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キーボードの赴くままに・・・
ふと思ったこと、考えたこと、頭をかすめたことを
ただただお気楽に綴っている日記です。
by ニャンコ

4 April  >>タイトル一覧  >>日記最新版

++ 2002年4月の日記 ++
7-- Apr  Hot&Dry

私は熱い人が好きだ。面にそれは見せなくても、ハートがぽっぽしてる人ね。(決して暑苦しいわけじゃないよ)

今、夫婦で追いかけているコミックがこれ。
『HEAT−灼熱−』*『HEAT−灼熱−』(小学館)
今月第10巻が出た。
武論尊(作)・池上遼一(画)のコンビ作。
←毎回表紙を飾るこのイイ男が主人公。喧嘩はスーパーマン並みに強くて、頭はスーパーコンピューター並みに切れる。唐沢辰巳といいます。何の因果か、おじいちゃんは沖縄の漁師(うみんちゅ)で、地元ヤクザも一目置くほどの強者だったとか。・・・設定からして半端じゃない熱さですが、この主人公のハートがこれまた滅法熱いのです。カァ〜ッ、キク〜ッてなもんで。

「人は、頭(損得勘定)じゃなくて、ココ(心)で動くんですよね、唐沢さん。」
とまあ、こんな具合に、この主人公の灼熱のハートは次々と他の登場人物を熱い人へと変えていく。

青いですね〜。理想ですね〜。でもやっぱ理想を見失ったら「ハイ、ソレマデヨ」という気にさせるんです。

毎巻、唐沢語録なる決め台詞が出てきます。
「失うものが何もない人間よりも、失いたくないものを持ってるヤツが強いんだ!」・・・くぅ〜っ、座右の銘にいたしましょう。

そして、この主人公を取り巻く登場人物達の繋がりが決してなれ合いにならないところが私としてはポイントが高い。いつでも一匹狼になれる潔さを各人が持っている。仲間と呼ぶにしても、ベタベタの人間関係は苦手だ。それは現実の社会でもまったく同じ。

心は熱く、お互いが自立した人間関係。ホット&ドライが私には丁度いい。

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6-- Apr  PTAの役員ってサ

役員ネタが続きますが、退屈ですかあ〜〜〜?

「それは大変でしたね。」としかコメントできないような日記を書いてどうする!と思いつつ、一年分の時間と労力を掛けてきたものがそれですから、日々思いついたことを思いつきでつらつらと綴っていくこの場としては、「こんなこともあったのね」と書き残しておきたいわけで。

例えばランニングをしていて、走っている最中よりも止まってしばらくしてから汗がぶわ〜っと吹き出すという感じに似ているでしょうか。今まさにしたたり落ちる汗の汗ジミ日記です。

(注:恥ずかしながら昨年娘が幼稚園へ入園するまで、沖縄の幼稚園事情が他府県のそれと異なる独特の制度の下に成り立っていることを初めて知りました。どうりで雑誌やネットで仕入れた知識情報が「どうも違う」し、東京に住む義母と話していてもどこか「通じない」わけで、「沖縄では・・」という注釈が必要なのだということがやっと判明。その理由は、(やはり)米軍施政下の影響なのですね。先ずはその説明から進めていくのが筋なのでしょうが、思いついたことから書いていくという気楽さが心情ですので、<幼稚園事情>につきましてはページを新たにしようと思います。なお、もし、以下の内容に「通じない」箇所がありましたら、――沖縄の公立幼稚園は公立小学校校区に準じて入園する――ということをご理解下さい。)


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昨日は保護者会があり、新年度の役員決めがありました。

子供達だけでなく、親にとってもこの幼稚園での顔ぶれは特別な事情がない限り小学校まで続くわけで、ということは、この先6年間はクラスこそ違え同じ母集団の中から毎年役員を選ぶことになる。

昨年の年中で2クラス、今年の年長で3クラス、例年進級毎に一クラスずつ増えるということらしいので小学一年生では4クラスになると仮定しよう。双子や三つ子などの例があるかもしれないが、児童数とほぼ同数の保護者数として、約130名の母集団から各クラス3名ずつの役員を選出するなら<3名×4クラス×6年>、6年間でのべ72名の役員数となる。どうでしょう、これを一年交替の持ち回りで行うというのは。

