告白合戦
連れ立って店を出たふたりがその足で向かった先は港だった。
いつもはそれほど多くはない船の数が、ここ数日は急激にその数を増し、隙間なく港を埋め尽くしていた。
春の大祭を前にしたこの時期、外に出ていた多くの船が戻ってくるのだ。
その中の一際大きな船─ピラカンサス号と船体に書かれた船─の前に来ると、二人は立ち止まった。
テルローズ=レイの中で最も大きいといわれるピラカンサス号は彼の持ち船である。
遠くは第1大陸ガザまで行くこともあるという船は、氷を割って進めるような頑丈な造りとなっていた。
「あいかわらず大きいねぇ」
首をめいいっぱい反らし、目の前の大型船を見上げて、リヴィアが感嘆の声を上げる。
「まぁな。金だけは有り余っているからな」
多少得意げに口元に笑みを浮かべはしたが、ドランはすぐに表情を引き締め、リヴィアを桟橋へと促した。
どことなく緊張しているような横顔である。
笑みを浮かべようとしているのは判るが、引きつっている為、傍目には怒っているように見えなくもない。
先に船へと上がるドランを追うように、数歩遅れてリヴィアもピラカンサス号へあがった。
強張っている背中を眺め、リヴィアは思案する。
やはりなにか非常に悪い事態にぶち当たっているのではないだろうか。
ここ数日の船乗りたちが持ち帰って来た情報を思い出して、リヴィアは表情を曇らせる。
横行する海賊。頻発する魔物絡みの沈没事故。
この陸から外への航海は以前にも増して命がけな旅になっている。
今回の大祭に間に合わせて帰って来た船は、実は全体の8割だ。見なくなった顔も多い。
それに関連することなのではないか?
「そんな顔すんなよ。本当に姐御が考えていることじゃないんだって」
厳しい目をしていたのだろう、先に船に上がったドランが、苦笑ぎみにリヴィアを見下ろした。
その目は相変わらず、困ったような緊張しているような複雑な色をしていた。
太陽が水平線の彼方に沈む。残光を全身に浴びている男の顔を見上げ、
リヴィアはあれこれ考えをめぐらすことを止めた。
まいったなぁっとあごをぽりぽりとかく男の横に並んであがる。
「あぁ。リヴィアの姐御じゃないっすか。久しぶりっす」
「うぉわぁう。こりゃついてる。陸にあがる前に姐御の姿を拝めるなんて」
甲板に上がった途端、興奮気味な野太い大合唱に出迎えられる。
ドラン達が評するところの「艶やかな笑み」を口元に浮かべ、リヴィアは熱狂的な歓迎に応じた。
「おや、みんなも元気だったかい? 無事で何よりだよ」
お帰り。
ひとりひとりにしっかりと目を合わせ、艶然と微笑む姿は、
まだ少女の域から脱していないとは思えないほどだった。
「おいおい、お前ら、仕事に戻れや。いつまで経っても家に帰れねぇぞ」
その姿をみやってドランが仲間をどやしつける。
「かしら、それはひどいですよ」
「そうだよ。せっかく久しぶりに会えたんだしさ」
仲間のひとりがブーイングをあげると、他の船員も同調する。
「聞こえなかったのか?」
凄みをきかした低音が、空気を震わせる。仲間たちを見渡すドランの目が剣呑な光を宿した。
なにやらおかしらの様子がおかしいと彼を包む雰囲気で気づいたらしい。
船員たちはへいへいへいっと肩を竦め、みな大人しく散っていく。
彼らの背中を見送っていたドランが、
他の仲間たち同様にその場から立ち去りかける黒髪の青年を呼び止める。
「カジフ。あれ、どこに置いた?」
「あぁ? ……あれか。あれなら下の食糧庫」
一瞬何のことか首を傾げていた青年は、あぁ、なるほど、と品の悪い笑みを浮かべ、下を指差した。
「ちゃんとあるんだろうな」
「あんたの命令を聞かない奴がいるかよ。なるほどな。大事にとってあったのはそういうことか」
あんたの幸運を祈ってるよ。どうせ、玉砕するだろうけどな。
背中を向けて持ち場へと戻っていく仲間の台詞に「うるせぇ」っと怒鳴って、ドランはリヴィアに向き直った。
「ちょっととって来るから、俺の部屋で待っててもらえねぇか」
顔を真っ赤にし、不機嫌な表情の男の言葉を受け、不思議な顔をしながらもリヴィアは頷いた。
「なんだか知らないけど、わかった」
さきほどとは別の意味で眉を寄せた女は、しぶしぶながらも船内へと移動する。
