このページは、スヌーピーの具合が悪くなってから、そして亡くなってからの飼い 主としての自分の気持ちの動きを載せていこうと思います。 2000年1月24日分からは、その時に書いた自分の手記になってます。(今見るとちょ っと恥ずかしいのですが。)他のページの更新と兼ねあわせて、今年中には完成する 予定です。 |
2000年1月20日(木) 夜、スヌーピーの喉もとをなでてやろうと、スヌーピーの首を上に(背中の方に)軽 く曲げる。すると、「ギャン」と鳴き、すごく痛がる。 しかし、スヌーピーは喉もとをなでてもらうのが、特にブラッシングしてもらうの が好きなものだから、自分から首を曲げてせがんでいる。痛そうな様子はすでにな い。 それで、ほとんど気に止めず、散歩に行く。至って普通な、日常の散歩だったのだ が、一度だけ、スヌーピーが立ち止まってしまう。匂いをかぐでもなく、ただ、ぼ ーっと立ち止まっている。 「スヌーピー、行くよ!」というと、歩きはじめる。少し元気がない感じはしたが 、それでも私は全く気にしていなかった。スヌーピーはすでにもうだめだったのだ ろう。今思うと本当に自分はバカだと思う。 おそらく、この日をもってスヌーピーの腎臓は、ほとんどの部分がだめになってし まったのだろう。 首を曲げて痛がった原因は、よくわからない。腎不全では骨が弱くなったり、神経 障害も出てくるから、そのせいだったのだろうか。スヌーピーは、おそらく以前か ら体の変調のサインを出していたのだろう。しかし、それに全く気が付かなかった なんてバカな飼い主だ。 その日は散歩を終えて、スヌーピーも休み、表向きは平凡な日々が終わった。しか し、この日が自分にとってもスヌーピーにとっても幸せだった最期の日となってし まった。 2000年1月21日(金) この日の夕方まで、自分はスヌーピーの異変に気が付かない。その日の朝のスヌー ピーはベランダで、ふつうに丸くなって寝ている。だから昨日のことも気にせず、 出かける。 戻ってくると、スヌーピーが玄関に(一階に)行きたがるので、玄関に降ろす。そして、 少し用事があったので、出かける。 再び戻ってくると、スヌーピーが毛布にくるまって、息を荒くして、横になっている。 「こんなになっているのになぜ病院に連れていかないのか。」と親に対してかなり 腹が立ったが、とりあえず最寄りの動物病院に行く。 情けないことに、自分にとってははじめての動物病院だった。(スヌーピーにとって も、二回目。)そこで待っていると、隣にいる犬がスヌーピーに対して興味があるよ うで、スヌーピーに鼻先を近づける。スヌーピーは、嫌がってだっこしている腕の 中から出て行こうとする。病院に連れて来た安心感からか、自分には、元気はなか ったものの、スヌーピーの目は輝きを取り戻したかに見えた。 先生が出てくる。今日は遅いので、詳しい検査はまた明日とのことで、採血だけし てもらう。診察台の上でも、スヌーピーは、嫌がりはするものの、予防注射の時に 比べるとずいぶんおとなしい。やっぱり、いつもにくらべたら元気がない。 そのときに、耳が汚れているということで、耳のそうじをしてもらう。そして、ず いぶんやせているとも言われる。飼い主として、かなり恥ずかしい。かわいがって るようで、実際は何にもしてなかった。 その日はスヌーピーを連れて、家に帰る。帰りにおやつを買ってあげたら、すごい 勢いでバクっと食べてくれた。その日は、お気に入りの玄関で休ませてあげる。こ のときまでは、心配ではあるものの、風邪かなんかだと思っていたので、おいしい ものでも食べれば、元気になると思っていた。 2000年1月22日(土)その1 土曜日、朝一番で昨日行った動物病院にスヌーピーを連れて行く。 待合室には他の犬も来ている。定期の予防注射のようで、その犬はすごく元気だ。 スヌーピーに元気がないのとは対照的だ。 スヌーピーの番になり、診察室に入る。血液検査の結果が出ていた。肝臓の機能は ほぼ正常。フィラリアもいないとのことだったが、腎臓の機能を表すBUN、Crという 値が高くなっている。 この値を見たとたん、自分の、半ばは楽天的だった気持ちが大きな不安と悲しみに 変わる。