サバイバー
9
本格的に熱が出始めた朱蘭を残し、他のメンバーは外へと消えていた。
暗めの照明の下、揺れる床をぼんやりと眺めていた少女は、聴こえてきた足音に顔をあげる。
「……飲めよ」
少女は突き出されたコップと2粒の錠剤を睨み、続いて男を見上げた。
お嬢さまつきの田沼あたりから調達したのだろう。判っていながら朱蘭は意地悪く問いかけた。
「……毒……とか?」
「……あんた殺すのにこんなお手軽な手を使うか」
やるなら自分だと気づかれないようにやる、と断言し、由暁は朱蘭の手の中に持ってきたものを押し込んだ。
しばらく手の中のものと男を見比べ、やがて朱蘭はいっきにコップの中身を飲み干す。
喉がそうとう渇いていたらしい。最後の一滴まで流し込むと、朱蘭は空のコップを男の手に戻した。
「ありがとう」
めったに口に出さない感謝の台詞を笑顔と一緒に表に出すと、男は逆に顔をしかめた。
「なんだよ。人が素直に礼を言ったのに」
熱の為か少し赤い頬を膨らませ、不満を口にした朱蘭に対し、由暁は「気持ち悪い」と一言で片付ける。
彼の言葉にますます気分を害した少女は、本格的に唇を尖らせた。座ったままの姿勢で男の足を蹴りつける。
「?!」
弁慶の泣き所にヒットしたらしい。苦痛に顔を歪め、由暁は少女を睨みつける。
「お前が悪いんだろう。せっかく人が感謝してやってるのに」
「押しつけがましい」
「むかつく。……かわいくないなぁ。感情表現ぐらい素直にしろよ。そんなんじゃ、おまえ、愛想つかされるぞ」
唇を尖らせての言葉も男は相手にしない。
「よけいなお世話だ」
「おまえを好きになるって相当変わってるぞ。あんな貴重なのいないって」
なんでおれがこんなこと言ってんだ? と思わないでもなかったけれど。
勢いで表に出た台詞を頭の中で反芻し、朱蘭は首をかしげた。
お嬢さまを擁護する少女の言葉に、由暁の眉がかすかに動く。
「何を企んでいる?」
「いや、別に企んじゃいないけどさ。なんだか一生懸命だから」
口にした台詞が嘘臭く響いた。
案の定、由暁の瞳が探るような目つきに変わる。
「本当に、そう思ってるのか?」
俺が困っている姿をみて楽しみたいだけだろう。
ズバリなことを言われ、朱蘭の目が泳ぐ。
揺れる床、出入り口、ベージュ色の壁紙、固定されたデスク、あちこちに視線をさ迷わせ、最後に由暁の顔へと目を戻す。
「そ、それより」
やっぱり、と呆れた眼差しを向けてくる相手に、朱蘭は咳払いをして空気を変える。
「おまえ、本当に追放をふたつ返事でOKしたのかよ」
意識的に眼差しを鋭くし、問いかける。
意図的な話題の転換に呆れた顔をしながらも、ああ、そんなことか、と言いたげに青年は真相を明らかにした。
「あれ以上あそこに居ても、意味がないと判断したからだ」
「は? どういう意味だ?」
ちゃんと説明しろよ、と詰め寄る朱蘭に、由暁は「話のこしを折るな」と睨みつけ、続けた。
明らかにされるのは衝撃的な事実ばかり。朱蘭は顎が外れんばかりに口を開け、青年を凝視した。
「コンテナも、携帯も、テントもリース?」
意識してやったわけではないが、一言一言区切って問い返してしまう。
青年はそんな彼女の驚愕に苦笑を浮かべてただ頷いた。
そのために経費がかさみ、ゲームの続行が難しくなっていたらしい。
「で、それがあのお嬢さまんとこの会社っていうのか?」
「ああ。そうらしいな」
淡々と語る由暁とは対照的に、朱蘭の顔が疲れた表情に変わった。
商魂逞しいというのか、なんというか……。
「で、賞金も出ないかもしれなかったと」
「ああ、たぶん、出ないな」
まじか??
