意の目を向ける。
時には狂おしいほどの感情を、隠すことなくクウェンにぶつける。
それがクウェンに戸惑いを生む。
彼女はかつて愛した女(ひと)と同じ魂を持つ者。
再び出会えた時には愛し、守り抜くと誓った存在のはずだった。
けれど、あまりにも違いすぎた。
剥き出しの心をぶつけてくるリヴィア。
炎そのものの存在であるリヴィア。
記憶の中の愛しい女(ひと)は柔らかな、そうこの夕暮れのようなひとだった。
同じ魂であっても、彼女ではない。
同じ宿命を背負っても、リヴィアは彼女じゃない。
同じ魂。けれど記憶のない彼女は、彼がただひとり、と決めて愛した女ではない。
だからこそ、男は躊躇する。
彼女の愛を受け止めるかどうか。
まだ幼いリヴィアを見つけたあの一瞬は、感激に打ち震えていたというのに。
瞳に浮かぶ色は変わらず、一途に自分を求める少女に、何が言えるのだろう?
暁の女神と、彼女を求めたのは彼自身だった。
心を自分に向けるように仕向けて、今さら、彼女を突き放すことなど、できようか。
けれど、彼女が求める言葉を、今のクウェンは囁くことすらできなかった。
繰り返し、好きだといえば、いつかはリヴィアにあの愛しい存在を重ねることができるだろうか?
いつかは唯一の存在だと信じることができるだろうか?
欲しい言葉をくれない男の顔を覗き込む少女は、落胆を隠そうともしない。
まっすぐに見つめられる瞳が怖くて、クウェンは半眼を閉じた。
まっすぐに見つめ返せば、その瞳に囚われそうだ。
欲しいと思いながら抗う。自分の心がわからない。
彼女も世界も視界から追い出すように、目を閉じる。
まぶたの裏に鮮やかな朱色を写しながら、クウェンは整理のつかない心をもてあましていた。
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