「役員の負担を平等に」という意味ではない。どちらかというと、そんなところに平等論を持ち出すのはシラケた話だとさえ思う。

では、なぜ「持ち回り」かというと、親を学校へ引っ張り出したいからだ。引っ張り出してどうなるかというと、自分の子供をよく見てほしい、ということだ。

役員になると当然学校へ足を運ぶ機会が増える。というより学校へ行かねばならなくなる。それは昼でも夜でもどちらでもいい。学校へ行って、同じ学年の父母なり職員などと顔を合わせれば当然学校内の話題しか出ないだろう。そこで情報収集だ。○○先生がどーのこーの、××クラスは崩壊寸前らしい、△組の誰それがどうしたこうした等々、そんなよもやま話を実際耳にしてほしいのだ。アータの子供が学校で何をしているかをその耳で聞いて、実際に教室へ行ってその目で見てきてほしい。

参観日にしろ懇談会にしろ、学年が上がるにつれて出席率は低くなる(らしい)。幼稚園でさえ、一年に一度もお目にかかったことのない保護者の方さえいる。自分自身が学校なり子供なりに関心がないのは自由だが、そのアータのおかげでこちらがとばっちりを被るのは勘弁してほしいよ。

幼児〜低学年の子供が荒れるのはハッキリ言って親の愛情不足が原因だと私は思う。愛情不足だなんてあまりに極端な表現だが、言い換えるなら、無関心というべきだろうか。愛情を持っているか持っていないかの気持ちの問題ではない。伝えるべき相手にきちんと伝わっているかが問題なのだ。まだ小学生のわが子に親がさじを投げるケースだってある。アータがさじを投げるのは勝手だが、私には私のわが子を守る責任がある。

学校へ出向かない親にこそ、何としても学校へ来てもらいたい。そのために「役員持ち回り制」!

「6年間に一度はやっていただくので」

ということであれば頼む方は頼みやすいし、引き受ける方だって引き受けやすいのでは? 今年やったら来年も声がかかるのでは・・?なんて心配いらないし〜。あ。もちろん続投希望の人はそれはそれでノープロブレムですよね、もちろん。それでも全員には回ってこないわけだし、試してみる価値はあると思うんだけど・・・。

新しい担任の先生に「ニャンコさんに是非ということなのですが・・・」と振られたが、「今年は他の方に機会をお譲りしたいと思います。」と返答した。今年転入してきたばかりの先生なので多少遠慮があったのだろう。それ以上の押しはなく、私は「役員の仕事ってこんな感じ〜」ってなことをひとしきり皆の前で話して撤退。顔見知りの先生だったらきっと振り切れなかったかもしれないけど・・。とにかく今年は企画運営する側でなく、参加する幼稚園を楽しみたかったから肩は軽く心も軽い。

そう、それこそ<機会>だと私は思っている。負担(重荷)を背負うのでなく、役員という機会を活かすのだ。見ず知らずの他人の面倒をみよというわけでもあるまい。自分の子供と関わる絶好の機会なのだから。

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5-- Apr  最後までアンビリバボー

さて、いよいよ250冊分の記念誌のページ約7,000枚をわが家のカラリオで印刷することになった・・・、というところからです。

印刷する日数にほとんど余裕がないので、かなり気合いを入れてのハイペースで印刷を進めていくことになる。

一度に目一杯セットできる紙が100枚弱。ページによって一枚当たりの印刷時間に若干差はあるものの、ほぼ30分毎の紙の補充と、あれよあれよという間に減っていくインクの交換のため、常にプリンタの進行状況をチェックしながら家事や所用をやりくりしていく。

午前中は相変わらず幼稚園へ出勤。役所への提出書類もあることだし、まだまだやることが残っている。ニャンコスペース(4/4参照)で諸々の文書づくり。隣では会計さんが必死で電卓を叩いてるって具合ね。その間、家では夫がプリンタの世話をし、私が帰宅してバトンタッチ。夜は夜で、深夜の時間帯は夫が番をし、その後は私が早起きをして引き継ぐというパターンが自然にできてしまった。朝5時頃目を覚ますと、決まって紙切れかインク切れでプリンタが止まっている。どちらかを補充してさあ再スタート!