「何か悪いものを食べて、一時的に、急性に腎臓の機能が悪くなったのだ ろう。」そう思いたい。 「2、3日前、散歩のときにちょっと立ち寄ったコンビニで、ヤンキーのお兄さん 、お姉さんがスヌーピーに何かあげてた。それが悪かったのかもしれない。」と自 分に言い聞かせてみる。 スヌーピーはこの夜、入院が決まった。点滴、そして治療を受けながら入院で腎機 能の様子を見ることに決まった。 注射が大嫌いなスヌーピーが、暴れる元気もなく、わりとおとなしく点滴の針を刺 してもらっていた。この光景にも不安をかきたてられる。 スヌーピーは小さなゲージに入れられる。柵の中から見つめていたスヌーピーの悲 しげなまなざしは今でも忘れることができない。 しかしそれでも腎不全用の食事を、犬にとってもおいしくない食事らしいのだが、 スヌーピーはそれをすさまじい勢いで食べる。「スヌーピーは生きたいのだ。」 「夜は8時までやっているから、また病院を閉める前にでもお見舞に来なさい。」 との言葉をかけてもらった。スヌーピーと離れたくない。だがとりあえず、今はス ヌーピーをまかせるしか方法はない。 「夜にまたお見舞に来ます。スヌーピーを助けて下さい。」とお願いし、病院をあ とにした。 2000年1月22日(土)その2 夜、スヌーピーのお見舞に行く。愛用のタオルと、おやつを持って。 スヌーピーは比較的元気そうだ。ゲージの中で用を足すということは、一切なかっ たようで、「スヌーピーはおりこうだね。」とほめられている。 ゲージの所に行く。スヌーピーが僕の姿を見つけると、とてもうれしそうにしっぽ をふる。うれしそうに見える。スヌーピーは比較的クールな犬だったから、その光 景はかわいいもんではあったが、わりと珍しく自分の目に映る。 おやつのジャーキーが食べたくてしょうがないようで、スヌーピーの意識はそれに ばっかり行ってるようだ。本当は食事は腎不全用の食事でないといけないのだが、 特別にスヌーピーはビーフジャーキーを食べることができた。 散歩に出すや否や、スヌーピーは植え込みのところでおしっこをする。それもたく さん。かなり我慢していたのだろう。自分の犬ながら、そこがいじらしく、かわい いと思う。大きいほうもしたのだが、やはり、普段とはちがう性状だ。 「散歩もできるし、しばらく病院で養生したらまた家に帰れるだろう。」不安の方 が圧倒的に大きいがそう思うことにして、スヌーピーを再び病院に預け、家に帰る が、ゲージにスヌーピーが入れられる光景はいつ見ても辛い。 家に戻る。家にスヌーピーがいないということがこんなにも淋しいこととは思わな かった。家が殺風景に感じる。スヌーピーの存在はこんなにも大きかったのかと改 めて思い、回復を願う。この日はなかなか眠れなかった。 2000年1月23日(日) 朝10時から一時間病院を開けるというので、10時前には病院にスヌーピーをお見舞 に行く。 前の日に比べても、元気にはなっていない。病院の先生は、「元気になってる」と 言っているが、楽観的に見ても、そうは見えない。 で、先生に、「これからスヌーピーは、腎臓の薬をずっと飲みつづけなければなら ないこと」、「食事は腎臓病用の食事を取らなければならない」などということの 説明を受ける。 もしもそれでスヌーピーが生きていてくれるのなら、自分の貯金の続く限り治療を 受けさせようと強く思う。 日曜日はもう病院には誰もいなくなるということだったので、明日また外来に連れ て来るということにして、スヌーピーを引き取り、帰宅する。 家に帰っても、スヌーピーは横になっている。しかし、水は飲み、缶詰のドッグフ ードはおいしそうに食べる。でも、それ以外の時間は、横になっている。 スヌーピーに触れてみると、明らかに異常とわかるほど、体温が低い。どうしよう もなく悲しくなる。スヌーピーをベッドに寝かせ、布団をかけて休ませる。ムク犬 なので布団の中は暑くて苦手だったスヌーピーだが、おとなしく寝ている。呼吸も 荒い。どうしたらいいのかもうわからなくなる。時間単位でスヌーピーの容体は悪 くなるのだ。 