サバイバー





 5日目の朝が明ける。
 すっかりと様変わりした周囲を見渡し、朱蘭は溜息をついた。
 血で血を争うサバイバトルのはずなのに、何がどう間違ってリゾートになってしまっているのだろう。
 疑問符だけが辺りを飛び回る。
 確かに生き残りをかけるバトルは現在も続けられていた。失格になったチームは次々と島を離れている。 島に残っている人間は初日の3分の2ほどに減っているのだが。
 徐々に輝きだす砂浜が目に眩しい。
 トイレ、シャワー完備のトレーラーから始まって、衛星電波利用の携帯電話、テント、 挙句の果てには洗濯もののクリーニング。
 お嬢さまのむちゃくちゃな主張は留まることを知らず、また、なぜかすべてが受け入れられていた。
「言ってることは間違っちゃいねぇんだけど……」
 トイレもシャワーも洗濯も、衛生面から考えれば、彼女の主張は間違いではない。 万一の際、SOSを発信できなければ死んでしまう可能性だってある。
 だが……便利すぎてあまりにも……。
 まだ誰の姿もない波打ち際。足元の砂をさらう波に目を落とし、朱蘭は再び浜へと目を戻した。
 プライバシー保護と称し、各人に支給された色とりどりのテントが浜を埋め尽くす。
 くしゅん。
 小さくくしゃみをした少女は、意外に寒い明け方の気温で冷えてしまった身体をさすった。 複雑な思いを宿した瞳を、初日とはまったく違う顔をした島に向けたままで。
 馬鹿馬鹿しいと去っていった仲間のことを思い、溜息が深くなる。
 便利な生活から離れ、原始的な空間で、それこそ生死ギリギリのバトルを繰り広げ、 最強の称号を得る。それがそもそもこのゲームの趣旨だったのではないだろうか。
 普段は顔を出さない、人間の、生への執着を試すような、そんなゲームだったはず。
 それなのに……。
 浜の白、空と海の青、木々の緑とはまったく異質の人工物が、明らかに浮いていた。
「何をやってるんだ?」
 抑揚のない声が耳朶を打つ。
 気配もなく近付いてきた男を振り返り、朱蘭はいっそう渋い顔を作った。
「別に」
 おまえは?
 問い返す声は素っ気ない。邪魔だと言わんばかりの物言いに、男は気を悪くするわけでもなく隣に並んだ。
「避難だ」
 簡潔な台詞には疲れがにじみ出ていた。
 どうやらお嬢さまの襲撃を受けたようだ。過激な彼女は何度も既成事実を作り上げようと、大胆にも 由暁のテントに忍び込んでくるらしい。
 現在のところ未遂で終わっているのは、ひとえに彼の鋭敏すぎる神経のおかげである。
 襲撃され、逃げ回る由暁の姿を想像し、吹き出しかけ、朱蘭は慌てて顔の筋肉に力を入れた。
 がんばるよなぁ。
 バイタリティー溢れるお嬢さまの行動は賞賛に値するものがある。
 素直に感心し、実は心の隅では応援する気持ちが芽生え始めている朱蘭だったのだが。
 付きまとわれている側にとっては、迷惑以外の何ものでもないらしい。
「ご苦労なことで」
 微妙な思いの混じった呟きに、由暁が細い眉を微かに吊り上げ、反応する。
「だいたいあんたがあんなことさえしなければ」
 ひとごとだと思って……。
 責める響きに少女が鼻で笑う。
「おれのせい? 助け求めてきたのはそっちだろ。おれは応えただけだ」
 真っ直ぐに見返す少女の視線に、男は顔を顰めた。
「助けを求めた覚えはない」
「少なくともおれにはそうみえた」
 誤解を招くような紛らわしい顔をするおまえが悪い。
 あくまでも非は青年にあると朱蘭は言う。
 剣呑な光を帯びた瞳が少女を見返す。
 逸らさず男の視線を受け止め、朱蘭は肩をすくめて言葉を続けた。
「でも、しのいでんだろ? ならいいじゃん」
「……ああ」
 かろうじて、ではあるが彼は彼女の襲撃をかわしている。
 あっけらかんと言い切る少女に、男は絶句する。
「お嬢の姐さんってのも悪くないと思うけど?」
