サバイバー
2
目前にこじんまりとした、けれど、綺麗に整備された湊が見えてきた。
一本の桟橋が海へと伸びる小さな湊。それは無人島のわりには立派なものだった。
その湊に、ゲームの参加者だと思われる人々がすでに上陸を果たしている。
年齢、体格、性別、バラエティーにとんだ連中がひしめいている。
離れていても伝わってくる夏の陽射し以上に暑い熱気。
熱気が否が応にも少女の気分を高める。
しかしイメージしていたものとは微妙に違う島の様子が、彼女の胸をざわつかせた。
「おっちゃん。ここ、無人島じゃなかったっけ?」
あまりにも綺麗に整備された湊に、朱蘭が首を傾げる。
白い顔の男たちを通り越し、真っ黒に日焼けした漁師をみやると、彼は笑顔で頷いた。
「数年前までは無人島だったさ」
つい最近本土の人間が島を買ったのだという。
ゆっくりと桟橋に近付き、手際よく上陸のための準備を進めながら、彼は説明してくれた。
ふぅん。
背中に何かが這い上がるような奇妙な予感を覚え、朱蘭は顔を顰める。
正体不明の感覚に、難しい顔で数秒悩んだあと、しかし彼女はその感覚を全身から追い払った。
慣れた手つきで船を接岸させる漁師から視線を外し、少女は船尾へと向かう。
船尾に転がる2つの物体は相変わらずぐったりとしたまま動かない。
近づく少女は苦い表情でふたつの影を見下ろした。
不機嫌に唇をへの字に歪め、朱蘭はひっくり返っている男たち二人の横っ腹をけりつける。
!!
声にならない悲鳴をあげて飛び起きたのは神崎まさみ。
あまりの勢いに、足場となる板を桟橋へと渡す途中だった漁師が慌てて引き返してくる。
「ねえさん、ちょっと乱暴すぎないか」
「全然」
無言で鋭い眼差しを向けてくるもう一人の青年、国閃寺由暁に朱蘭は同じくきつい目を返し、
「とっとと起きろや。着いたぞ」
ドスの効いた一声を放ち、少女は踵を返した。
目を丸くする漁師に、朱蘭は全開の笑みを向け、むりやり、漂っていたヤクザな雰囲気を追い払う。
彼女の笑みにつられ、ぎこちなく笑んだ男は、投げ出した作業を思い出し、慌てて戻っていった。
朱蘭は足手まといを振り返りもせず、自分の荷物を拾い上げ、漁師の背中を追いかける。
「ちばりよー」
上陸の準備を整え、白い歯から光を零し、漁師は少女に手を差し伸べた。
バランスの悪い板の上を漁師に支えてもらい、渡りきる。
男の手が離れる一瞬、朱蘭は精一杯の感謝を込め、皮の厚い荒れた手をしっかりと握り締めた。
意味はわからなかったけれど、温かい心が伝わってくる彼の言葉に頷いた。
「おっちゃん、ありがとな」
近くまで漁に出るといった男に甘え、ここまで連れて来てもらった。男には感謝してもしたりない。
気持ちを表すように頭を下げる朱蘭の肩を、男は照れ臭そうに数度叩き、島へと送り出した。
あ、そいつら邪魔なら海に投げてくれてもいいから。
手を振り、去っていく、風のような彼女の背中を見送り、漁師は未だ動かないふたつの影に近寄った。
転がっているふたりの青年を見下ろす。
「ねぇさん行ったけど、にいさんがたはどうするねぇ?」
問いかける男の声に反応し、二人はそれぞれの荷物を手にすると、無言で船から下りていく。
ひとりはよろよろと今にも倒れそうな歩みで、ひとりはしっかりとした足取りで。
その前を背筋を伸ばした今時珍しい黒髪の少女が歩く。
外見はまったくの少女なのに自分のことを「おれ」と呼ぶ勝気で乱暴な彼女。
