サバイバー





「どういうことですの!!」
 悲鳴に似た叫びが島中を駆け巡る。
 甲高い声が辺りに響いたかと思うと、羽を休めていた鳥たちが一斉に薄紫色の空へと飛び出していった。
 濃紺に染まる海に太陽が飲み込まれていく頃。 初日が終わりを告げようという時に突如上がった悲鳴に、皆が顔を上げる。
 本日最後のポイント獲得に燃えていた参加者の気力を殺ぎ落とす声は、 浜辺から離れた林の向こうから聞こえてきていた。
 バトルを中断し立ち上がる参加者たちと同様に、朱蘭もまた声の方向に目を向けた。
 林の向こうにはついさっき皆で協力して作った簡易トイレがあった。
 土を深く掘って縦長の穴を作り、両端の足場となる部分に板を置いただけの簡単なトイレ。 用を足すたび、水を流す代わりに砂をかけることに決め、共同で使用することとなっている。 そのトイレを目隠し代わりの水色のビニールシートがぐるりと囲っていた。
 声はその方向から聴こえてくる。
 事件の予感にみなが興味津々で駆けて行く。
「桜子さんじゃないのかな。今の声」
 火を起こすことに集中していたまさみが顔をあげる。手元の板からうっすらと煙が立ち、今にも火が生まれそうな気配である。
 予想外に大活躍の青年刑事に目を移し、朱蘭は「ああ、たぶんな」と聞き流す。
 静かになったと思ったら何をやっているのか。
 ようやく穏やかな時間を迎えたと思った先の降って湧いた事件のにおいに顔を顰める。
 お願いだからこれ以上足手まといにならないで欲しい。
 桜子がいなければ獲得できたはずのポイントの数々を思い出し、涙目になる。
「まさみちゃん、手を止めんなよ」
 林の向こうを気にして手を止めそうになる青年に、汗と涙を一緒に拭い、朱蘭は釘をさす。騒ぎも気になるが、 なにより今は本日最後のポイント獲得が優先である。
 簡易トイレ設置の提案、水のろ過装置と、いくつかのポイントを得てはいたが、 1日目の食糧獲得ゲームの勝利を逸するなど信じられないミスを連発していた。
「で、誰が行くんだ?」
 大きな石をまな板代わりに見事な包丁捌きをみせる由暁が、他人事のように問いかける。 捌かれている魚はまさみちゃんが獲ったものだった。
 額に零れ落ちる前髪の間から覗く眼差しが朱蘭をみていた。
「仕方ない。おれが行くよ」
 手作りろ過装置に水を足していた少女は作業の手を止め、仕方なく騒ぎの現場へと足を向けた。
 引き取りに行かなければ、今度はポイントの減算があるかもしれない。
 その間にも声はヴォリュームを増し、砂浜を駆け巡る。
 残光が砂浜を赤く染める。浜辺と同化し、朱色に染まる朱蘭の足は、進むたびに重くなった。
 近付くにつれ途切れ途切れに聴こえていた言葉の内容がクリアになってくる。
「なぜ、できないんですの!」
 こんなに大勢いるのですよ。考えるのが当然じゃありませんの。
「ですが……」
 対応に困り果てた弱々しい声が朱蘭の耳を打つ。
「わたくしにこんなところで用を足せと? 軽んじるにもほどがあります」
 わたくしを誰だと思っているのです!
