一陽来復
──かけ──


6


「で、なんだったんだ?」
「なにが?」
 いくつものヘッドライトが二つの影を浮かび上がらせ、去っていく。
「賞金のかかったあの話」
 すっかり疲れきりガードレールに突っ伏している悪友を見下ろす。だるそうに返された言葉に篤志は 気の毒に思いながらも説明を求めた。
 説明するから出て来いと呼び出されたのはつい先ほど。呼び出したのは悪友の方だから、別に居心地 が悪くなる理由などない。だがあまりにも辛そうな彼女の姿に、なんだか自分がひどく悪い人間に思え てくる。
「むりなら出直してきてもかまわけどよ。オレは」
 顔を上げないまま朱蘭が首を振る。
「悪かった」
 くぐもった声が返り、相手は頭を持ち上げた。
 駆け抜けていく車のライトに照らされた朱蘭の横顔は、疲労の色が濃かった。 その上、顔色が悪かった。
「帰って休んだほうが良くないか」
「大丈夫だ。2時間は寝たから」
「そうか。で、なんだったんだ?」
 今以外に説明するつもりはないらしい。
 出直しはムリと感じ取って、篤志は浮かしかけた腰をアスファルトに戻した。冷気がジーンズの向 こうからじわじわと伝わってくる。
「おれがまりあとの賭けの内容を秘密にしてたからさ、妨害すればわかるかと思ったんだと」
 億劫そうに口を開き、立ち上がる。
「は? マジかよそれ。それだけでわざわざあんな大掛かりなこと仕掛けんのか?」
 やらねえだろう。普通は。
 半分残った缶の中身をいっきに飲み干し、篤志は片方の唇だけで笑った。自分でも引きつっている ことがわかる笑い方だった。
「あの野郎なら、やる」
 ちらりとこちらを見やって、朱蘭はきっぱりと断言した。
 ああ、おまえの親だしな。
 胸の内で呟いた本音は聞こえないはずが、相手には届いたらしい。悪友の顔が嫌そうに歪められた。
「いま、むかつくこと思ったろ。お前」
「むかつくことってなんだよ」
 一瞬どきりとしたが、取り繕う。まだ機嫌は直ってないらしい。ヘタなことを言ってここで第二ラウ ンドを自分相手にやられても困る。
 とっさに泳がせた視線の向こうで、やっぱりと朱蘭の目が言っている。
「血が繋がってるなーとか、やっぱりおれの親だなーとか思ったろ」
「認めてんじゃん。自分で」
 オレを責めんなよ。
 不機嫌な声をつくって返してやると、相手は顔をしかめ、そっぽを向いた。
「ああ、絡んで悪かった」
 謝っているつもりでいるのだろうが、誠意は感じられない態度である。が、とりあえずは自分に八つ 当たりをする気はないのだと知り、篤志は胸をなでおろした。
「で、殴ったのか?」
「当然だ。まりあとの賭けをフイにされたんだからな」
 おかげで3月までまたあの窮屈な生活に逆戻りだ。
 ぼやく悪友に「そりゃまた気の毒に」と形ばかりの言葉を返す。
「なんだよ」
 振り向く悪友にわざと責める光を目に浮かべてみせた。
「オレも期待していたんだけどな。彼女の手作り」
 後半部を強調して言葉を放る。
 さんざん使いっ走りのようなことを悪友とその親友にさせられたのだから、これくらいの八つ当たり は許されるだろう。
 そう思って振った話題は、しかし意外な結果をもたらしてくれた。
 さっきまでの不機嫌はどこへやら、途端、悪友の顔つきが怪しくなる。 怪しくなるというよりもはっきり言って気持ちが悪い。
 にやにやと気味の悪い笑みを浮かべ、目はそれこそ漫画に出てくるいやらしい目つきというものに変 化していた。我慢できないのは、瞳の色だった。哀れんでいるのが一目でわかる色。
 なんだってんだよ。
「へー。そうか。お前も期待していたんだ。そうか。残念だったな」
 片膝を立てた姿勢から視線を合わせるためなのか、朱蘭は篤志の横に並んで座る。わざわざ視線を合 わせるのは、彼女の性格の悪さに他ならない。
「なんだよ」
 無性に腹が立つ言い方に、唇の端が引きつった。
「へーそうか。残念だったな」
 もったいぶった言い方が癇に障った。
「おまえな。何が言いたいんだよ。さっさと言えよ」
「言っていいのか? お前、落ち込むぞ」
「なんだよ。言えよ」
「実はな、もう喰っちまった」
「は?」
 言われている意味がわからない。間抜けな声しか返せなかった。
「作ってくれたんだ。まりあがさ」
 優越感に浸っている悪友が得意げに語る。ことの顛末を。
「はぁ? だっておまえ、さっきフイにされたっていったろ」
 すべてを聞き終え、篤志が発した言葉に、朱蘭がにやりと笑んだ。
「本当に欲しいやつじゃなかったから、フイにされたって言ったんだ」
「むかつく。結局、おまえの勝ちかよ」
「まりあの勝ちだよ。今回のはこれから続く3ヶ月の地獄のための励ましなんだと」
 満面の笑顔が嫌なことを思い出したのか、苦虫を噛み潰した表情に変わった。
「よかったな」
 緩む口元を見て、朱蘭が軽く舌打ちする。
「嫌味だな」
「ああ、嫌味だ」
 笑って立ち上がる。もうそろそろ帰らなければ。 このままだべっていたら、こいつがもたないだろう。
 立ち上がった篤志に合わせるように、朱蘭の顔が上がる。
「なんだ。もう帰るのか?」
「ああ。おまえ達に付き合って疲れたからな」
 こきこきと首の骨を鳴らして、答えた。ぴたりとあわせてくる視線に苦笑いで応じる。
「すまなかったな。ありがとな」
「そう思うなら、オレの分、彼女にねだってくれ」
「試してみる」
「そういえば、あのガキな、ちゃんと家まで送ってやったぞ。貸しひとつな」
 忘れていた報告ひとつ、告げてやる。
「借りを返したんじゃないのか?」
 悪戯っ子のような声がすかさず茶々を入れる。うやむやにする気らしい。
「貸しひとつ」
 そうはさせじと同じ言葉を繰り返す篤志に、しぶしぶといった体の声が返った。
「わかった」
「それから。まさみちゃん、入院したってよ」
「わかった」
 素っ気無い答えに、自然溜息がこぼれた。
「それだけかよ、おまえ。加勢してくれたんだろう?」
 家の方角に向きかけた身体を反転させ、篤志は責める目で相手を見据えた。 暗闇の向こうの目が拗ねたように光るのが見えた気がした。
「篤志、お前何か勘違いしてる。あいつは加勢じゃなく足手まといだったんだ。あいつが来なけりゃ 1時間は早く着いてた」
 口を尖らせているだろうことは容易に想像できる声。苦笑しながらそれでも篤志は窘めることを止め なかった。
「それでも結果的には協力してくれたようなもんだろ。見舞いはちゃんと行けよ」
 無言の抗議。
「あいつ、減俸らしいぞ。絶対行って謝って来い」
「なんでおれが……」
「行って来い。これからも遊ぶんだろ。あいつで」
 なら、友好関係は続けとけよ。
 告げた台詞にややあって了承の声が返った。
「じゃあな」
「ああ」
 疲れきった身体をガードレールに預けているだろう悪友に素っ気無い別れの言葉を返し、篤志はその 場を後にした。


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