一日23時間は動き続けていただろうか、わが家のカラリオ。そんな調子で3〜4日。機械といえどもまさに不眠不休で頑張ってくれた。こんな使い方したことないけど大丈夫だったのかな・・・?

記念誌a兎にも角にも予定通りに印刷所へ印刷したページを持ち込むこんで製本を依頼。予定より一日早く完成品を納品してもらうことができ、園児達への配布も滞りなく済ませることができた。

記念誌b表紙は私のたっての希望で薄いピンクのコスモス色。市内の各幼稚園や市立図書館など対外的にも各所へ贈ることになっているが、お近くの人はもしかしたらお目に触れる機会があるかもしれませんね。

記念誌c




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4-- Apr  アンビリバボーな日々

一年間の幼稚園役員の活動が先月3月19日の年中終業式の日をもってやっと、や〜っと終わった。ホント、最後の最後までよく動いたというか、こき使われたというか・・。

娘にとっても私にとっても初めての経験である幼稚園ライフ。初めてなら何もコワイものはない!っとばかりに役員を務めた一年だった。(役員決めの保護者会はこの日:4月5日

志は高かったんだよなぁ、うん。・・・何も知らないばっかりにね。

そうだよ、そうだよ。<創立30周年!>っつーことで、超アンビリバボーな日々になるなんてさ。

バザーやら記念式典の準備や運営で連日のように園へ通い、それこそ「タイムカード作ろうか」なんて冗談がでるほど〈出勤〉状態の日々が続いた。ただ、大勢で取り組む作業・活動は、その時はかなりしんどいけど、一仕事終えた後の達成感・充実感を皆で分かち合うというすがすがしさがあった。苦労を共にするとお互いに親近感も増す。子供達も同じ園内にいるので、集団生活をしているわが子の様子を垣間見る楽しみもあった。それと、先生が振る舞ってくれたり各人が持ち寄る差し入れは嬉しかった。

「幼稚園は楽しいよ」
と役員を経験した友人から聞いていたが、小学校(中高含めて)ではこうはいかないだろうというところは確かにあった。また、園の保育時間内での活動になるので、赤ちゃんや小さい子を連れての参加はできるが、反面、仕事を持っている人はなかなか関わりにくいのかもしれない。実際、お勤めをしている役員の方で、この一年間に1〜2回しか顔を合わせていない人が何人かいる。名簿上で名前は知っているが、失礼ながらお顔は憶えていない。小学校の役員会は<夜>に行われるということだから、その後状況は逆転するということなのかな?

とと、先の話はまあ置いといて。

今回、<創立30周年>ということで私にとって一番難儀で最も負担が大きかったのは、ナンといっても<記念誌>づくりだ!

この記念誌。小学校の記念誌の一部に幼稚園が挿入されることはあっても、幼稚園として独自の記念誌というのは市内では初めてらしい。なので参考になるような資料・文献がほとんどなくて手探り状態だったのは困ったが、反面、型というものに囚われることなく「こんな風にしたい」という色んなアイディアを一つ一つ具体化していく作業は楽しいものだった。

コンセプトは「幼稚園らしくカワイく♪」。通常、この手の記念誌はお堅い紙面が多いが、そこはせっかく幼稚園の記念誌ですから写真やカットも多めにして、園児一人一人の似顔絵を載せることにもした。決して大人のための本ではなく、30年の節目に在園した彼等彼女たちへのプレゼントにしたかった。もう少し大きくなった時、もう一度この本を手にとってもらいたいから。

2学期に入って目次づくりから始め、原稿の依頼、園の沿革を整理、フォント決めやレイアウト、画像の取り込み・加工等々。できるところまで手作りなわけですから、当然パソコンは必須。・・・が、扱える人間が私だけということで、当然ながらこのか弱い肩にどーんと山のような仕事が乗っかったというわけで。

