サバイバー





「まだ来ていないってどういうことだ?」
 詰め寄る由暁の眼差しは焦りを帯びていた。
 窓に打ちつける雨は強さを増し、今にもガラスを破りそうな勢いである。
 暗い鉛色の空ではビデオの早回しのように雲が走っていく。
 屋敷の周りを囲む防風林は風に煽られながらも、必死に踏ん張っていた。
 境目のぼやけた黒い海が、狂ったように白い牙を空へと向けていた。
「あいつらはどこに行ったんだ!」
 声は熱を帯び、桜子が怯えるほどに強く激しくなっていく。
 珍しく感情を剥き出しにした由暁は、拳を壁に叩きつけた。
 返らない言葉に、苛立ちはさらに増していく。
 ダンッ! ダンッ!
「おやめください。屋敷を壊す気ですか?!」
 青ざめた顔の老人が必死になって止めに入るが、青年は聞く耳を持たない。
「あいつらはどこにいる?」
 同じ言葉を繰り返す。
「ま、落ち着きましょう」
 空調がきいているはずの室内でしきりに汗を拭うのは、ゲームの責任者たる男性。 ずり落ちるメガネをぎこちない手つきであげ、愛想笑いを張り付かせ、青年の前まで歩み寄る。
 由暁を宥めるつもりの彼の言葉は、しかし青年の針のような眼差しを前に凍りついた。
「あんたは落ち着いていられるのか?」
 責任を問われるのはおまえ達だと言外に告げる青年に、男性は顔を青くさせる。
 それは困る、と声を上げた男から視線を外し、由暁は宙を睨みつけた。
 白くなるまで握り締めた拳を壁に押し付け、唇を噛み締める。
 今、彼女を失うわけにはいかなかった。
 なぜか若い連中の半数以上から熱狂的な支持を受けている少女は、その存在がすでに彼女だけの ものではなくなっている。ここで彼女にもしものことがあれば、全責任を由暁が負うことになるのだ。 前々から朱蘭を目の上のこぶだと公言していた彼にとって、現在の状況は這い上がる機会 であると同時に奈落へ叩き落とされる危機でもあった。
 なにせ彼女のファンは暴走しやすい。頭に血が上りやすいタイプだ。 事故にみせかけ実は……と邪推され、袋叩きにあった上、海中深く沈められないとも限らない。
 大人しくやられるつもりはないが、そういった面倒事は極力避けたかった。
 だからこそ彼女の行方が知れないこの事態に、彼は苛立ちを隠しきれない。
 いや、それだけではない。心にひっかかっているのは、今朝の彼女の状況が一番の原因かもしれない。
 寒そうに手で頻繁に身体を摩っていた。くしゃみも連発していたし、顔も赤くはなかったか?
 絶対に人に弱みをみせたがらない少女は、 どんなに最悪なコンディションでもそれを表にだすことはしない。 そのため周囲が気づいた時には悪化していることがほとんどである。 また、由暁には絶対に弱みをみせることはない。だからこそよけいに注意深く見ていなければいけないのだが。
 何やってんだ。あの女は。
 未だTOPとしての自覚のない少女への、苛立ちが募っていく。
 そう、彼が爆発している理由の半分は、彼女に対する怒りへの八つ当たりでもあるのだ。
 ますます表情を険しく変える青年を前に、桜子はいっそう身体を強張らせた。
 傷の手当てが終わるまでは良い雰囲気だった。 男性にしては細く長い指が繊細な手つきで包帯を巻く。 無愛想な中の真剣な瞳が桜子だけをみていた。彼の本来の優しさに触れられた 穏やかな時間だった。
 それが、別荘に収容されたメンバーを 確認したとたん、彼の顔つきが変わったのだ。
 すでに島は暴風域に入っていた。 この島では遮るものは何もなく、容赦なく風は別荘に吹きつける。 建物の外に出ることは難しくなっていた。
 出かけるのは危険すぎる。それに、今さら出かけても助け出せるかどうか……。
 荒れた海に目を走らせ、桜子は確信する。今外に出たら彼の命の方が危険に晒されることになる。
 予想以上の力で闇へと引きずられていくだろう。 彼が海の底に沈むことになったら、と思うと胸が潰れる思いだ。
 絶対にダメ。
 逸らした瞳が固い決意を宿す。
 教えられない。教えてしまったらきっと由暁は彼らを捜しに行く。
 怖いくらい厳しい横顔が、時折窓の外へと向けられる。刃のような尖った空気を辺りに散らしながら。
 必死な姿が桜子の気持ちを重くさせる。
 なぜ、彼が小娘にこだわるのか。品位の欠片も女性としての自覚もなく、野蛮なだけの娘なのに。
 なぜ、彼女のことに心をくだくのか。なぜ、自分じゃないのか。
 顔を合わせるとけんかばかりしていた。いつも険悪な雰囲気で、お互い、顔を見るのも嫌そうで。 それなのに彼は朱蘭の傍にいた。
 小娘より劣っているとは思っていない。魅力は断然自分の方が上だ。断言できる。
 滲む視界の向こうには、ぶつけどころのない憤りを抱える青年がいる。
 どうして彼女なのだろう。
 赤い唇を噛み締め、桜子は目を落とした。
 青年が巻いてくれた真新しい包帯。触れた手の熱さがまだ残っている。
「由暁様、様子を見ましょう。この天候で捜索しても、二次災害を生むだけです」
 彼らだって馬鹿ではないはずです。安全な場所を見つけて避難していると思いますわ。
 悔しさを飲み込み、桜子は毅然とした口調で言葉を押し出した。
 振り返る青年の顔が怖い。
「あんたはどこにいるのか、知っているのか?」
 知っているも何も桜子がまさみに指示したのだ。島の端にある鍾乳洞へ彼女を連れて行けと。
 射抜くような彼の眼差しが痛い。逸らすことのできない瞳の強さ。
 唾を飲み込み、桜子は首を横に振る。
「いいえ」
 でも、きっと安全なところに避難していると思います。
 なぜ彼女の無事を祈るような言葉を口にするのか。不本意だったが桜子は由暁を励ますため、言葉を重ねた。
 無口になった男は打ちつける雨と風を睨みつけていた。