 野次馬の人だかりの先。長袖長ズボン、茶色の髪を頭上に結い上げた美女はこちらに背を向け、 メガネの男に食ってかかっていた。
 怒りに身を震わせ、震える声を発し、女性は拳を握り締めていた。
「今すぐ用意させなさい」
 有無を言わさぬ口調が命令し慣れていた。
「何の騒ぎだ?」
 朱蘭は手近にいたサーファー風の男性を捕まえて問いただす。
「トイレとシャワーが完備されていないってんで君んとこのお嬢さまがお怒り」
 面白がっている男性の答えを聞き、朱蘭は脱力する。
 やっぱり。
 声の方向からなんとなく見当はついていた。
 あほらしい。コレは生き残りをかけた戦いであって、キャンプとはわけが違う。
 そもそもあの女、このゲームの趣旨を理解しているのかどうか……。
「いや。理解していないな。あれは」
 独り言ちる朱蘭に男が怪訝な顔を向ける。
 いや、なんでも、と答え、少女は男の脇をすり抜けた。
 怒りを男にぶつけながら、どこかそわそわしている美女の細い腕を捕まえる。
 手加減なしの扱いに、美女は先ほどとは違う悲鳴をあげた。
「何をなさるの!」
 痛みに顔を顰め振り返った桜子が、夜叉のごとき表情を浮かべる。
「また貴女ですの。邪魔をしないでくださる?」
 怒りの矛先を変えられ、朱蘭の額に青筋が浮かぶ。
 殴ってやろうか、とよぎった考えをすぐさま却下し、朱蘭は桜子の顔をまっすぐに捉える。
 防御もまともにできそうにない素人相手に手をあげることはできなかった。
「あんたさぁ。何しにここに来てんの?」
 突然の問いかけに、目を三角にし、炎を吐き出していた美女が言葉に詰まった。
 内容が理解できないらしい。困惑した眼差しが朱蘭に向けられる。
 はぁーとわざとらしく溜息を吐き出し、もう一度朱蘭は問いかけた。
「だからさ、あんた、何のためにこのバトルに参加してるわけ?」
 馬鹿にするような、挑発しているともとれる態度に、桜子のまなじりが再びつりあがる。
「決まっています。運命を手に入れるため、ですわ」
 ですから貴女に邪魔をされたくはありませんの。お解りになりましたら放していただけませんこと?
「運命手に入れる気でいるなら、これくらいのこと我慢できるんじゃないの?」
 それともあんたの運命ってこんなことで手に入れられないくらい安いものなんだ。
 再び火炎を吐き出した桜子の攻撃をなんなく避け、朱蘭は言葉を続ける。
 が、桜子も黙ってはいない。
「これくらいのことですって!」
 ますます柳眉を吊り上げ、朱蘭に詰め寄る。
 ギャラリーはあまりの迫力に近づけない。固唾をのんでことの成り行きを見守っていた。
「重要なことですわ!」
 シャワーもないだなんて。わたくしたち女性を馬鹿にしています!
 拳を振りかざし、益々声高となる。
「最低限のエチケットを『これくらいのこと』ですって?」
 貴女、女性としての自覚が足りないのじゃなくて。
 まくし立てる桜子の目は血走っていた。
 思った以上の頑固さである。
 やはり実力行使しかないか。
 力づくで黙らせた方がよさそうだと手をあげかけ、しかし次の瞬間また思い直す。
 見据える先の美女の顔が、時折何かを堪えるような表情をみせた。浮かべる表情に余裕はない。
 憤怒の形相が、徐々に青ざめていく。限界は近い。
 このままだと彼女は公衆の面前で恥をかくことになる。
 が、桜子は頑として首を縦にふらなかった。
「だったら家に帰れよ」
 頑なな美女に、苛立ちそのままを地面にぶつける。足元の砂に唾を吐きかけた。
 恥をかくことより、自分を曲げることの方が耐えられないらしい。
 お嬢さまの思考回路はよくわからない。
 手にあまり、朱蘭は投げやりに言い放つ。が、桜子はこれも拒絶した。
「そういうわけには参りませんわ。  わたくしは運命を手に入れるためにここにいるのです」
「ならルールに従えよ。ガキじゃないんだから」
 あ、ガキ以下か。
「なんですって!!」
「ガキ以下になりたくなかったら、大人しくルールに従えよ」
「……わたくしに辱めを受けろと言うの?」
 屈辱に歪んだ眼差しが朱蘭をきつく睨む。噛んだ唇の端が白く色を変えている。
 闇が降り始め、次第に視界が狭まっていく。