脱力しきった朱蘭を由暁は見下ろす。
「だから同意した。あそこに残ってあんたに暴れられると厄介だしな」
島に残ったままだと絶対に流血沙汰になると踏んだ由暁の判断はある意味正しい。
後始末などの面倒ごとを嫌がる彼らしい判断である。が、朱蘭は面白くなかった。
大きなシミがところどころに浮かぶ壁紙が目に映る。そのひとつ、鬼の顔をしたシミを睨みつけながら、
少女はぼそり、と洩らした。
「……おまえの判断のおかげで休みが残ってるんだけど」
「もとはといえばあんたが姿を消すから悪い。少しは反省ぐらいしたらどうなんだ?」
由暁の言い分は一理ある。が、被害者だという意識がまだ胸に燻っている朱蘭は頷けない。
「好きなようにさせるはずだろう?」
それがおれが組を継ぐ際の条件だった、とお決まりの台詞を突きつける。
明らかに不満そうな表情を浮かべながらも、朱蘭の言葉に由暁は会話を収めた。
代わりに洩れる嫌味なほどの盛大な溜息。
「よろしいかしら?」
険悪な雰囲気に戻りつつあった船室に、突如、第三の声が割り込む。
絶妙なタイミングでかけられた声はやけにうきうきとしていた。絶対に立ち聞きしていたに違いない。
「……なんか用?」
「お時間が許すようでしたら、このまま、私の別荘に行きません?」
上目遣いに由暁を見つめる桜子の視界に朱蘭の姿が入っているわけがなかった。朱蘭の言葉は黙殺され、
桜子は青年に近づく。
「近くにもうひとつ島を所有していますの」
プライベートビーチもありますし、バカンスを楽しみません?
にじり寄ってくる桜子との距離を置き、由暁は少女を見下ろした。桜子もそれにならう。そして
今、気づいたといわんばかりに表情を変えた。
「あら、そこにいらしたんですの? 気づきませんでしたわ。そうですわ、貴女も私の別荘で養生されてはいかが?」
意味ありげな美女の目が光る。
演技のわざとらしさが鼻につく。
が、朱蘭は一瞬、考える素振りを見せ、顔をしかめながらも、素直に桜子の申し出に頷いた。
思惑はどうあれ、朱蘭にとって悪い申し出ではない。
「休みがあまって退屈だったからちょうどいいかもな」
朱蘭は桜子に目で返す。
意外な少女の答えに、由暁は目を見張る。彼の頬は微かに引きつっていた。
「おれ、ちょっと外の空気吸ってくるわ」
何気ない素振りを見せ、朱蘭は立ち上がる。両手を伸ばし、まさみから借りた上着を肩にひっかけ、
少女は出口へと向かう。恨みがましい視線がこちらを見つめるが、あえて無視する。
GOOD LUCK。
長身の男から離れる直前、にやり、と笑むと、由暁が薄い唇を微かに動かした。
「上等だ」
覚えていろ。
美女の脇をすり抜け、外へ出ようとした瞬間、今度はお嬢さまがすれ違いざまに小さく囁いた。
扉に手をかける少女の耳にさりげなく唇を寄せる。
「これで貸し借りなしですわ」
「でもあいつはおれのもんだぜ」
深い笑みを浮かべ言葉を返す一瞬、桜子の燃える炎とぶつかった。
背中の向こうの青年と美女をもう一度振り返り、
「ごゆっくり」
にっこり笑顔を残し、朱蘭は扉を開けた。
押し寄せる潮の香りを胸に吸い込み、眩しい光に目を細める。
先に外に出ていたまさみが足音に振り返る。風に遊ばれ、乱れ放題の栗色の髪を押さえ、青年は満面の笑顔で少女を迎えた。
肌が感じる以上の熱い夏が、もうひと幕、繰り広げられようとしていた。
完
無事完結しました(汗)
不定期連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。m(_ _)m
あとでこっそり某箇所にボツシーン(でも本人お気に入りシーンだったり)をLINKするかもしれません。