夜、トイレがてら散歩に連れて行く。だが途中でスヌーピーは立ち止まってしまう 。もうこれ以上歩けないようだ。思わず、「スヌーピー、歩いて」と声をかけるが 、立ち止まったまま動かない。出かける時には、喜んでいたにもかかわらず、スヌ ーピーは歩く事ができない。 あんなに大好きだった散歩もスヌーピーには辛いことになったようだ。この小さな 犬を襲った病魔が憎くなり、そして何もしれやれない自分が憎らしい。あまりにも スヌーピーが不憫でならない。 抱きあげて家に戻り、その日は同じ布団の中で休ませる。しかし床の中で何度も目 が醒める。寝ている間に何か起こりはしないかと不安がつのる。 2000年1月24日(月)その1 朝目が醒めると、スヌーピーが横で寝ている。昨夜寝かせていた場所から全く動い ていない。ふとんの中をあんなに暑がっていたスヌーピーだったのだが、身体が冷 えて、そして動く元気もないようだ。 しかし、寝てしまった間にまさか最悪の事態がと気が気ではなかったので、とりあ えず安心する。 朝、大好きな缶詰のドッグフードに「クレメジン」という薬をカプセルから出し、 それをまぶしてあげる。お腹自体は空いているのだろう、すさまじい勢いで初めは 食べる。 しかし、途中で食べるのを止めてしまう。どんなにすすめても、もう食べない。よ ろよろとベランダに移動し、そこでパタンと倒れてしまう。病院が開くのを待って 、すぐに連れて行く。そこで点滴やらをしてもらう。 「もし危ないなと思ったら、ここに電話しなさい」と獣医さんの携帯の番号をもら う。こんなに親切にしてもらって恐縮に思う半面、「獣医さんももうあきらめたの だろうか?」と不安が広がる。 でも、まだ自分は急性腎不全の可能性があって、もしかしたらまだ治るかもしれな いという望みを、若干無理にではあるが持っていたので、スヌーピーの回復を信じ ることにする。 その日は午後から試験だったので、試験を受けてきて、家にすぐさま戻る。自分が いない間に、スヌーピーは下痢をしたらしい。それで母がスヌーピーを風呂に入れ たようだ。こんな事を言う。 「スヌーピー、(犬)くさくなくなってる。どうしたのかね。」 確かに、犬のにおいがしなくなり、シャンプーのにおい以外に、甘いようなにおい が呼気からする。「これが腎不全の時のケトン臭というものか。」と追い詰められ た気持ちになる。 スヌーピーはもう横になったままで、立ち上がろうとはしない。突然、「ウオーー ン」と、スヌーピーが、今までに発したこともないような辛そうな、尋常ではない 吠え方をする。 時間単位でスヌーピーの容体は悪化しているようだ。スヌーピーを車に乗せて、他 の人から聞いた別の病院に連れていった。今までの獣医さんには、悪いと思いつつ。 2000年1月24日(月)その2 スヌーピーを別の病院に連れていった。 まずはレントゲンを取ってもらい、血液検査をしてもらう。 「フィラリアはいなく、腎臓以外の機能は問題ない。」とのこと、ただ、「腎臓の 検査の結果が悪く、今日は入院にして尿毒素を排出する治療をし、腎不全が可逆的 なものか不可逆的なものであるかどうかを判断する。」という、前の病院と同じよ うな事を言われる。 レントゲンを取ると、骨が少々弱くなっているらしい。自分の目にも骨の陰影が薄 く感じられる。スヌーピーはもう前から辛かったのかと、よけいに悲しくなる。 でも、病院を変えたという気のせいだろうか、少々気持ちが楽になる。明日はもし かしたら腎臓の検査値がよくなるかもしれないと、思う。しかし同時に不安も大き くなる。 その日は家に帰るが、帰ってくると、スヌーピーを譲り受けた叔父と自分のいとこ にあたる子が来てる。「虫の知らせ」的な悪い予感がする。 「スヌーピーが入院した。」と告げると、叔父さんは、「もう年だからな、スヌー ピーは。」とあんまり深く考えていない。いとこは心配しているようだったが、高 校の寮の門限が近いということで、お見舞には行かず帰る。 スヌーピーを元の飼い主に会わせてあげたかったと思うが。もう11年も前に手放し た犬なので、仕方がないことだろう。 この日もなかなか眠れない。