 にらみ合うお互いの顔が闇に溶ける。
「ここに残りたかったらな」
 従えないならこのままエリア外に出ろ。
 さじを投げ、そっぽを向いた朱蘭はもう桜子をみていなかった。
「帰ってくれた方がおれたちは助かる」
 縋りつくメガネの男の眼差しを無視し、朱蘭は踵を返した。 これ以上、お嬢さまに関わる気はなかった。
「そうそう、おれたちはそのお嬢さまと何の関係もないからな。ゲームは続けるぞ」
 あんたら邪魔すんなよ。いいな。
 思い出したようにメガネの男を顧み、朱蘭は平然と脅しを口にする。 にっこりと邪気のない笑みを浮かべた台詞は目が笑っていない分、凄みを増していた。
 視線を逸らせない男は喉を激しく上下させると、小さく頷く。
「じゃあな、お嬢さま。短い間だったけど、楽しかったよ」
「わかりましたわ」
 あっさりと放り投げた年下の少女に、焦って彼女は叫んだ。
 このままだと本当に放り出され、由暁を手に入れることもできなくなる。
 それは絶対に避けなければならない。そのためには……。
「わかりました」
 悲痛な声が辺りに響き渡る。
 悔しげに敗北宣言とも取れる台詞を吐き出し、桜子は踵を返す。
 遠ざかる背は林のさらに奥へと消えていった。


「あ!!」
 すべての輪郭がぼやける、夜明け前の静寂を突き破る声が突如響き渡る。
 まどろみの中に漂っていた参加者たちは、その声によって無理やりたたき起こされた。
 迷惑顔で次々と起きてくる参加者たちは、しかし次の瞬間、広がる光景に唖然とした。
 ブルーグレーの闇の中に、白く浮かび上がる大きな物体。木々の間に見え隠れするソレに、誰もが我が目を疑った。
 昨夜、眠りに付くまではソコには何もなかった。自分たちが作ったトイレ以外には。
 だが今はいつの間に運び込まれたのかわからない3台のトレーラーがあった。
 誰もが誰の仕業か疑わなかった。
 あの原始的なトイレを使用することがよっぽど屈辱的だったらしい。
 どんな方法を用いたのか。一夜にしてトイレ、シャワー付きとまったくこのゲームにそぐわない施設が 出来上がっていたのだ。
 3台のトレーラーには各2戸ずつ扉がつけられていた。白一色でまとめられたトレーラーは徐々に昇り始めた太陽を浴び、 眩しく輝き始める。
 誰もが絶句し、忙しく瞬きを繰り返す前で、唐突に6つのドアのひとつが開いた。現れたのは昨日とは180度違う表情を浮かべたお嬢さまだった。
 タオルで包んだ髪から滴り落ちる水滴が、大地に吸われていく。
 服に隠れていない首筋やウエスト、ふくらはぎはうっすらとピンク色に染まっている。 全身から立ち昇る石鹸の香りが辺りに広がる。
「おはようございます」
 前日とはまったく別人の晴れやかな笑顔で、桜子は呆けている人々を見下ろした。
 女神の笑みを取り戻した美女は、背筋を伸ばし、優雅な足取りで参加者たちの元に降り立った。
 厚みのある濡れた唇が、しっとりとした声を紡ぐ。
「ごきげんよう。ああ、みなさまもいかがです? どうぞ。ご自由にお使いいただいて構いませんわ」
 勝ち誇った高笑いを浮かべ、桜子は見物人の中から目ざとく朱蘭を見つける。 ますます笑みを深くし、お嬢さまは人差し指を少女へと突きつけた。
「ルールは変わりましてよ。わたくし、続けさせていただきますわ」
 貴女もよろしければお使いくださいな。 まぁどんなに磨こうとわたくしの足元にもおよばないとは思いますけれど。
 誰か嘘だと言ってくれ。
 憮然とした顔がお嬢様を見上げる。悔しさから朱蘭は地団太を踏んだ。
 今度こそ絶対に追い出せると思ったのに……。
 黒に近い濃紺から藍へ、藍から水色へ、水色から青へ色を変える空を仰ぎ、 少女はツキに見放された己を嘆いた。
朱 蘭と同じく天を仰ぐ者がひとり。 少女の両脇を固めた長身の影のひとつが、無表情の仮面の下で重い息を吐き出した。 揺れる瞳は美女を映さない。
 頭上に冠を戴いたような姿をした鳥が、生まれたばかりの光を浴び、頭上を旋回する。
 二対の瞳が自由に羽ばたく翼を見つめ、肩を落とした。
 だが、災難はまだまだ続くのだ。




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