急な梯子を降り、いくつかの部屋の前を通り過ぎると、ひとつの部屋へと辿り付く。
この船の責任者であるドランの部屋だった。
中は木の机とハンモック以外に、物はなかった。
服は部屋中に散乱していたけれど。
「汚いねぇ」
彼の立場を考えると狭すぎるような部屋だった。
床に散らばった服を拾い集めながら、想像していたより狭い部屋を見渡す。
航海の安全を祈願して欲しいと請われ、
何度か船に上がったことはあったが、船室へ入るのは初めてだった。
もの珍しく狭い室内を歩く。がすぐにそれにも厭き、
ちょうどいい位置に吊るされているハンモックに近付いた。
拾い集めた服を隅に置いて、リヴィアはとりあえずハンモックに腰掛けることにした。
しばらくすると扉の向こうから床をきしませる足音が響き、間を置いて扉が開かれた。
「待たせて悪かったな」
笑みを浮かべ再び現れたドランは、その手に見慣れぬボトルを持っていた。
「なんだい? それ」
目ざとく彼の大きな手に大事そうに抱えられた2本のボトルを見つけ、リヴィアはハンモックから降りると、男に歩み寄る。
「ああ、俺の用はこれなんだがな……」
大事そうに抱えていた2本のボトルを女に差し出し、ドランは説明する。
第三大陸のクロンダイルという地域に行った折、極上と評判の果実酒を手に入れたことを。
それは以前、彼自身がリヴィアに語った酒だった。
思いがけず手に入ったので、一刻も早く手渡したかったと語るドランの目は、
受け取ったボトルを熱心に見る女に注がれていた。
「これを、あたいにくれるのかい?」
嬉しそうに微笑み、まっすぐに男を見上げるリヴィアの視線が、ドランの心を大きく揺さぶった。
「でも、月の桂亭でもよかったんじゃないのかい?」
これくらいなら場所を移さなくても話は済んだのではないかと訝しがる。
「そうだろうが……いや、そうじゃなくて」
目を落とすと、豊かな女の胸元が写る。
ごくりっと喉を鳴らして、ドランはますます顔を引きつらせた。
「あの……だな……」
「なんだい? 今日は変だよ。旦那。いつものあんたらしくない」
「いや……あの……その……」
「ドラン?? 今日は本当におかしいよ。久しぶりの陸の酒に酔ったのかい?」
気遣わしげに見上げてくる1対の宝石を見下ろし、ドランはああ、かもな、と小さく答えた。
「他にも何か用事がありそうだけど、あたいももう戻らなくちゃなんないから」
また今度聞くってことでいいかい?
クウェンにまたこってりとしぼられちまう。
冗談めかして笑う彼女の仕草は、年相応の娘らしいものだった。
「ああ。そうだな……」
熱っぽい目でリヴィアを見つめていた男は、彼女の言葉に気持ち半分で頷く。
「じゃあ。これはもらっていくよ。ありがとう」
いつもの艶然とした笑みに戻り、リヴィアはドランに近付くと、無精ひげの男の頬に軽く唇を触れる。
「あ、ああ」
離れた唇のあとを辿るように、温もりの残る頬に手を当てながら、ドランは背中を向ける女を呼び止めた。
「あっ。リヴィア!」
「なんだい?」
振り向く女性に、いや、あの……と顎をかく。
「いや、聞いたんだがな。どこかの国では2の月の14日に愛を告白する祭りがあるそうだ……
その酒土産にやってみたらどうだ?」
リヴィアの目が疑わしげに男を見やる。
「旦那。またあたいをからかうつもりかい?」
「信用ねぇな。本当だぜ。まぁ、信じねぇならそれでもかまわねぇが」
やってみても損はないぜ。
にやりと意地の悪い笑みを浮かべる男の顔をじっと見つめて、リヴィアは腕の中のボトルに目を落とした。
「まぁ、悪くはない祭りだね。2の月の14日……今日だね」
やってみるよ。
じゃあっと別れの挨拶を残し、女は陸へと帰っていった。
入れ違いに黒髪の青年が部屋に足を踏み入れる。
「なさけない。女ひとりも口説けんのか」
何のために高い金出して酒買って、妙な祭りの情報まで手に入れたんだ。このばかが。
辛らつな言葉を浴びせるカジフの声は、しかしドランには聞こえていないようだった。
リヴィアの出て行った扉に呆けたような視線を向け、不発に終った告白の燻りを胸に抱えたまま、
彼は立ち尽くしていた。
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