お別れマニュアル

かわいい愛犬ともいつかはお別れの日が来るものです。「マニュアル」とは大袈裟
ですが、自分の経験、他の人から聞いた話などを紹介しようと思います。

(最終更新日2003 7/21)





NEW!10 本当に最期の時
死を看取るようなことは少ないとは思うのですが。癌などの慢性疾患だと、
最期を看取る機会があるか思います。

死が近くなってくると、気道内の分泌物が増加して、「ゴロゴロ」という音がする
ようになってきます。とても辛いと思いますが、この頃になるとペットの意識は
もうないので、苦しみからは解放されています

また、死の直前には呼吸の変化も出てきます。努力呼吸表現するべき、ぜえ
ぜえとした感じの呼吸が出てきます。これも、見た目には辛いのですが、この頃
にも、意識はなく、苦しみからは解放されています。

でも、聴覚は死の直前まで残ります。体が弱っているから反応できないだけで、
飼い主の呼びかけを最後まで感じ取ることができます

呼吸の状態が変わってしまい、悲しみと驚きでどうしてもうろたえてしまうと思い
ます。でも、その頃にはペットは苦しみから解放されています。
受け入れることはとても難しいと思いますが、「苦しんではいない」ということを
少し頭の隅に入れてもらえたらと思います。そして、最期まで暖かい声かけを
続けてほしいと思います。


1 犬が老年期を迎えた時
仔犬の時のような「見てくれのかわいらしさ」は多少失われてきますが、家のルー
ルというものを理解し、賢く行動するようになってきます。そこにまた新しいかわ
いらしさが出てくるものだと思います。
いわゆる、「お犬様」として扱う必要はないと思いますが、毎日一緒に散歩したり
、餌をやったり、という日常の動作の時に話しかけてやったり、これまで以上に多
くなでてあげたりということをすると、亡くなったあとに、「ああ、もっとかわい
がってやればよかった。」などという悔いは多少減ると思います。

もちろん、それは犬のためでもあるし、こういうことはかわいい愛犬に対してなら
誰でも自然とできるのでしょうが、残された時間というものを頭の隅にでも意識し
ていると、愛犬が去っていったあとも、悲しさと共に、最後まで面倒を見たという
、一種の充実感が残ると思います。

あと、この時期人間の食べ物を与えたりすると、吐いたり下痢をしたりということ
が起こりがちなので、もしごちそうを与えたいのなら、「老犬用」と書いてある缶
詰なんかの方がまだいいのではないかと思いました。うちのスヌーピーの場合は缶
詰だと、便が軟らかくなる程度で支障はありませんでしたので。

2 具合が悪くなってしまったら
スヌーピーの死因ともなった、犬や猫に比較的多い腎不全のことを中心にお話しま
す。
急に元気がなくなり、横になっていることが多くなり、呼吸が大きくなったら腎不
全の状態を疑うべきでしょう。やはり第一は病院に連れて行くことです。そこで血
液の検査をしてみるとおしっこの中にあるべき毒素が血中に多くなっています。

ただ、これだけでは急性の一時的なものなのか、慢性の不可逆的なものなのかはわ
からないので、一晩くらい入院して治療を受けることになります。

入院時に透析をするのですが、ふつうの動物病院の透析は犬の皮下に透析液を注

する皮下透析で、応急処置的なものです。急性の腎不全ならばこれで回復すること
もあるのでしょうが、残念ながら慢性の場合はほとんど何の効果もありません。

他には薬をもらえます。毒素の吸着作用のある「クレメジン」という薬と、あと、
腎臓を悪くするとたいてい貧血が起きるので、それを改善するための「エリスロポ
エチン」という薬です。

入院した場合一日の費用は12000円前後です。内訳はだいたい以下のようになって

ます。

入院宿泊費/ 3000円
薬代/ 一種類につき約1500円くらい
注射代/ 1500円くらい
透析費/ 3000円くらい

です。

ここ沖縄にはないのですが、獣医学部のある大学の附属病院には人間の使うような
人工透析器があるそうです。しかし、一回一万円ではとてもすまないでしょう。し
かも、それでも長くは生きられないそうです。

どちらにしろかなりの高額です。しかも腎不全は決して治りません。お金はどんど
ん出て行くのに犬はどんどん弱っていく、しかも近いうちに必ず亡くなってしまう
という非常に辛い状況に置かれることになります。

