慰霊の日
今から約60年前、日本は戦争をしていました。第2次世界大戦です。ここ沖縄はその時、戦場となりました。
沖縄本島は南北に分断され、日本での唯一の地上戦が行われました。
6月23日。
1974年10月に条例により、沖縄県はこの日を沖縄独自の祭日に制定しました。
沖縄戦が年ごとに忘れ去られていることの反省と、世界の恒久平和への希求、戦没者の霊を慰める
ことを目的として制定されました。
が、子どもたちにとってはお休み以外の何ものでもありません。
(でも子どもでもこの日が何の日かくらいは知っています……たぶん知っていると思います。直前になると
必ず平和学習が組み込まれるので、知らない子はいないと思うのですが)昔私も休みとしか認識していませんでした。
(いえ、慰霊の日の意味は知っていましたけど)ちなみに国立大はこの日は休みではありません。
またこの慰霊の日近くなると、学校の図書館には慰霊の日特集が組まれ、当時を写した写真のパネルが
展示されます。(私はこの時期になると図書室には近づきませんでした。
集団自決後のいくつもの死体が積み重なった写真などがあって、怖かったから)
なぜ、6月23日が慰霊の日に当てられたのかといいますと、
1945年6月23日が、糸満市摩文仁で第32軍司令官 牛島 満中将と同参謀長 長 勇中将が自決し、
日本軍の組織的戦闘が終わった日だからです。
県はこの日に毎年、戦没者追悼式を行っています。
また沖縄各地の慰霊塔がある場所でも戦没者追悼式を行っています。
小説部屋にあります「青い空の下で」の登場人物の3人の通う高校首里高校は、
その前身を県立第一中学といいまして、
(ちなみに第二中学は那覇高校。第三中学は名護高校です)戦時中は生徒たちは学徒隊として戦闘に参加してました。
犠牲になられた方も多数おり、現在でも6月23日が来ると、首里高校裏にある一中健児の塔で慰霊祭が行われます。
(1年生は全員参加。2、3年生は学級長だけ参加します)
最高司令官が自決したことにより、日本軍は解体、事実上の組織戦は終了しました。
しかし、悲劇はまだ終わりではありませんでした。むしろここからが悲惨を極めました。
守ってもらえるはずの軍はなく、戦場に放り出された状態の住民たちは、逃げ場もなく、投降し捕虜になることもできず、
(鬼畜米英と教え込まれ、捕虜になったら何をされるか分からないと言われていたため、捕虜になることを
恐れた)支給された手榴弾で家族親戚で集団自決を決行したり、支給された毒薬を飲み自殺を図ったり、
また崖から飛び降り自殺をして、多くの人々がその命を絶ちました。
沖縄戦で死亡した総数のうち、6月23日以降に死亡した人は、かなりの数にのぼるときいたことがあります。
事実上の組織戦はこの日で終わりましたが、住民にとっての終戦はまだ先でした。
戦争が終わって60年近く。
しかし、あの戦争を体験した人にとっては戦争はまだ終わっていないのかもしれません。
参考資料 沖縄大百科事典。
戻る