サバイバー
1
「うっわ、すっげーキレー」
年季の入った漁船の舳先に陣取り、結城朱蘭は眼光鋭い眼差しを細めた。
眼前にはどこまでも広がる海、海、海。
四方八方、東西南北をぐるりと囲まれた海上に彼女はいた。
光を反射する腰までの黒髪を、潮風になびかせる少女の肌は、透けるような白さ。
Tシャツに半ズボンの軽装で、すらりと伸びた手足を惜しげもなく太陽の下に晒している。
真っ青な空には影となる雲は浮かんでいない。容赦なく降り注ぐ南国の陽射しを浴び、
朱蘭は潮の香りを吸い込んだ。痛いほどの紫外線も、肌にまとわりつく暑さも、
この眺めの前では無に等しい。
光を反射する穏やかな波がまるで宝石のよう。
朱蘭の気分はここ数日ないほどに晴れ渡っていた、のだが……。
エメラルドブルーの深い澄んだ蒼を眺めていた鳶色の瞳が、突然の呻き声に振り返る。
とたんに朱蘭の、強烈な生命の光を放つ瞳が明度を落とした。
「おーまーえーらー」
唸るようなハスキーボイスに、獲物を狙っていた海鳥が進路を変える。
少女の視線の先に、口を押えて奇妙な声をあげている青年と、無表情で冷めた眼差しを
水平線へと向ける青年がいた。
顔面蒼白となっている方の青年は、ゆらりと頭を持ち上げ、涙目で少女を見上げる。
押えた指の間から必死に何かを我慢している苦しげな息遣いが聞こえた。
一方、温度のない瞳の青年は、彼女に一瞥をくれただけで表情を変えもせず瞼を下ろした。
心なしか彼の表情も青ざめてみえる。
「……ミスった……」
自信を持っての人選のはずがとんだ計算違いだったようである。
優勝確実と踏んで選んだメンバーがよりにもよって船に弱いなどと。
こんなんで優勝できるのかよ。
顔にかかる髪を乱暴に振り払い、朱蘭は苦い顔になる。
「ムリヤリにでも篤志を連れてくるんだった」
はぁっと溜息を吐き出すと、快く同乗させてくれた地元の猟師と目があった。笑っている。
白さが零れる彼の歯を眺めやり、朱蘭は再び視線を船の進路へと戻した。
「暇なんだろ?」
力任せに破ってきたと判る紙切れを少女に差し出し、篤志は彼女の正面に腰かけた。
換気の悪い店内には香水、煙草など雑多な臭いが充満していた。
つまらねぇを連発し、店のテーブルに八つ当たりする悪友を宥め、篤志はポケットの紙切れを
彼女に押し付ける。
「なんだ? コレ?」
梅雨に突入した重苦しい空をセピア色のガラス越しに眺めていた少女は、怪訝な顔でねじ込まれた
紙切れに目を落とした。
朱蘭たちの向こう。ビリヤード台が3台並んだ奥では、手前の台で数人の男性がゲームに興じていた。
照明を落とした店内には、彼らと自分たちの他に客はいない。
キューが球を弾く。その乾いた音が耳に届いた。
ぐしゃぐしゃに畳まれた紙をテーブルの上で広げる。
「真太のやつが見つけてよ。おまえに渡してくれって」
暇つぶしにはなんだろ。
前髪の一部を立たせオレンジ色に染めあげた髪型の少年は、サルに似た顔に笑みを浮かべる。
下の前歯が欠けた笑顔は、彼の持つ鋭さを和らげていた。
「優勝賞金が1000万。それと豪華リゾート宿泊だぜ」
コレに出ない手はないって。
悪友の科白が心をくすぐる。曇っていた朱蘭の瞳がいっきに晴れた。
漂う煙草の臭いも気にならないほど熱心に切抜きを見つめる。
『ひと足早い夏の闘い。この夏、君は夢を手に入れる』
「面白そうだな」
くさい見出しに続く本文に目を走らせ、朱蘭は顔を上げた。
無人島で繰り広げられるサバイバルバトル。ほんの少し前に話題になったテレビ番組に似せた企画だった。
情け容赦のない弱肉強食の戦いに胸が躍る。暇つぶしではなく十分に楽しめ、あまつさえ1000万を手に入れることができるのだ。