残念ですが、「◯◯ちゃんは腎臓が悪い」と獣医さんに言われたら、一週間ないし
10日の間にはお別れがあることを覚悟すべきです。悲しいのですが。

3 亡くなってしまったら。
一生を過ごした家で、家族に看取られて天国へ旅立つペットは極めて幸せな部類に
属すると思います。病院に入院中に亡くなってしまうペットもいれば、苦しんだ末
、やむにやまれず安楽死を余儀なくされるペット、事故で亡くなってしまうペット
などあわれなものです。
亡くなってしまった場合、沖縄県では大里村にある動物愛護センターに遺体を引き
取ってもらうか、西原町にある(「タウンページ」にも載っています。)「沖縄ペッ
トエンゼル」というペットの葬祭業者に火葬、納骨してもらうか、ということにな
ります。大里村の動物愛護センターの詳細についてはわかりません。料金(確か安か
った)を支払って、火葬してもらい、慰霊碑に祭るという形式ということしかわかり
ません。

「沖縄ペットエンゼル」の方について紹介します。

こちらの方は、遺体の引き取りから行なってもらえるようです。私は直接出向いた
ので引き取り料金についてはわかりません。

火葬については、「単独葬」と「合同葬」の2つから選べます。

◎「単独葬」
料金25000円。火葬場が空いていればすぐに火葬してくれる。時間のない人やペット
の遺骨が他のペットの遺骨と混ざるのが嫌な人にはこちらがいいと思います。

◎「合同葬」
料金10000円。3体同時に火葬するので3体揃うまで待たなければならない。金銭的
に余裕のない人、飼っていたペットが同時に亡くなってしまった(「3匹同時に」は
さすがにないと思いますが。)人にはこちらがいいと思います。

火葬時間は2時間30分程度です。

火葬後の遺骨ですが、業者側にその処理をまかせてしまうこともできます。が再び
別料金を払って祭壇にお奉りすることもできます。

祭壇は一年毎のレンタル制です。10000円と5000円の2つのコースがあります。

◎10000円コース
サイズは縦40センチ×横30センチ×奥行き40センチくらいの広さです。個別になっ
ています。

◎5000円コース
サイズは縦40センチ×横100センチ×奥行き40センチくらいで、3体から4体一緒に
納骨されます。

今の場所(西原町の工業団地)から移転して、新たに慰霊碑を建立する計画もあるそ
うです。

スヌーピーもここに眠っています。
死してなお、スヌーピーは心をなぐさめてくれます。

4 時間が経てば
とても辛く悲しいペットとのお別れですが、時間が経てば悲しみはずいぶん薄れて
きます。
その段階に至るまでは「思い出すとどうしようもなく悲しい」だけなののですが、
ある時を境に、「思い出すと心が暖かくなる。」そういう気持ちになってきます。
「ペットがそばにいない悲しみ」というものはいつまでも、一生残るものだとは思
いますが、それでも、誰もが一緒に過ごした時間を肯定的にとらえられるようにな
るものだと思います。

「時間が解決する。」というのはよく言ったものだと思います。
他にもまだペットを飼っている人ならば、そのペットとの生活があるので、もっと
悲しみが癒えるのは早いのかもしれません。

ペットとの死別を癒す一番の方法は、「時間に任せること」、「他に新しくペットを飼
うこと」。 この2つに尽きるのかな?とも思います。

私のスヌーピーも死してなお、心を暖めてくれます。これこそが、「心の中で永遠
に生き続けている。」という事かなとも思います。

思うに、生き物の死には2つあると思います。一つが普通の死で、物理的な死。そ
してもう一つが死した者を記憶している者が全て死んでしまった時。誰の心の中か
らも死に絶えてしまった状態で、言わば社会的な死。この社会的な死が本当の意味
での「死」なのだと思います。

ですから、亡くなったペットも飼い主が生きていて思い出してくれている限りは本
当に「死んだ」状態ではないのだと思っています。

5 安楽死に思うこと
もう助かる見込みがなく、ペットの苦痛も著しい場合、安楽死という手段を選ぶこ
とは、仕方のないことだと思います。
苦しみから解放してあげるという意味では、飼い主が与えてあげることのできるも
しかしたら最後のやさしさなのかもしれません。

