告白合戦

カノーヴァー神の力を今に受け継ぐ赤の神殿を戴く聖都市テルローズ=レイ。 巡礼の地であり、また商業都市でもあるこの地域は港が大きく開け、人や物資が多量に行き来する。
その面積の3分の1を占める港に近い一角に「月の桂亭」と看板の出された食堂はあった。
つい先ほど大きな商船が到着したこともあってか、店内はいつも以上の賑わいをみせていた。
その大衆食堂兼酒場である「月の桂亭」の入り口に、屈強な大男が近付く。
「よぅ。リヴィアの姐御。ここに居たのか」
捜したぜ。
陽気な大声が店内へ向けて放たれた。
われ鐘のような声は食事時の賑やかな空間を突きぬけ、目当ての人物へと容易に届く。
声の主は潮と太陽で焼けた浅黒い肌、筋骨隆々としたたくましい身体つきをしていた。 刈上げられた髪はごわごわと硬そうな金茶色をしている。
光を背に立ちながら、笑みに歪んだ口の隙間から、光が零れるほどの白い歯が見えていた。
鼓膜を盛大に震わせた声に驚いた客たちが、一瞬各々のしゃべりを中断し、戸口を振り返る。
「よう。ドランの旦那じゃねぇか」
入り口に最も近い男が顔馴染みの姿を認め、飲みかけのグラス片手に声をかけた。
「おぅ。久しぶりだな」
ドランと呼ばれた男は返事の代わりに手をあげて応え、店内に足を踏み入れる。
とたんに店内は元の喧騒を取り戻す。
賭けの続きをする者、飲み比べを再開する者、おしゃべりに戻る者、さまざまな客の間を 縫うように、男は奥の席へと歩を進めた。
「旦那。久しぶりだな」
「なんだくたばってなかったのか」
「残念ながらこの通り、ぴんぴんしてるぜ」
気安く彼の肩を叩く男たちと軽口の応酬をしながら、ドランはやっとのことで目的のテーブルへと 辿り着いた。
他の客と同じく麦酒を片手に食事を楽しんでいる赤毛の美女がドランの視界の中央を占める。
彼女はいつものように長い赤毛を右耳の上で束ね、額に髪の色と同色のターバンを巻きつけていた。
着ている服は豊かな胸をさらしのような、申し訳ていどに巻きつけられた白い布地とこれまた巻きつけた だけのような麻の半ズボンという、赤銅色の肌のほとんどを露出したものだった。 目立たないていどの大きさの護身用の短剣が見事な細工の鞘に収まり、腰のベルトに吊り下げられている。 足元は革紐を膝辺りまで編んだサンダル。軽いだけではなく丈夫そうなそれは上質のもののように見えた。
リヴィアと呼ばれた女は、すらりと伸びた形の良い長い足を組み、見事なまでの脚線美を惜しげもなく晒している。
むさい男たちに囲まれながらも臆することなく泰然と構えている姿が、 まだ20歳前という年齢にも関わらずみなに「姐御」と呼ばれるゆえんだった。
艶やかな笑みが男を迎える。
一対の赤い宝玉が懐かしそうに光った。
「おや。ドランの旦那じゃないか。ずいぶん久しぶりだねぇ。生きていたのかい?」
親しげな口調が、女が男と馴染みであることを物語っている。
しばらく見ないうちに女っぷりを上げたリヴィアに眩しい視線を注いで、ドランは思い出したように 彼女の隣に腰をおろした。
もちろんそれまでその席を陣取っていた男のひとりを押しのけて、である。
「死ぬ目には何度も遭ったがな。リヴィアの姐御のその姿を拝むまでは、と死ねなかったのさ」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
照れるどころか、もっと言っておくれと言わんばかりの口調である。
「けっこう本気だぞ」と無駄だと知りつつ言ってみるも、 旦那の言葉は姐御の胸を素通りするだけで、どうも響いた様子はなかった。
軽く肩を竦め、苦笑いを浮かべると、ドランは女を口説くことを諦めた。
腹ごなしへと気分を変えたらしい男は、あちこちと飛び回る蜂蜜色の髪の少女を手招きして呼び寄せた。
注文をとりに現れた給仕の娘に麦酒と酒の肴を適当に頼む男を横目で見遣り、リビアはグラスに残った 酒を一気にあおる。
「あいかわらず豪快な飲みっぷりだな」
惚れ惚れしちゃうね。
ドランは笑みを崩し、お茶らけた物言いをする。 が、リヴィアはただ笑みを男に向けるだけでそれには応えない。
「ところであたいに何の用だい?」
空のグラスをテーブルに戻し、新たな麦酒が到着するのを待って、リヴィアは男に話を振った。
「え、あっ、と。そうだったな」
麦酒で喉を潤し、湯気の立つ出来たての料理を二口ほど味わってから、ドランは頷いた。
そこで妙な間ができたが、まったく気にせず、男は女に向かい合う。
「姐御、これからちょっと時間あるか?」
いつになく真剣な表情と声に、リヴィアの顔が軽く顰められる。
「やっかいごとかい? 血生臭いのは嫌だよ」
「いや、そんなんじゃねぇんだが」
はっきりとしない語尾を濁す物言いに、リヴィアがますます怪訝な顔になる。
料理に伸びかけた手が止まる。
「なんなんだい?」
旦那らしくないじゃないか。
登場の時の勢いがなくなっている男に喝を入れるつもりのリヴィアの言葉にも、彼は乗ってこない。
リヴィアの視線を困った顔で受け止めて、ドランは頬をかいた。
「そんなに時間はとらせねぇからよ」
「なんだかわからないけれど、少しならいいよ」
少々考え込むような顔つきで応えると、リヴィアは3杯目の麦酒をあおった。
そして立ち上がる。
「場所、移ろうか」
旦那もその方がいいんだろう?
確認するようなその口調に、一にも二にもなくドランは頷いた。




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