NEW!第11話 けむり |
スヌーピーを動物病院から引き取って、そのまま荼毘に付しました。 やっぱりスヌーピーはかわいらしく、ただ昼寝をしているだけで、今にも起きだして きそうに思いました。 花、生前好きだったおやつ類、愛用のタオルを一緒に持っていってもらったと思い ます。 火葬が終わって、お骨になったスヌーピーとの対面は息をのむのもでした。 ふわふわした毛、愛くるしい肢体は、ほとんどが灰となり、頭蓋骨などの大きな骨が 一部残るだけになっていました。 煙突からまだ昇るけむりの中に、ちょうど同じ色をしたスヌーピーがいて、天国に ゆらゆらと、この世を名残惜しみながら向かっていくかのように見えました。 |
第1話 別れの気配 |
今年(当時2000年)の1月に「ピーナッツ」(本物のスヌーピーの出てくる漫画)が作 者のシュルツ氏の体調不良を理由に連載が終了となりました。 私は漫画のスヌーピーは、「かわいいな」と思う程度で特に思い入れはなかったの ですが、それでも(漫画の)スヌーピーの首輪などあると(私の)スヌーピーに買って やったりしていたので、なんともいえない淋しさを感じていました。 (私の)スヌーピーはというと、いつものようにのんびりと寝転がっていて、時おり テレビの画像と音に目をやるといった感じでした。 一瞬、不安が横切ったのですが、「そんなことはないよな。」と考え直し、再び日 常の時間が流れていったのでした。そのわずか先に待っていたスヌーピーの悲しい 運命を、私も、そしてスヌーピー自身も知ることもなく。 |
第2話 最後の夜 |
一日入院していたスヌーピーを引き取った、スヌーピーにとって最後の日曜日とな った日のことでした。 体温が下がり、ぶるぶる震えていたスヌーピーを、この日は自分と同じふとんに寝 かせて休みました。スヌーピーは、ふとんの上は好きなのですが、ふとんの中は嫌 いな犬でした。沖縄なので寒いといってもムク犬だったスヌーピーには暑かったの でしょうか。 私はスヌーピーと一緒にふとんで眠ってみたいと思っていたのですが、スヌーピー がふとんをお気に召さない(?)ようなのでその願いはかなったことがありませんで した。 しかしその日、スヌーピーは「初めて」同じふとんの中で暖かく眠っていました。 翌朝、目覚めると私の枕元にスヌーピーが眠っています。元気はありませんでした が、それでも一緒に同じふとんで眠る夢がかなって、私は悲しい中にも少し幸せで した。 結局、この夜がスヌーピーと家で過ごした最後の夜となりました。その時には、「 通院してフォローしていけばスヌーピーは生きていける。また一緒に散歩もできる 。」と信じていました。 |
第3話 最後のキス |
これはスヌーピーが亡くなってしまう前の日のことでした。前の日から病院を替え て再入院していたスヌーピーでしたが、もう残りほんのわずかの命しか残されてい ないことは誰の目にも明らかなスヌーピーと、私はどうしても一緒にいたいと思い ました。 非常に迷惑だったでしょうが獣医さんに無理を言って受付のソファーで点滴をちゃ んとつないだスヌーピーをひざの上に抱いて、夕方から病院の閉まる頃まで居させ てもらいました。 うつろな目のスヌーピーをのぞき込むと、スヌーピーは私の口の中をなめてきまし た。恐ろしいほど冷たい舌の感触は私にとってあまりにも残酷なものでした。おそ らくもうろうとして何もわからない状態であったはずのスヌーピーでしたが、それ でも最後の力をふりしぼって、お別れのあいさつを私にしてくれたのでしょう。 私が動物病院から帰るときは、獣医さんの胸に頭をもたげて、もうふりむいてはく れませんでした。スヌーピーの最後のキスは、同時にスヌーピーの永遠のお別れの あいさつだったのでした。 |
第4話 さよならを告げに |