しかし、いくらやさしさであるとはいえ、愛するペットの命を自らの手で断ち切っ
てしまうことは辛いことです。誰もができることではないと思います。また、食欲
があるうちは、ペットに生きる意志があるので、安楽死させてはいけないと思いま
す。

金銭面の理由でという場合、残念で悲しいことですがこれも正論だと思います。

病院で亡くなってしまい死に水をとってやれなかったスヌーピー、もしかしたらた
とえ安楽死であったとしても、そこで家族が見守っていれば、それがスヌーピーに
とって一番幸せな死に方だったのかもしれません。

私自身も場合によっては(というか犬であるゆえに、そして人工透析の施設もなく治
らないことがわかっていたので、真剣に)安楽死という辛い決断をしなければならな
いのかと考えていました。そして、その旨も獣医さんに告げました。(ただし、「安
楽死にして下さい」とは言ってません。そのときはそんなことは嫌だと思っていま
した。)

全くの憶測ではありますが、スヌーピーは入院中に力尽きた可能性と、わずかでは
ありますが安楽死を迎えた可能性もあります。万が一安楽死であった場合、スヌー
ピーの苦しみは極致だったのでしょう。そのスヌーピーを苦しみから解放してあげ
ること、そして飼い主自身に「安楽死」という辛い決断をさせなかった、獣医さん
のやさしさだと受け止めています。

しかしあくまで私は、スヌーピーは天寿を全うしたのだと思っています。

スヌーピーの死を告げる電話を受けたとき、永遠に逢えなくなった悲しみ、看取っ
てやれなかったふがいなさなどが脳裏をよぎり悲しかったのですが、「安楽死」と
いう自らスヌーピーの命を断ってしまう決断をしなくてすんだという荷が降りたよ
うな気持ちは正直なところありました。

頭ではわかっていても「安楽死」の事を考えるととても辛かったのです。それを見
越して、スヌーピーは天国へ旅立ったのかもしれません。親バカみたいではありま
すが、人の考えてることを察することのできる、頭のよい犬でした・・・。

6 死してもなお
亡くなった後も、お墓参りに行ってあげると天国のペットも喜ぶと思います。また
、ある意味自分自身のなぐさめにもなると思います。命日でもいいし、月命日でも
いいし。何かの折りに「現状報告」を兼ねて行くのもいいかもしれません。
モニュメントとしてではありますが、まだ「形あるモノ」として存在しているので
すから、何か落ち込んだ時に「逢いに」訪れてみるのもいいと思います。
線香をあげたり、お供え物などをあげたりしているうちに、心も少し軽くなります
。ペット自身も天国でもちろん喜んでいると思いますが、飼い主自身の心も癒され
るということが、まさに死してもなお、「心の中に生き続けている」ということに
他ならないと思います。

人が全くいないときにしかできませんが、自分自身は、スヌーピーのお骨の入った
きんちゃく袋を胸にだっこしてみたことがあります。きんちゃくを取り出すことは
、それは棚の中にあるので簡単にできます。

手の中に感じる重みだけではなく、生きているスヌーピーをだっこしたような感覚
が甦り、「スヌーピーは10年間しっかり生きていたんだな。」と、懐かしく思い、
そして勇気づけられたものでした。

自分でもとても不思議に思う程、心がすっと軽くなり、ちょっとびっくりしました
。「試せる人は、試してみてはどうですか?」と言いたいくらいです。

死して、お骨になってもなお、スヌーピーは立派に生きているのだと思いました。

7 何らかの形で
こじつけがましくなくもないのですが、ペットは亡くなったあとも不意に何らかの
形で逢いに来てくれるように思います。
例えば、夢の中、うちのスヌーピーも、たまに夢の中に出て来ます。

だっこした感触などが夢の中ではありますが、生き生きとよみがえってきます。「
やっぱりどこかで生きてたんだ。うれしい。」という気持ちになります。

夢から醒めてしまうと、やっぱり現実が待っていて、淋しいのですが、それでも、
夢の中にスヌーピーが逢いに来てくれた、一瞬だけでも遊べたという、ささやかな
うれしさは何事にもかえられません。

また、自分の体験でびっくりしたことですが、スヌーピーの命日に、スヌーピーそ
っくりな犬に出会った事があります。

スヌーピーに、大きさ、顔、毛の色、動き、どれをとってもそっくり。スーパーで
親の帰りを待っていた、飼い主の子に聞いてみると、「ちょうど1才」とのことで
した。

単なる「すごい偶然」か、それとも何かが巡り合わせたのか、はたまた考えすぎか
?どっちでもいいのですが、「逢いにきてくれた」と思うほうが、なんとなくうれ
しいのではないかと思います。

「ペットだって、飼い主にたまには逢いたいに決まってる。」そう強引に考えて、
私はそういった出来事は、全て、「スヌーピーが逢いに来てくれた。」そういうこ
とにしています。きっとそうですよね!