「どうすんだ?」
 天井からたれてくる雫が額に当たる。
 冷たい水を手の甲で拭い、朱蘭は剥き出しの腕を軽く摩った。
 洞窟の中は寒い。
 湿った風が時折、彼女から体温を奪い、奥へ流れていく。
「どうすんだ?」
 返ってこない言葉に、朱蘭は同行者がいるはずの方向へ目を向けた。
 指令の光る石は見つからず、帰ろうにも出口は塞がれてしまっていた。
 思いの外、時間がかかっていたらしい。表に出るとすでに潮は満ち、退路は断たれていた。
 往路で利用した天然の珊瑚の屍骸でできた橋は海中へと姿を消していた。
 荒々しい波が岸壁を打っては岩肌を削っていく。
 ムリに渡ろうものなら凶暴な獣と化した海にたちまちのうちに飲み込まれてしまう。 海の藻屑となるのは必至だった。
 強行突破を断念し、再び洞窟の奥へと引き返した二人だったが。
 聴こえてくる風の音が強さを増していた。
 暗い洞窟の中では足元もおぼつかない。
 長い年月をかけて出来上がったつららのような鍾乳石が、暗闇の中でぼんやりと浮かびあがる。
 口数が極端に減ったまさみは、今度も問いかけに答えない。
 闇に慣れた少女の瞳が、膝を抱え、うずくまる青年を捉えた。
「まーさーみーちゃーん」
 熱っぽいなと額に手をやり、ぼんやりと頭の片隅で思いながら、朱蘭は意識をまさみに向けた。
 地を這う声はしっかりと彼の耳に届いてはいるらしい。俯いた青年が肩を震わせる。
「まーさーみー。いい加減にしろよ」
 それともどこか痛むのか?
 気遣う気配を織り込むと、青年が顔をあげた。童顔が顕わになる。 眉尻をさげ、情けない表情を浮かべる青年は、首を左右に振り、少女の問いを否定する。
「具合が悪いわけじゃ、ないんだ」
 ポツリと答える声は弱々しい。涙声になりそうな予感に、朱蘭はぽりぽりと頭をかく。
「じゃあ、なんだよ」
 うっとうしいなぁ。
 突き放す乱暴な言い方は彼女の特徴である。
 呆れを含んだ眼差しを向け、手に余る大きな子どもに彼女は近付き、手を伸ばした。
 なぜか放って置けない。突き放すつもりがついつい構ってしまう。
 暗闇の中で苦笑を浮かべる朱蘭の前で、うつむくまさみから声が洩れた。
「自己嫌悪」
 ボソリと零した一言が、暗い。
 要領を得ない言葉に、手が止まり、眉が寄る。
「何に対して? もしかして、お嬢さまの言いなりになっておれを騙したことを言ってんの?」
「?」
 目を見開くまさみに、朱蘭は「見てりゃわかるって」と呆れを深くする。
「他にも鍾乳洞っていくつもあるのかと思ったけど、でもだからって他に誰も来ないのは変だろ」
 行く前からまさみちゃん変だったし。
 気づかない方がおかしいと少女の瞳は言う。
 ますます表情を強張らせる青年とは対照的に、朱蘭は苦笑とも失笑ともつかない笑みを浮かべていた。
「まさみちゃん、女に弱すぎ……」
 まぁそこがまさみちゃんなんだけど……と溜息まじりに呟いて、朱蘭は立ち上がった。
 まさみは少女の一挙手一投足に怯えたような視線を投げる。
 いちいち反応する青年に、朱蘭はもう一度盛大な溜息を吐き出した。
「まーさーみーちゃん、今は怒んないからさ、自己嫌悪の前にここ出るよ」
 こんなとこで溺れ死にたくはないだろ。
 足元を指差し、朱蘭は見た目より太い男の二の腕を掴んだ。
「え?? どこに??」
 弾かれたようにまさみが動いた。
 示すままに足元を見下ろすと、いつの間にか潮の香りの水が靴を濡らしている。 慌てて立ち上がってみたものの、出口がないことに気付き、青年は動きを止めた。
 洞窟の入り口はすでに半分が水に浸かっているはずだった。
 戸惑いぎみに少女に目を向けると、無敵の輝きにぶつかる。
「そんな絶望的な顔しなさんなって。おれが助けてやるよ」
 その代わり、貸しは倍だからな。
 苦境の時に発揮される少女の不敵な笑みは健在だった。 何か考えでもあるのか、洞窟の奥へと身体を向け、少女は青年を先導する。
 鍾乳石がぼんやりと輝く奥へ奥へと。




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