おっとりした腰の低い青年と、凍りつく視線を辺りに振りまく青年。
奇妙な取り合わせの3つの背中を改めて眺め、男は首を傾げる。
内地の人間は変わっている、と彼が思ったかどうかは定かではないが、
男は見送りもそこそこに船のエンジンを始動させた。
そろそろ頭上にかかりはじめた太陽を掌越しに見上げ、男は気合を入れる。
遅れた分を取り戻すべく漁師は大海原へと船首を向けた。
小型の漁船と入れ違いで、大型のクルーザーが湊へと入る。
あまりにもこの場に似つかわしくないクルーザーの姿に、人々の視線が集中する。
島を取り囲む珊瑚礁を慎重に避け、ようやく接岸した船から現れたのは、これまたこの場に
似つかわしくない華やかな美女だった。
服と同色のつばの広い帽子をかぶった女性が、優雅な足取りでタラップを降りてくる。
その足運び、仕草が周囲にバラの幻影を振りまく。
ど田舎という表現がぴったりの島の雰囲気からはまったくかけ離れた姿に、居合わせた人々は
ただただ口をぽかんと開けるだけ。
「みなさま、ごきげんよう」
集中する視線が心地よいのか、桜子は彼女お得意の女神の微笑を大盤振る舞いする。
すると小波のような驚きが周囲を走り、次いで男たちの表情がだらしなく緩んだ。
わたくしも罪作りな女。
一瞬でこの場の異性を虜にしたお嬢さまは、浮かべた笑みを深くする。
まばらに見える同性の、嫉妬に燃える視線も心地よい。
瞳にハートマークを付けてこちらを見上げてくる視線をざっと眺め、桜子は一瞬にして
その一人一人に判定を下す。
あの人は……ダメね。胸がトキメかないわ。この方は……ダメ。こちらも違う。
即座にいくつもの頭上に×印をつけ、桜子は徐々に表情を曇らせる。
せっかくこちらから出向いて来たというのに、並の男しか見つからない。
帰ろうかしら、と半ば諦めかけたところに、運命の神は現れた。
湊から出、島の奥へと続く一本道を行く3つの背中のうち、ひとつが振り向いた。
背の高さといい、足の長さといい、高いレベルのルックスといい、
どれも桜子の条件をクリアしている。
ちらりと振り返った顔も日本人離れした彫りの深さだった。
刃のような鋭く尖った眼差しが、偶然桜子に向けられる。
反射的に特上の笑みを送るが、心が動いた様子もなく、逆に拒絶するように青年は彼女から目線を外した。
返ってくるはずのいつもの反応がまったくない。
どういうこと??
いえ、それよりも。
この胸の高鳴りは何かしら?
脳裏に蘇る胸を突き刺すような眼差し。
思い出すだけで、鼓動が激しくなるこの感覚は。
「田沼。田沼」
「お嬢さま、どうかされましたか?」
お顔の色が優れませんが。
滑るように彼女の背後に並んだ老人が、桜子の変化に気づき、声をかける。
気遣わしげな老人の声も耳に入っていないらしい主に、田沼の顔に緊張が走った。
「お嬢さま」
「田沼。今すぐあの者を調べなさい」
震える喉がようやくそれだけを紡ぎだす。
あの青年が運命の相手かもしれない。
顔が熱くなるのを感じ、桜子は頬に両手を添えた。
「お嬢さま、熱があるのでは」
「そんなことはどうでもいいの。田沼、早くあの者の素性を調べるのです」
こちらに意識を向けたまま動き出そうとしない老人を急かすように、桜子は声を荒げた。
「見つけたわ。見つけたのよ。田沼。あの人こそ運命のお方。
わたくし、絶対にこの恋を掴んでみせるわ」
自慢の指を握り締めて、興奮気味にまくし立てる桜子は、遠ざかる背中に熱い視線を送り続けた。