「スヌーピーの命を救って下さい。」と神棚に祈った りもした。もう一番鶏が鳴きだした頃、何故か「たぶんよくなっている。」と根拠 のない安心感が生じてきて、床についた。 2000年1月24日(月)(メモ) (昼頃書いたもの) 大切なスヌーピーをこんなに早く失いたくない。なんにもしてあげられなかった。 いくらわびても足りない。スヌーピーがいなくなったらどうやって生きていけばい いのだろう。薬が効いて元気を取り戻してほしい。 (夜書いたもの) スヌーピーが再入院してしまう。肝臓は大丈夫とのことだが腎臓が予想していた以 上に悪い。急性腎不全だとまだ救いなのだが。スヌーピーのためならいくらでも貯 金を崩そう。ほんとうに淋しい。どうしたらいいのだろう。 スヌーピーが元気になってほしい。 2000年1月25日(月) 朝、その日は大学病院にいた。 10時に病院が開くということなので、10時を過ぎたら、電話をかけてみた。BUN、Cr という腎臓の機能を表す値はよくなっていないということだった。 早速病院に行ってみると、スヌーピーは元気がない。本当に辛そうだ。獣医さんも 、「今日がヤマですね。」という。 このとき、「もうスヌーピーは助からない。近いうちにお別れの日が来てしまう。 」と悟る。きっとよくなってくれると思っていたが、もう難しいようだ。 敗北感とともに、言葉では表しようのない悲しみがこみあげてくる。 「何か、スヌーピーと最後の想い出を作りたい。」と思い、獣医さんにお願いして 、スヌーピーを1時間だけ家に帰らせることにする。車の中でもスヌーピーは自分 では起き上がれない。 家に帰って、一緒に写真を撮ったり、スヌーピーの好きだった場所で写真を撮る。 これがスヌーピーの最後の「我が家でのひととき」となった。 スヌーピーを病院に帰した後、悲しくてしかたがなくなる。 夕方の面会もさせてもらう。隣に座っていた女の子が、「この子(スヌーピーのこと )かわいいのに元気がないね。どうしたの?」と聞いてくる。 「病気になっちゃったんだよ。」と答えると、「じゃあ、うちの犬みたいに元気に なるように祈っておくよ。」と元気な仔犬を抱きながらそう言った。ありがたいや さしさだった。 病院でのスヌーピーとのお別れが、スヌーピーとの永遠のお別れとなった。 2000年1月25日(月)(メモ) (夜の10時頃書いたもの。) スヌーピーのBUNが下がらない。 今日を含めた2〜3日がヤマだという。あんなに冷たい舌のスヌーピーははじめて だった。 自らの手で「安楽死」という手段を下さなければならないのだろうか。あまりにも 残酷すぎる。本当にスヌーピーにはかわいそうなことをした。もう一度一緒に散歩 したい。ドライブもしたい。スヌーピーは車が好きだった。もっと載せてやらなか ったことが悔しい。いつまでも一緒にいたかったのに。 (夜の0時近くに書いたもの。) おそらくスヌーピーは助からない。ぬいぐるみのようになったスヌーピーを見てい るのはあまりにも不憫でならない。こうしてスヌーピーを失うことは今までの様々 な苦しかったこと全てを足してもそれ以上に辛く悲しい。 せめて最期の時は好きだった我が家、家族のいる居間で迎えさせてやりたい。スヌ ーピーは闇の中の灯だった。もう一度だけでも、ほんの一瞬だけでも元気を取り戻 してほしい。 2000年1月26日(月)(メモ1) (夜の3時頃書いたもの。) スヌーピーが元気になって欲しい。まだ10歳になったばっかりなのに。 一緒に21世紀も迎えたかった。 もしも神様がいるのなら、スヌーピーを奪わないで欲しい。スヌーピーを幸せに、 長生きさせてほしい。 2000年1月26日(水)(メモ2) (朝書いたもの。) スヌーピーが亡くなってしまった。 6時19分、腎不全だった。引き取りに行ったら、安らかな死に顔だった。 死に目に逢えなかったことは残念だ。昨日そのまま引き取ればよかった。昨日一時 引き取ってスヌーピーと写真を撮ったこと、一緒に少しの間いられたことはせめて もの想い出だ。 家にはいつもスヌーピーがいてくれた。とてもうれしいことだった。いろいろ足り ない面もあってスヌーピーにとっては落第点の飼い主だった。 