だから、ペットを亡くされて悲しんでいる飼い主を、そのペットが天国から見つけ
たら、何らかの形で逢いに来て、きっとなぐさめ、元気づけてくれると思います。

8 想い出の品
ペットが亡くなってしまうと、首輪、食器、タオル、犬小屋など、そのペットが使
っていた愛用の品が遺品として残ります。
「想い出の品として大切にとっておく。」でも、「天国で使えるように一緒に弔っ
てあげる。」でもどっちでもいいと思います。亡くなってしばらくの時期には、や
はり前者の方が大多数だとは思います。

でも、「忘れてやることも供養」とも言いますから、「悲しみをひきずりたくない
。」と強く断ち切りたい思いを持つ人は、ペットが天国で愛用の品を使えるように
一緒に火葬もしくは埋葬してあげてもいいのかもしれません。それができるのであ
れば、むしろそっちのほうがいいのでしょう。

やめた方がいいと思うのは、少し矛盾しているようですが、「形見に遺しておきた
いけど、◯◯ちゃんが天国で使えるように、敢えて一緒に持っていかせてあげよう
。」「悲しみを忘れたいから、いっそのこと処分してしまおう。」といった感じで
、自分の意志に反して処分してしまうことだと思います。

あるものを処分することはいつでもできますが、ないものを再生することは不可能
です。悲しみで冷静になりにくいとは思いますが、遺品は、「迷ったら、残してお
く。」べきです。

あと、遺品をとっておくときは、時間が経つと他の家族が捨ててしまうこともあり
ますので捨てられたくないのであれば、「一つにまとめる」「捨てないようにきち
んと表示、そして家族で確認しておく」などしたほうがいいと思います。自分の場
合は、スヌーピーが使っていたタオルを別のところに保管していたら、ただのボロ
布と間違われて捨てられてしまったことがあります。

あと、首輪をお守りとして鞄の中などに持ち歩くこともやめた方がいいです。臭い
のと、なくしてしまうからです。

実は自分もそれをやっててました。臭いのは、ラップをまいたりしてどうにかなり
ました。しかし、なくしてしまいました。鞄の奥に入れておいたのにです。何かの
はずみで鞄から落ちたとしか考えられないのですが、奥底に入れているのに落ちる
なんて、納得がいきません。具体的にいつなくしたかもわかりません。

自分の感じとしては、急に消えていた感じです。知人でも、同じようにお守りがわ
りに持ち歩いていた人がいたのですが、その人も、なぜかわからないけどなくした
そうです。なぜかわからないけど、大事なものほどなくしてしまいがちです。しか
も首輪は形見としては最も価値があると個人的には思うので、なくしたことを知っ
たとき、かなりショックでした。

それでも、保管しておいても、時間が経つと遺品に対しては関心がなくなるもので
す。でも、たまに物置なんかで不意に目に入ると、なんともいえない暖かい気持ち
になるものです。亡くなった頃は、遺品を見ると悲しみが増すものですが、ある程
度時間が経つと、遺品は楽しかった想い出を呼び醒ましてくれます。

まあでも、遺品はなくても、写真さえもなくても心の中にはずっと生きてます、だ
から遺品は本来二の次、一番大切なのは記憶、つまり想い出なんですよね!
9 甦ったスヌーピー
以前、6 死してもなおでも書きましたが、夢の中では、亡くなったペットが夢に現
れて、ペットが亡くなったあとにも、ペットが生きていた日々と同じ気持ちになる
ことがあるかと思います。
最近私がみたおかしな夢は、「亡くなったスヌーピーが生き返った」というもので
した。スヌーピーが、普通に家の中ですごしているのです。「スヌーピー、お前生
きていたんだね。」と声をかけると、うれしそうに飛びついてきます。