日付が変わりちょうど命日となった日の早朝の4時頃、私の母の夢の中にスヌーピ ーが出て来たのだそうです。母が目を覚ますと、部屋の中にスヌーピーの匂いがし たのだそうです。 もしかしたらまゆつばものの話かもしれませんが、私は、この世を去ったスヌーピ ーが天国に行く途中、10年間暮らした愛すべき我が家に、そして家族にお別れを 告げにきたのだろうと思っています。 私はというと、心労などで数日ほとんど寝ていなかったため、この日は熟睡してい ました。しかし、前日まで非常に悲しかったにもかかわらず、なぜか翌朝の目覚め がとてもさわやかでした。 スヌーピーは私のところへも来て、その夢の中で、何かしら元気づけてくれたのか もしれません。目覚めがさわやかだったので、「もしかしたらスヌーピーが持ち直 したのかもしれない。」とも思いました。しかし、そんな気持ちを打ちこわすかの ごとく、動物病院からの悲しい知らせが来たのでした。 |
第5話 さよならスヌーピー |
2000年1月26日の朝、スヌーピーの死を知らせる電話が家に来ました。 ジャージ姿のままで動物病院を訪れると、かわいらしく、つい昨日まで苦しんでい たとは思えないほど安らかな顔で棺の中で眠っているスヌーピーの姿がありました 。その体はまだ暖かく、「体に触れるといつものように起き出してくるのではない か。」そんな錯覚さえ受けました。 病院からスヌーピーを引き取り、家に戻る車の中でスヌーピーをなでてみても(当り 前ですが。)もう起き上がることはありません。 抱っこしてみると、その体は力なく、顔をのぞき込んでみると、安らかな顔を保っ たまま、座らぬ首がぐにゃっと曲がり、私と逆の方に倒れていきました。 スヌーピーがどんどん変わり果てていくのが逆に辛く、その日のうちに荼毘に付し 、スヌーピーのお骨を動物祭壇にあずけ、家に戻りました。「普段どおり、家にい てくれたらどんなにうれしいだろう。しかし・・・。」と思いつつ。 やはり出迎えてくれるスヌーピーの姿はありません。2階に上がるとスヌーピーの 寝床、餌、水入れが生きていた時のままごっちゃになっていますが、その雑多さと は裏腹に生き物の気配すらありません。 スヌーピーの幻影でもいいから見たいと思うのですが、私の目にはスヌーピーが映 らないのです。もうスヌーピーには二度と逢えないのです。死というものはここま で厳然としたものだったのです。 |
第6話 想い出の中のスヌーピー |
また正月がきました。 今までと違う事は、スヌーピーがいないこと。しかしスヌーピーはその存在を知っ ていた人みんなの心の中に生き続けているようです。 正月に親戚が集まった時に、スヌーピーの話題が出ました。「人間の言うことはよ くわかっていたみたいだった。」とか、「あまり吠えないいい犬だった。」、「カ ワイイ顔をしていた。」など、スヌーピーが聞いたら喜ぶだろうなと思うことから 、「2階から落ちた間抜けな犬。」とか「よく拾い食いや盗み食いしていた。」と か、スヌーピーの汚点のようなことまで。 うちの父親は、「午前サマで帰ってきた時に、出迎えてくれるのはスヌーピーだけ だった。」とも言っていました。 犬の割にクールではあったのですが、人間に対しては礼儀正しかった(?)スヌーピ ー。ちょっぴりバカ犬(?)で、かわいげもあったスヌーピー。 10歳という、少し早い年齢で逝ってしまったスヌーピーを皆悼んだものでした。 |
第7話 幻の中学生活 |
スヌーピーのお散歩は一日に2回、夜は私と家の近所の道を、朝は家の近くの中学 校のグラウンドでお散歩をしていました。(朝の散歩は基本的には母が、私も一時 期やってた。) スヌーピーは散歩が大好きで、「お散歩」という言葉を聞くだけで、部屋中を駆け ずりまわって喜んでいたものでした。 さて、朝の散歩を私としていた時の事です。そのお散歩場所の中学校には警備のお じさんがいるのですが、一時期いた人がとてもいい方でした、それでよくスヌーピ ーにも、声をかけてくれたものでした。 「今日も一番に学校に来たね。」とか、「一番おりこうな生徒(?)だね。」とか、 よくスヌーピーをかわいがっていただきました。 スヌーピーも、かわいがってもらえるせいか、この中学校でのお散歩はことの他大 好きだったようでした。10年以上にもわたる、「中学生活」はスヌーピーにとって も楽しい想い出だったことでしょう。 スヌーピーは11月で12歳、人間で考えたら来年は中学生です。今はスヌーピーは天 国では犬の小学校にでも通っているのかな?もしかしたら、天国で来たる中学生活 に、意に反して途中で終わってしまった「中学生活」の再開に思いをめぐらせてい るのかもしれません。 |
