映画雑文 |
ファイト・クラブ FIGHT CLUB |
監督■デイビッド・フィンチャー 制作■アート・リンソン/ショーン・チャフィン/ロス・グレイソン・ベル 脚本■ジム・ウールス 原作■チャック・ポーラニック 製作総指揮■アーノン・ミルチャン 撮影■ジェフ・クローネンウェス 編集■ジェイムズ・ヘイグッド 衣装デザイナー■マイケル・カプラン 音楽■ザ・ダスト・プラザーズ 特殊メイクアップ効果スーパーバイザー■ロブ・ボッティン 出演■エドワード・ノートン/ブラッド・ピット/ヘレナ・ボナム・カーター/ミート・ローフ・アデイ 1999 アメリカ 139分 エドワード・ノートンとブラッド・ピット、そしてデイヴィッド・フィンチャーが魅せる 男の世界、男の感性、男の美学、男の正義、男の野心、男が女を愛する時… ボコボコに殴り合った後、その相手としっかと抱き合うなんて、そんなカタルシスは女同士にはまず あり得ません! そうです、そうですとも! え? 「暴力や苦痛による浄化作用を描いているなんて言わないで欲しい。それらは、一つのオプションとして提示されているだけなんだ」(パンフより引用)分かってるわよ、お二人さん。 でもね、これも分かってよ。女がいるってこと、男社会に浸かってないでさっ。 ◆ デイヴィッド・フィンチャー/監督 主な作品:エイリアン3、セブン、ゲーム作品の出来に波のある人だといわれていますね。 「ゲーム」(1997)は娯楽性もなくそこまでやるか、と思いました。「セブン」(1995)は猟奇殺人の凄みがありました。 そして今回ですが、過去のこれらとまったくタイプが違うんですよねぇ。“映像”も違う。 ちょっとこの監督さん未知数です。 でも、ちょっと気になる男ですね。 ファイト(闘う、殴り合う)以上に、監督のやる気が感じられ、のめり込めた作品です。 「シックス・センス」(1999)を思わせる部分がいくつかありましたが、それに対する不満を感じることはありませんでした。なぜなら、ブラピの扱いに共感。これは感動ものです。 今まで、ビッグネームのキャスティングが作品をつまらなくするなぁ、なんて思っていましたが、監督、あなたはえらい! こういうのを監督と役者の信頼関係というのでしょうか。 この作品はブラピが主役ではないし、ブラピの映画でないことは確かです。 が、ブラピ・ファンに対してはギリギリのヌードをサービス。これで文句は出ない。多分ね。 監督もブラピも私も同年代です。日本でいえば、団塊とも違うし、新人類とも違う。 シンボル(意味があるモノ)のない世代だけに右にも左にも行けず、“ノンポリ”という言葉さえなかった。そうそう、“アンニュイ”なんていうのをカッコイイと思ってたっけ。 でも、囚われるものがなかった分だけ、ステレオタイプにならない柔軟性を持てれば社会のよりよいファクターになれるかも知れない。 アメリカでも旧態依然としている組織や仕組み、人間関係にうんざりしている人間は多いんだろうな。 ビューロクラシー(ピラミッド型の階層組織)、孤独な群衆、他人志向の現代人、DK(I Don't Know !)グループ、そして人間疎外… 人間は、その理性がかつて否定したはずのものをいつの間にか後押ししていることに気が付かない。3歩進んで2歩退くことも時には必要ですね。 タイラーは「物に支配されている」と言ってジャックを笑ったけど、彼自身は意のままに動くモンキー軍団をつくって支配することをし、究極的には何をしようとしていたのだろうか。 私やあなたの中のタイラーは、何と囁いていますか…? それと、観る前から<石鹸>がどうしても気になっていました。 アウシュビッツでは収容したユダヤ人の髪の毛で織物をしたといいます。上等の絨毯ができるそうです。 この<石鹸>は一つのアンチテーゼなのかも知れません。 「ソイレント・グリーン」(1973、チャールトン・ヘストン主演)が浮かびましたが、そのメッセージの類なのかな、と。 それとも、現代人の馬鹿さかげんを笑い飛ばしているのかな?
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