夢の中、私もスヌーピーが亡くなったはずのスヌーピーが生き返った事を疑いもし
ません。

そして場面は変わりおばあちゃんの家のあるとある小さな島。スヌーピーを連れて
行くと、そこには叔母たちがいて、「あ、スヌーピー生きてるさー、死んだんじゃ
なかったの?」とか、「スヌーピーどっかに逃げていたわけー?」とか尋ねてきま
す。

スヌーピーのもとの飼い主の叔父は、「スヌーピーは昔二階から落ちたときにも死
に損なって、また死に損なったなあ(笑)ー。」と言っています。スヌーピーは大喜
びで残りものをもらって食べています。生きていたときとそのままです。

またまた場面が変わり、スヌーピーと、海辺を散歩してます。夢の中のスヌーピー
は、話もするようになりました。子どものような声で、「おなかすいたー」、坂道
にさしかかりると、「もうつかれたー、だっこして」と言います。だっこすると、
夢の中とはいえまさにスヌーピーの感覚が甦ります。

残念ながら、そこで目が醒めてしまいました。

目が醒めてみると冷静で、スヌーピーは亡くなり、荼毘にも付したことを思い起こ
します。もうスヌーピーはいないのだと改めて思い、それだけは淋しい瞬間です。

全く、おかしな夢を見たものですが、それでも一瞬だけでも楽しい日々を反芻する
ことができ、幸せでした。前にも書きましたが、亡くなったペットは必ず夢の中に
会いに来てくれます。一瞬かもしれませんが、亡くなったあとでも、楽しい日々は
誰の夢の中で再生されると思うので、その時は夢の中、楽しんでくれるといいと思
います。
10 「死ぬ瞬間」
アメリカの精神科医、キュブラー=ロスという人は、自らの、「死ぬ瞬間」という
文の中で、末期の癌など、命が救われる見込みの薄い疾患の患者に、「告知」をし
た場合に患者心理の中に生じる気持ちの変動を、順に5段階に分類しました。
第一段階「否認と隔離」
「死の宣告」という予期しない衝撃的な事実を聞かされたとき、そのショックを回
避するために、まず否認が起こる。

第二段階「怒り」
しかし、死に直面している現実を認めざるを得なくなると、次に怒りや恨みがこれ
にとってかわり、「なぜ自分だけがこんな目にあわなければならないのだ」と、こ
の怒りが八つあたりとなって周囲のものに向けられるようになる。

第三段階「取引」
次に人は、宗教(神や仏)に走り、「自分がどうしたら延命できるか」の取り引き(「
もうお金はいりませんから命だけは助けて下さい」とひたすら祈る。)をはじめる。

第四段階「抑うつ」
第一段階〜第三段階までの心のステップを経て、それが無駄であることを知った患
者は「うつ状態」になる。さらに病気が進行し、痛みなどの苦しみのためにうつ状
態がより悪化し、衰弱も進むため無力感が深刻となる。それとともに、この世の別
れを覚悟するために、他人から癒されることのない絶対的な悲しみを経験する。

第五段階「受容」
最期には、患者は「長い旅の前の最後の休息」の時が来たかのように、自分の最期
を静かに見つめることのできる「受容」の段階に入る。

しかし、全ての人が最終段階の「受容」を迎えられるわけではなく、「抑うつ」と
いったような悲しみのどん底で最期を迎える悲しいケースも多々あります。

これは、人間の死にあたってのものですが、ペットの死を迎えるにあたっての飼い
主の気持ちとしてもあてはまると思います。自分にとってもそうでした。「終りの
気配」を読んでいただければわかると思いますが、「スヌーピーが不治の病になっ
たことへの否認」、「なぜスヌーピーがこんな目に遭わないといけないのだろうと
いう憤りに似た気持ち」「神棚に祈ったりなど」「もうお別れが避けられないと知
ったときの深い悲しみ」すべてあてはまると思いました。

そして、亡くなってから、徐々に最終段階の、「受容」のというものが来ました。

ペットの2匹目、3匹目のお別れとなるとまた微妙に違った心境なのかもしれませ
んが、悲しみのどん底でも、それを受け入れられる時は必ず来ると思います。悲し
みのどん底というのは、第四段階、次に来るのは安らかな、「受容」です。ですか
ら、今悲しんでいる人には、「悲しみを受け入れられる時はきっと来る」というこ
とを知っていただけたらと思います。




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