はい。やりましたよ。やりましたともさ。
12月の記念式典までは自宅で作業、その後いよいよ大詰めになってくると園側との細かい確認が頻繁になってきたのでいちいち自宅へ持ち帰っている場合ではなくなった。そこで、↓のように機材を園へ持ち込むことに相成りました〜。

*幼稚園でのニャンコスペース
仕事部屋
左のノートはLaVie、右はVAIO、17インチモニタ、プリンタ、スキャナと、一式全部私物ですわ。はは。
ここまでするか!?と自分でも思うけど、そうしないと仕事にならないのですよ。

それに、私一人で全部のことをやりたくなかったし、一人で全部やろうとしたらはっきり言ってアホだよ。例えば140余名分の似顔絵をスキャナで取り込み、ソフトを使って加工する。・・その作業にしても、一人でやった方がきっと早かっただろなぁ、と振り返ってみればそう思えるのだが、記念誌担当数名にソフトの立ち上げから手順行程を覚えてもらい、可能な時間帯でpcに触れてもらうことにした。ワープロならできるという人にはテキスト入力をお願いした。

ところで、これら一連の記念事業に関して園から特別な予算(公費)などは一円もない。全ての活動にかかる費用はバザーの収益や寄付で賄わなければならず、よって<記念誌>も可能な限り手作りをして印刷所へは製本のみ依頼ということになり、印刷はカラーのインクジェットプリンタで行うことになった。

そうこうしながら、総ページ数39ページの原稿が出来上がり、250冊分の印刷へと取りかかる。背表紙へ入れるタイトルスペースの厚みを確保するため片面印刷とした。・・・で、ざっと単純計算して9,750枚。一部はモノクロレーザーとハードコピーを併用することにしたが、それでも約7,000枚を超えるインクジェットでの印刷枚数になった。これだけの枚数になると一枚当たりの印刷時間は1秒でも早いに越したことはない。当初は幼稚園のプリンタを使う予定だったが、そのスピードの点を考えて、わが家のプリンタを使うことに。

もうその頃には日数にあまり余裕がなく、一週間で印刷を完成させなければならない現実が迫っていた。さあ、そこからわが家のカラリオとニャンコ夫婦の不眠不休の印刷地獄が始まったのでした・・・。

−つづく−

・・・風邪はすっかり治まり体調もいいですが、まだほんの少し頭がシャキッとしていませんで、文脈がよれよれでこれまたシャキッとしていませんね。すみません、読みづらいかと思います。ここで一端一休みします。

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3-- Apr  とんだ風邪っぴきでぃ

幼稚園の激務も終わり、東京への里帰りから帰ってきました。
やっぱ旅行はイイだす!
あ〜、これこそ命の洗濯ってヤツですねぇ・・
さあ、更新はこれからよ!


と、トップページへ書き込み、ぽつぽつと日記を書き出していた矢先、娘と共に風邪でダウン。丸三日間、布団の中で過ごしておりましたぁ・・。なんでこーなるの。

夫は「旅行の疲れが出たんだね。」と言いますが、いえいえ、きっと「一年分の疲れが一度にきたんだーー!」と思っちょります。まだ引きずってるんですね、幼稚園。熱が39度を突破して自己記録更新です。あはは。

とすると、年中さん皆勤賞!の娘もその反動なのかな。彼女自身、小児科の受診は約1年ぶりだものね。

母子そろって思いっきり寝込んでしまったので夫が大変ですわ。
おとーさん、ご面倒かけました。いろいろありがとね。

ハイビスカス今週明けには発熱及び咳こみがどうにか落ち着き、県内のリゾートホテルへ一泊。(ほとんど執念の回復!)

当初はプールで娘を遊ばせる予定が、この事情でのんびり休養の滞在に。久々に口にしたビールの味は格別であった。ぷはっ。<アタイの休養はそれかい!

これで、長〜い一年のなかの短いニャンコ家の休暇も終わり。
あぁ、楽しいことはいつもつかの間の夢のよう・・・。

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