第8話 運命を知っていた? |
そろそろ、スヌーピーが亡くなって2年半が経ちます。 命日が近づいてきました。思い返してみると、ちょうどこの時期、スヌーピーはク ールな面のある犬だったのですが、なぜか甘えん坊になっていました。 いつものお散歩をせがむときも、机に座っている私の足にすりよってきたりしてま した。ふだんは、だいたい目でアピールしていたのですが。 散歩から帰ったあとも、どこにも行かず椅子のうしろで寝ています。 まあだから、椅子を引いたときに「ギャン!」なんてこともありました。ごめんね 。スヌーピー。そして、私が学校などに出かけようとすると、「ぼくも行きたい」 とばかりの目で見つめ、部屋から玄関までずっとついてきたりなど、いつも以上に 甘えん坊になっていました。 そのとき、私はスヌーピーの命が残り少ないことに気が付いていませんでした。よ りかわいい犬になってただうれしいだけでした。でも、もしかしたらスヌーピーは 自分に残された時間が少ないことを知っていて、できるだけ家族と一緒にいたいと 思っていたのかもしれません。飼い主として、本当に悔やまれます。 |
第9話 スヌーピーの陰 |
布団を干す以外にはほとんど出なくなったベランダに出てみると、ベランダの 壁には黒くなっている部分があります。スヌーピーがいつも横になっていたり、鼻先を こすりつけていた場所です。 スヌーピーがこの世を去って3回目の夏が来ますが、スヌーピーの残した「陰」は今 でも残っています。陽射しの当たらない風通しのよい場所と、暖かい場所です。 この陰を見ると、少し忘れかけていたスヌーピーの大きさ、ぬくもりがよみがえって くるようです。 あと、部屋の柱にはスヌーピーがかじったあとがまだ残っています。 部屋の壁にも、スヌーピーの陰は残っています。 壁にもたれかかるようにして寝そべったスヌーピーの姿、心地いい場所で横になって いるスヌーピーの姿、時は経ってもスヌーピーの姿はずっとかわいらしいままです。 でも、その陰を見ると、ちょっと淋しい思いがするのも事実です。 楽しい想い出ももちろん思い浮かぶのですが、亡くなる時の悲しい気持ちも思い 浮かんできます。 スヌーピーの残した壁の陰は、同時に私の心の陰でもあるのかもしれません。 |
第10話 さよなら写真 |
これもスヌーピーが亡くなる前の日のことです。スヌーピーの検査値は下がりません。 事実上の敗北宣言でした。 それは、スヌーピーを助けることはできないことを否応なしに知らしめました。 もっと元気なときにいっぱい写真を撮っておけばよかった。そう強く後悔しましたが、 もうこの世を去ってしまうスヌーピーとのせめてもの想い出にと、写真を撮ることにしました。 スヌーピーはもう立ち上がることもできません。 でも、家に帰ったスヌーピーは心なしかうれしそうでした。家の中のお気に入りだった場所、 に連れて行ったり、家族で一緒に写真を撮りました。 家の中いろいろな場所に、抱っこして連れて行っている間にも、スヌーピーがはじめて 来た日の玄関でのこと、1階のお風呂から飛び出して一目散に2階に駆け上がっていく元気な スヌーピー、2階から落ちた日のこと・・・。たくさんの想い出がまさに走馬灯のように私の脳裏 を駆け巡りました。 同時に、「スヌーピーはうちに来て幸せだったのだろうか。もし他の家にもらわれていたら、 こんな病気もせずにもっと長生きして、幸せな一生を送ったのではないだろうか。」と思い 辛くなり、この犬があまりに不憫な存在に思えて仕方ありませんでした。 今でも、スヌーピーにわびたい気持ちは残っています。 スヌーピーの時間は止まってしまいました。でも、最後の写真の中には、スヌーピーの生きて いたい気持ちが、そして10年の家族との時間が、封じ込められています。今後も色あせることは ないと思います。 |
|