かわいい犬だった。一瞬にしてとても遠い世界に行ってしまったことが信じられな い。まだ家のどこかにスヌーピーがいるような気がしてならない。スヌーピーを看 取ってやりたかった。でも、医療の整っている中で、暖かいヒーターのある場所で の死であったのなら、もしかしたらそれが最善だったのかもしれない。 スヌーピーにはとても感謝している。21世紀を待たずして亡くなってしまったスヌ ーピーがとてもかわいそうだ。スヌーピー本当にありがとう。そしてさよなら。 2000年1月27日(木) スヌーピーを失った悲しみが全く癒えない。 スヌーピーがいないという事実がいまだに信じられない。とても淋しい。至らなか ったことばかりが心に浮かぶ。スヌーピーはうちではなくほかのところにもらわれ た方が幸せだったのかもしれない。 10歳はまだ早い。物を言えないスヌーピーを察してやれなかった自分が嫌になる。 スヌーピーは天国でちゃんとご飯を食べているだろうか。寒くはないだろうか。昨 日ははじめての天国で、よく眠れただろうか。 スヌーピーがいなくなったことがまだ実感できない。理解できない。大切な存在だ った。どこかにまだいるような気がする。 しかし、冷たくなった体、お骨になったスヌーピーとのギャップは埋められない。 安らかな死に顔が浮かんでくる。病院の待ち合い室でひざの上に乗っていたときの 、苦しそうだったがそれでもかわいらしい顔が浮かんでくる。階段の踊り場で、僕 が階段を上がってくるのを尻尾をふりながら待っている姿、おやつをもらうときの 輝いた目、いつでもかわいい犬だった。 一人で部屋にいることが淋しい。10年間、こんなことはなかったから。 2000年1月28日(金)〜2月1日 1月28日 スヌーピーはちゃんと家族みんなに愛されていたようだ。幸せだったとしよう。 スヌーピーがこの家にきてからの写真を見る。真っ黒だった仔犬の頃から、少し年 を取ってしまった、つい最近の写真まで。どの時期を見てもかわいいので顔が笑っ てしまう。 1月29日 今日は久しぶりに暖かく、晴れている。この陽差しの中でのひなたぼっこをもう一 度スヌーピーに味わわせさかった。寒い日に亡くなってしまい、なおさらかわいそ うに思う。 1月30日 スヌーピーを失った淋しさがまた少し癒えてきた。それでもやはり悲しく、淋しい 。あさっては初7日だ。 1月31日 スヌーピーは天国での生活に慣れただろうか。もう一度会いたい。写真を見るとや はりかわいいので微笑んでしまう。 2月1日 初7日に行ってきた。スヌーピーのコーナーは飾りがなくて殺風景なので、きれい にしてやろう。写真はすこしもったいないけど、ベストショットのやつを飾ろう。 (結局、カラーコピーして、トップページの写真を飾ってあります。 2000年2月2日(水)〜3月14日(火) 2月2日 スヌーピーは、考えてみれば「生きる」というおつとめを終えたのだ。もう生きな くてもいいということはもしかしたらいいことなのかもしれないし、正直ちょっと うらやましいかもしれない。しかしもう会えないことはとても淋しい。 2月3日 スヌーピーを思い出して久しぶりに少し涙が出てしまった。やはりいないという事 実はいかんともしがたい。 2月4日 スヌーピーが生きていたらよかったのに。何でスヌーピーは死ななければいけなか ったのだろう。かわいそうすぎる。 2月5日 今日は夢で会えてとてもうれしかった。しかし会って遊んだとたんに夢から醒めて しまった。 2月6日 今日も同じ。夢にスヌーピーが出たら、うれしさですぐに夢から醒めてしまった。 夢から醒めた時は辛い。 2月14日 スヌーピーがいなくてとても淋しい。どうしてこんなに早くお別れすることになっ たのだろう。今日も夢に出てきてくれた。でもすぐにまた夢から醒めてしまった。 3月14日 今日はスヌーピーの四十九日。スヌーピーがいたから、今まで辛いことにも立ち向 かっていけたのだと思う。 (メモはここで終わっています。) |
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