 反論するかにみえた色の悪い唇は、しかし言葉を紡がず、微かに笑みの形に吊り上げられた。 苦笑とも失笑ともつかない笑みだった。
 年の離れた少女と従順ともとれる態度で付き従う青年の組み合わせは、 なかなかに興味をそそる対象であった。
 一方でごく一部の人間にとっては歯軋りを生み出す組み合わせでもあったのだが。


「なんですの!! 由暁様はわたくしのものですのに!!」
 ハンカチを噛み締める勢いの美女が、離れた岩陰で地団駄を踏む。
 今日こそは! と意気込んで由暁のテントに赴いたのに。
 桜子を待っていたのは、幸せそうに熟睡する間抜け面を晒した青年だった。
「なぜ! あなたがここにいますの!」
 2時間かけてフルメイクを施した完璧な顔が、夜叉へと変わる。
 豹変した美女に、安眠を奪われたまさみは声にならない悲鳴をあげた。
 間近に迫る顔が恐ろしい。しばらくは絶対にうなされるだろうと思われる形相に、まさみは腰を抜かした。
「由暁様はどちらですの? あの方はどちらに!」
 まさみに馬乗りになり、桜子は彼の太い首に指を絡ませる。 怒りに我を忘れ、締め上げる桜子に、命の危険を感じたまさみは必死に首を横に振った。
「……し、知りません。知りません」
「隠し立てはあなたのためにはなりませんわよ」
「本当に、ぼ、僕は、知らな、い」
 窒息寸前で、必死になって訴えるまさみに、桜子は疑わしげな目で睨みつける。
「おね、おねがい、します。は、はなし、放して、ください。ぼくは、しら、ない」
「本当ですわね?」
 見下ろす瞳の、逆巻く炎に怯えながら、まさみは何度も頷いた。
「わかりましたわ」
 ようやく信じたのか、桜子が彼を解放する。
 解放されたまさみは、美女の手の届かない隅まで必死で逃れた。
 いっきに胸に入る新鮮な空気にむせ、苦しげに体を歪める青年を、しかし彼女は見もしない。
「なぜ、あなたがここにいますの?」
 それは彼女の分のテントが支給されなかったから……。
 桜子は答えるまさみを完全に据わった瞳でねめつける。
「まぁ、わたくしのせいだと言いたいんですの!」
 昨夜は大雨だった。にもかかわらず、朱蘭へテントは支給されなかった。 由暁と相談し、自分の分を彼女に貸し、まさみは彼のところに居候となったわけなのだが。
「いや、そうじゃなく……」
「お黙りなさい!」
凄まじい剣幕に、まさみは沈黙するしかない。耳を垂れ、尻尾をまるめた犬のように彼は嵐が去るのを待った。
「田沼! 田沼!」
 脳を揺さぶる金属的な高音がテント内を震わせる。
 ややあって、老人のしわがれた声が返って来た。
「あの方は。由暁様はどちらにいますの?」
 ヒステリックに叫ぶ声に、淡々と姿の見えない老人は彼らが外にいると知らせてくれたわけなのだが。
「なぜ、小娘が傍にいますの!!」
 なぜか引きずられ、お嬢さまと同じく岩陰に張り付き、盗み見をするハメになったまさみは、 美女の後ろで己の不幸を嘆いていた。
「ちょっと。あなた。わたくしの邪魔をするのではなく、あの小娘を引き離しなさい」
 悔しさに歪んだ顔が思い出したようにまさみを振り返る。
 瞬間、強い眼差しがまさみを射抜いた。その場に縫い付けられてしまい、まさみは視線を逸らすことができない。
 朱蘭とは別の意味で迫力のある眼差しに、彼は逆らうことができなかった。
 情けないと自覚しつつも、彼は美女の命令に頷いた。心の中で朱蘭に合掌しながら。


「これをどうすればいいんですの?」
 強くなってきた風に乱れ始めた髪を押えながら、桜子は由暁を見上げた。瞳にはいくつもの星を瞬かせ、 周囲に花を飛ばし、乙女のように頬を赤らめる。 誰も邪魔をしないふたりっきりのシュチエーションに自然と声が弾む。
 周囲に目を向けていた青年は、美女の声に我に返った。
 浜辺からは広げられていたテントの海が取り除かれ、久々にもとの白さが顔をだしていた。
