6-- Apr PTAの役員ってサ
役員ネタが続きますが、退屈ですかあ〜〜〜?
「それは大変でしたね。」としかコメントできないような日記を書いてどうする!と思いつつ、一年分の時間と労力を掛けてきたものがそれですから、日々思いついたことを思いつきでつらつらと綴っていくこの場としては、「こんなこともあったのね」と書き残しておきたいわけで。
例えばランニングをしていて、走っている最中よりも止まってしばらくしてから汗がぶわ〜っと吹き出すという感じに似ているでしょうか。今まさにしたたり落ちる汗の汗ジミ日記です。
(注:恥ずかしながら昨年娘が幼稚園へ入園するまで、沖縄の幼稚園事情が他府県のそれと異なる独特の制度の下に成り立っていることを初めて知りました。どうりで雑誌やネットで仕入れた知識情報が「どうも違う」し、東京に住む義母と話していてもどこか「通じない」わけで、「沖縄では・・」という注釈が必要なのだということがやっと判明。その理由は、(やはり)米軍施政下の影響なのですね。先ずはその説明から進めていくのが筋なのでしょうが、思いついたことから書いていくという気楽さが心情ですので、<幼稚園事情>につきましてはページを新たにしようと思います。なお、もし、以下の内容に「通じない」箇所がありましたら、――沖縄の公立幼稚園は公立小学校校区に準じて入園する――ということをご理解下さい。)
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昨日は保護者会があり、新年度の役員決めがありました。
子供達だけでなく、親にとってもこの幼稚園での顔ぶれは特別な事情がない限り小学校まで続くわけで、ということは、この先6年間はクラスこそ違え同じ母集団の中から毎年役員を選ぶことになる。
昨年の年中で2クラス、今年の年長で3クラス、例年進級毎に一クラスずつ増えるということらしいので小学一年生では4クラスになると仮定しよう。双子や三つ子などの例があるかもしれないが、児童数とほぼ同数の保護者数として、約130名の母集団から各クラス3名ずつの役員を選出するなら<3名×4クラス×6年>、6年間でのべ72名の役員数となる。どうでしょう、これを一年交替の持ち回りで行うというのは。
「役員の負担を平等に」という意味ではない。どちらかというと、そんなところに平等論を持ち出すのはシラケた話だとさえ思う。
では、なぜ「持ち回り」かというと、親を学校へ引っ張り出したいからだ。引っ張り出してどうなるかというと、自分の子供をよく見てほしい、ということだ。
役員になると当然学校へ足を運ぶ機会が増える。というより学校へ行かねばならなくなる。それは昼でも夜でもどちらでもいい。学校へ行って、同じ学年の父母なり職員などと顔を合わせれば当然学校内の話題しか出ないだろう。そこで情報収集だ。○○先生がどーのこーの、××クラスは崩壊寸前らしい、△組の誰それがどうしたこうした等々、そんなよもやま話を実際耳にしてほしいのだ。アータの子供が学校で何をしているかをその耳で聞いて、実際に教室へ行ってその目で見てきてほしい。
参観日にしろ懇談会にしろ、学年が上がるにつれて出席率は低くなる(らしい)。幼稚園でさえ、一年に一度もお目にかかったことのない保護者の方さえいる。自分自身が学校なり子供なりに関心がないのは自由だが、そのアータのおかげでこちらがとばっちりを被るのは勘弁してほしいよ。
幼児〜低学年の子供が荒れるのはハッキリ言って親の愛情不足が原因だと私は思う。愛情不足だなんてあまりに極端な表現だが、言い換えるなら、無関心というべきだろうか。愛情を持っているか持っていないかの気持ちの問題ではない。伝えるべき相手にきちんと伝わっているかが問題なのだ。まだ小学生のわが子に親がさじを投げるケースだってある。アータがさじを投げるのは勝手だが、私には私のわが子を守る責任がある。
学校へ出向かない親にこそ、何としても学校へ来てもらいたい。そのために「役員持ち回り制」!
「6年間に一度はやっていただくので」
ということであれば頼む方は頼みやすいし、引き受ける方だって引き受けやすいのでは? 今年やったら来年も声がかかるのでは・・?なんて心配いらないし〜。あ。もちろん続投希望の人はそれはそれでノープロブレムですよね、もちろん。それでも全員には回ってこないわけだし、試してみる価値はあると思うんだけど・・・。
新しい担任の先生に「ニャンコさんに是非ということなのですが・・・」と振られたが、「今年は他の方に機会をお譲りしたいと思います。」と返答した。今年転入してきたばかりの先生なので多少遠慮があったのだろう。それ以上の押しはなく、私は「役員の仕事ってこんな感じ〜」ってなことをひとしきり皆の前で話して撤退。顔見知りの先生だったらきっと振り切れなかったかもしれないけど・・。とにかく今年は企画運営する側でなく、参加する幼稚園を楽しみたかったから肩は軽く心も軽い。
そう、それこそ<機会>だと私は思っている。負担(重荷)を背負うのでなく、役員という機会を活かすのだ。見ず知らずの他人の面倒をみよというわけでもあるまい。自分の子供と関わる絶好の機会なのだから。
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