告白合戦
「いつ、帰って来たんだ?」
慣れない者が聞くと震え上がるほどの不機嫌な声が、空間を響かせた。
侍女を下がらせ、長いすに横たわり、すっかりとくつろいでいた女は、その声に顔を上げる。
リビアは露出度の高い服から袖口を絞り込んだゆったりした上下に着替えていた。
赤く燃えるような髪は下ろされ、綺麗に梳かれて背中に流されていた。
彼女の動きに合わせ、髪が肩から流れるおちる。
額のターバンは外され、今はその下に隠れていたサークレットが顕わになっている。
幾重にも巻かれた蔦の模様の環の中央に、楕円形の深紅の聖玉が飾られていた。
額にいただく聖玉と同じ色をした瞳が、現れた男を見つめる。
黒髪、黒い瞳、赤銅色の肌の青年が長いすのすぐ傍に立っていた。
いつの間に現れたのか、声をかけられるまで気配を察することができなかった。
後ろ髪の一部だけを伸ばし結び、その他を短く刈った髪型の
骨太のがっしりとした鍛え上げた肉体を持つ男は、太い眉を限界まで引き上げていた。
漆黒の闇のような瞳には確かに青白い炎が見え隠れしている。
「クウェン。遅いじゃないか」
相手が怒っているのは一目瞭然だった。しかし、静かな怒りを宿す瞳にもリヴィアは動じない。
向けた視線を元に戻し、女はテーブルに置いてある2つのグラスを引き寄せる。
ついで、ほどよく冷えた果実酒のボトルを氷の入った器から取り出すと、蓋を開けた。
薄いピンク色をした液体が、ゆっくりとグラスの中に注がれる。
2つのグラスに同じ量の酒を注いで、リヴィアはボトルをガラステーブルの上に戻した。
細身のグラスの首を持ち、立ち上がる。
「やだねぇ。そんなに怖い顔するんじゃないよ」
せっかくのいい男が台無しだろう?
男たちを魅了する艶やかな笑みを浮かべ、リヴィアはクウェンへと近付く。
持っていたグラスの片方を男に押し付け、空いた手で相手の太い腕を取るとそのまま強引に腰を抱かせた。
クウェンの冷ややかな眼差しに怯むことなく、至近距離で挑むように相手を見返し、リヴィアはグラスの中身を飲み干した。
「美味しいよ。お前も飲んだらどうなんだい」
甘いとろける様な笑みを向けて誘うが、憎らしいほどにクウェンは表情を崩さない。
「クウェン……」
いい加減、機嫌を直しておくれよ。せっかくの酒がまずくなるだろう。
「約束をすっぽかされたと神官長が青ざめていた」
平坦な声が返る。感情を窺い知ることのできない低い声に、リヴィアの唇が不満げに尖る。
「人聞きの悪い。聖使としての役目は
きちんと果たしてきたよ」
くだらない会食とやらは丁重に断ったけどね。
反省する様子もなく、ただうんざりした顔で、リヴィアは反論する。
女を見下ろす男の目が、さらに厳しいものへと変わる。
「レア=リヴィア=リース」
わざと彼女の公の名を呼ぶ男の声は硬い。
ますます彼の機嫌を損ねたらしいことを知り、リヴィアは溜息を深くする。
これでは甘い雰囲気になるどころではない。
「クウェン……」
くだらない会食が本当は何であるか知らないわけがないだろうに、
どうしてこの男はこんなにも平然としていられるのだろう。
ここ最近、クウェンは妙に神官長らに協力的だ。リヴィアにとっては面白くないことだった。
「なんでそんなにあんたはあたいを遠ざけるんだい」
そんなに別の誰かとくっつけたいなら……。
拗ねた口調でリヴィアはクウェンの手の中のグラスを指差す。
「その酒はドランがあたいにってわざわざくれたもんなんだよ」
含みのある声に、クウェンの眉がかすかにあがった。
「ドランか……彼なら知らない仲じゃないしな……つりあわないこともない」
本気で検討する気らしい男の様子が、リヴィアの神経を引っかいた。
「クウェン。いい加減におし。当てつけなら別の方法でやりな」
あたいがあんた以外を選ぶと本気で思っているのかい。
見くびらないでほしいね。
鮮やかな緋色の炎を宿し、リヴィアは男をねめつけた。
怒りにキラキラと輝く瞳が、クウェンの目を射抜く。
眩しさに目を細め、耐えられなくなり彼は視線を逸らした。
その手から乱暴にグラスを取り返し、女は男に背を向ける。
「もういい。あたいは寝る。下がりな」
有無を言わせぬ口調だった。
グラスをガラステーブルの上に戻す。叩きつけるような勢いで置かれたグラスからは、
桃色の液体が跳ね上がり、テーブルを濡らした。
元通りに長いすにトスンっと腰を下ろして、リヴィアは男を邪険に追い払う。
クウェンは黙ったまま、動かない。
感情の見えない冷めた目が女を見ている。
「聞こえなかったのかい。消えな」
盛大に癇癪玉を破裂させるリヴィアの背中をクウェンはじっと見つめる。
はっきりと拒絶を示し、こちらを向く様子がないことを感じ取ると、男は溜息を吐き出し、部屋から出て行った。
遠ざかる気配がリヴィアの中の自己嫌悪を大きくさせていく。
どうしてこうなるのだろう。
「ドラン……あたいもダメだったよ……」
グラスの中の淡い液体に語りかける。
一滴も口にしなかったクウェンの分の果実酒。
グラスの中で生まれては上がっていく小さな泡を見つめ、リヴィアは深い深い溜息をついた。
特別なはずの夜が更けていく。
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