 台風が近付いてきていた。昨夜の叩きつける大雨はその前触れだったらしい。
 穏やかだった海は表情を変え、鉛色の雲が徐々に島へと近付く。
 台風接近の情報にゲームは一時中断することになった。
 全員での撤収作業が行われている最中である。
 撤収といっても島から出るのではなく、島の所有者の別荘へ、 台風が過ぎ去るまでの間、避難することになったのだ。
 忙しく働く参加者の中になぜか、男勝りな少女と犬のような青年の姿だけが見当たらない。
「あんた。あいつら知らないか?」
 初めてしっかりと桜子に目線を合わせ、由暁が問いかけた。
 まぁ、彼がわたくしを、わたくしを見つめて……。
 氷のような眼差しを向けれら、桜子は夢心地になる。 耳を打つ低い声にうっとりと聞き惚れる。 当然ながら言葉の内容は耳には入らない。
「おい。あんた。……おい」
 うっとりと熱いまなざしを向けられた由暁は、桜子の反応に頭を抱えた。
 唸りをあげた風が彼と彼女の髪を乱していく。
 打ち寄せる波が威力を増し、襲いかかってくる。
「きゃっ」
 砂浜に座り込み、荷物を縛っていた桜子が小さく声をあげた。
  見とれていた青年の顔から現実に目を向ける。
振り返った先に狂ったように迫り来る黒い波。 昨日までの紺碧とは色を異にした濁った青が、桜子に牙をむいた。
 足元を撫でるようだった波が、今は彼女を暗い海の底へと引きずり込もうと手を伸ばす。
 二つ目の波が去った直後、足に鋭い痛みが走った。
 目を落とすと、踝の下辺りから赤い線が流れている。どれくらい切れているのか判らない。 足元の砂が赤く染まっては流されていく。
「痛い……」
 切れたと思った瞬間から傷は痛み始める。 けれど起き上がる暇はなかった。
 暴れ狂う水の力は思った以上に強く、 もがく彼女を嘲笑うかのように、次から次へと襲いかかる。
 喉にのぼる悲鳴は声にならない。恐怖に美女の顔が歪んだ。
 ぎゅっと目を瞑る。
 ダメだと思ったその時、水の圧迫が消えた。
 恐る恐る目を開けた桜子の視界に飛び込んできたのは、青年の氷のような眼差し。
 仕方ないといいたげな瞳がまっすぐに桜子を見つめていた。
 手を出そうか出すまいか躊躇しながらも、結局桜子を放っておくことができなかったらしい。
「大丈夫か?」
 桜子を守るように、自らを盾にして、由暁は彼女の細い足首に触れた。
 傷を見る真剣な横顔が、桜子の鼓動を早くした。
「大丈夫だ。それほど深くは切れていない」
 傷の具合を確かめ、青年は軽く頷いた。 青ざめ、唇を震わせる自分を覗き込む瞳が、ぎこちない笑みを浮かべたように桜子にはみえた。
 驚きに目を見張る彼女を、続けて信じられない事態が襲った。
「行くぞ」
 身体が浮いた感覚の後、切れ長の瞳が至近距離に映る。 息を止め、目線を下げると今度は青年の逞しい広い胸が映った。背中と膝裏に感じる温もり。
 これは俗に言うお姫様抱っこというものでは……。
 実感したとたん、桜子の顔が一瞬で真っ赤に染まった。
「よ、よしあきさま!!」
 ひっくり返った声が、みっともなくて恥ずかしい。
 何百回も思い描き、憧れていたはずの展開。 しかし突然すぎて、現実の実感を覚えるどころではない。
 桜子は身体を固くし、俯くことしか出来なかった。
「向こうまで運ぶだけだ。安心しろ」
 すぐに降ろしてやるから我慢しろ。
 不機嫌そうな声が返って来る。
 この状況は嫌なはずがない。が、小さく頷くことが彼女にできる精一杯だった。桜子は彼の胸に顔を埋める。
 揺らさず丁寧に運んでくれる彼の優しさが背中越しに伝わってくる。
 煩いほどの風の音も彼の心臓の鼓動にかき消された。
 このまま時が止まればいいのに。
 しかし桜子の天にも昇る至福の時はそう長くは続かなかったのである。




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