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映画雑文
「バトル・ロワイアル」を観ない理由(わけ)
これだけ話題になって宣伝費が浮いたともっぱら評判の「バトル・ロワイアル」。私はこれを観ようと思いません。「この映画が観たい!」というだけでなく、たまには「観たくなーい」話題でも。「きっとあーだろう、こーだろう」というような観てもいないのに憶測だけの仮定の話ではなく・・・ね。

なぜ観ないのか、いや、観たいと思わないのか。
それは、50年代、60年代ならまだしも、情報伝達がこれだけ発達した今の時代に、無惨に人間が死んでいく様をわざわざ映像化することで、「生きること・死ぬこと」を問うメッセージにしようという意図が理解できないから。
「アメリカ人が作った戦争映画は観たくない」のと同じ理由です。

そんなに私達は想像力のない人間でしょうか?
人々が生きることに必死になっている様子は毎日毎日溢れんばかりに報道されています。
TVにしろ雑誌にしろ、ホンモノの“殺人”だって“死体”だって“戦争”だっていくらでも目にすることができるでしょ?
現実には、「あぁ、フィクションでよかった」なんて逃げ道はない。
映画で如何にリアルに表現することの意味が分かりません。

観客は観たい映画を観ればそれでいい。しかし、「あの殺し合い殴り合い、戦闘シーン)はリアルだった」とは?観客にそう思わせる意味はナンなの?と思うのです。

映画は嗜好品。数ある中から自分の好みに合うものを選択すればいい。
暴力=有害だと短絡的になりたくないし、規制云々の議論もナンセンスだと思う。
ただ、「バトロワ」を観るよりも、もっと他に観たい作品が沢山あるというだけのこと。

私は「スティング」(1973)を、夫は「大脱走」(1963)を観て映画が好きになりました。娘にも、これからずっと映画が好きになるような作品に是非出会って欲しいと思います。

人間には「〜したい!」というプラスの欲求と、「〜したくない!」というマイナスの欲求がある。どちらも自分の行動の動機・原因・理由をつくり出す大切なもの。その欲求の強弱は行動の表れ方に大いに影響する。「したくない」というと、どうも消極的でマイナスイメージがつきまとうが、その気持ちは、「したい」と同じように大事にしたいと思う。
「したい」ことだけを考えるより、「なぜ、したくないのか?」を考えていくと自分の心の中がよく見えてくる。何かに迷ったとき、私はよくそう考えます。
消去法の決断。そこにおのずと答えが・・・。




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