こんな美味しい話はない。
すっかり賞金を手にする気でいる朱蘭である。
「で、当然お前もでるんだろ?」
応募資格の3人1組の文字を見つけ、朱蘭は身を乗り出した。
しかし少年は薄い眉を下げ、両手を顔の前で合わせると、頭を下げた。
「オレも参加したいのはしたいんだけどさ、ちょっとな」
悪い。代わりをみつけてくれ。
心底すまなさそうに謝ってくる少年に、朱蘭は唇を尖らせて抵抗した。
が、無理強いするわけにもいかず、結局少女は不承不承頷くこととなった。
そんなこんなで熟考に熟考を重ねた結果選んだのが目の前の2名だった。
顔面蒼白で転がっている育ちが良さそうな青年と切れ味の良い刃のような雰囲気の青年。
胃の中のものを今にも吐き出しそうな青年は神崎まさみという。
普段は人懐っこい表情をする彼は、平和主義者で争いごとを好まない。
癒し系笑顔で上手くことを収めているが実は侮れない存在でもある。
本気にさせると向かうところ敵なしの強さをみせるのだ。
もう一方の男は、国閃寺由暁という。
この男、まさみとは正反対で愛想が悪く、何が気に入らないのかいつも不機嫌な顔を崩さない。
見目は決して悪くないのだが、包む雰囲気の怖さに誰も近寄りたがらない。
冷ややかな眼差しを少しでも笑みに変えれば
女性が群がる容姿ではあるのだが、本人にその気はゼロである。
そんな人物だが、彼もまた凄腕の持ち主である。
その腕をみせることは稀ではあるが、悔しいことに朱蘭自身は今まで彼に喧嘩で勝ったことがない。
腕力と頭脳と、何より運の強さで選んだ人材だったのに。
人をみる目だけは絶対の自信を持っている朱蘭である。
それなのに船酔いという弱点があったとは計算外だった。
一抹の不安を胸に抱きつつ、少女たち一行を乗せた船は熱い戦いの舞台へと突き進んでいく。
同時刻。
真っ白なクルーザーがマリンブルーの海を走る。惜しげもなく金を使っただろうと一目でわかる
豪華な船。
女性が一人、デッキで風に吹かれ広がる水平線を眺めていた。彼女の名前は神宮寺桜子。
神宮寺グループご令嬢である。
毛先をカールした肩までのウェーブヘアーをなびかせ、桜子は期待に輝く瞳をまだ見ぬ島へと向けている。
20代に足を突っ込んだ美女の、白いパンツルックは蒼一色の海に良く映えた。
地味に抑えた服装はまさしく清楚なお嬢さまだった。
「田沼、あとどれくらいかしら?」
手入れの行き届いた細長い指が頬にかかる髪に触れる。
背後に控える老人に視線を流す彼女の声はしっとりとして耳に心地よい。
「あと30分ほどだと伺っておりますが」
丁寧な言葉を返し、田沼と呼ばれた細身の老人は額に浮かぶ汗を拭った。
それよりもお嬢さま。中にお入りください。
顎を伝う汗をしきりに拭いながら、老人は桜子を船内へと誘う。
「そうね。そうするわ」
だが、強烈な紫外線を注ぐ太陽を見上げ、次いで船の進行方向を見つめる桜子に動く気配はない。
生返事を返すだけである。
男たちを一目で虜にする『女神の微笑み』と称される笑みを浮かべたまま、彼女は彼方を見つめていた。
もうすぐ逢えるのですね。運命の殿方と。
よく当たると評判の占い師の言葉を思い出し、桜子はうっとりと瞳を閉じる。
『今年、南の方角に新しい出会いが待っています』
新しい出会い。身を焦がす激しい恋。
思い出すだけで胸が高鳴る。
熱く激しい恋に揺さぶられ、行動を起こした桜子は、陽射しよりも熱く燃えていた。
絶対に見つけてみせるわ!
彼女の意気込みに比例するかのように、クルーザーは速度を増していった。
おまけ
回想部分のおまけをこっそりUPしてみました。