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私記:父の記録

琉大が燃えた日トップへ


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矛先は琉大にトップへ

琉大の死んだ日 理事会をおどしつけ、学生処分(謹慎)をとりつけたディフェンダーファーは、意気揚々とひき上げ、民政官に報告したようである。しかしバージャー主席民政官は「生ぬるい」と、これを一蹴した。

 理事会の謹慎処分決定の文書に対し、即座(8月10日)に応答した次のような「琉大理事会へのバージャー言明」を発表した。
 「只今提出された文書は目的というものは一つもなく、これによって当面の問題が解決されるとは思えない。文書中、米国人に対してすまなかったと書いてあるが、オフリミッツの設定によって一番苦しい目にあっているコザの住民に対しては一言の詫びの言葉も述べられていないのは遺憾にたえない。私はこの文書を直ちに受諾するわけにはいかない。

 琉大の理事会は、もう一ぺん断固たる態度をもって責任者の処分問題を再検討すべきであろう。

  私が大学当局の運営が当を得ていないと指摘していることは、その主導者が共産分子を含んでいると同時に大学当局に対しても反対的態度をとっている明白な事実によるものである。例えば学生会長は安里学長の質問に対し真実の回答をしなかった。この生徒に対し大学当局が何らの手も打たなかったということは、特に指摘されねばならない。また現在、琉大学生会の副会長が共産主義者と目される瀬長氏と日本で行動を共にしている事実がある。なぜ琉大当局がこれらの生徒に対し断固たる態度で臨まないか私には不可解である。理事会の諸君の弁護はこれらの事実と反しているから嘘であろう。もちろん再検討を要するものは現下の政党の動きのみならず、琉大教授間の動きも同様であろう。もしも琉大の使命が将来沖縄に悪影響を及ぼす人びとの温床となるならば、むしろ琉大を廃止することが琉大にとっても為になることであろう。

  私は理事会及び学長が真に琉大の存続を希望しているか、また自力で大学を経営して行こうという信念があるのか疑わざるをえない。」

 バージャーが真先に叱責しているのは、理事会の文書中、コザの住民に対する詫びの言葉がないということである。これは、学生がコザでトラブルをおこし、その責任を問うということならともかく、自ら発したオフリミッツの全責任を学生に転嫁し、大学と住民を対立関係におこうとする意図が明白に出ている。オフリミッツ解禁に関して米当局筋では「琉大の処分が民政官によって完全に妥当とみとめられなければ解禁はむつかしい」とのべていることも伝えられていた。

 また、大学当局の運営が当を得ていない明白な事実として指摘していることの一つ「学生会長は安里学長の質問に対し真実の回答をしなかった」ということだが、古我知会長がいつどのような質問をされたか聞いていないけれども、もしデモ行進中のことであれば、彼はデモに参加していないから正確には答えられなかったであろう。あるいは反米デモだと認めれば真実を語ったことになるのか。

 次に「琉大学生会の副会長が共産主義者と目される瀬長氏と日本で行動を共にしている」ことを指摘している。喜舎場君のことであろうが、彼は副会長ではなく事務局長であった。

 代表団は瀬長氏を含め、土地協の主催する県民大会を通して選ばれた県民代表であって、一団として行動するのは当然であり、それを云々されるいわれはない。大会場でのカンパのこと、本土派遣代表のことといい、共産主義者の代名詞的存在と目される瀬長氏とのわずかな接点をみつけては因縁をつけるというようなものである。バージャー民政官が、対処すべき「明白な事実」とはこういうたぐいのものであった。

 更に「政党の動きのみならず、琉大教授団の動きも同様」と教授団にも矛先をむけ、その動きをけん制し、あげく「沖縄に悪影響を及ぼす人びとの温床となるならば、むしろ琉大を廃止することが琉大にとって為になる。」とヒステリックに当たりちらしているのである。

 「学生だけの反省でなく、教授陣自体も今までの態度を十分に反省しなければならない」と、琉大そのものをも問題にしてきていた。

 その頃、文理学部の法政・経済関係には、新城利彦、砂川恵勝、金城秀三、平恒次といった気鋭の人たちがいて、学生の処分には強く反発していた。相応の理由のない「学生処分」というような理不尽なことが通用するはずがない。そう考えていたし、理事・財団の合同会議の間、学生に対しても個別にではあるが気軽に応対していた。

 謹慎処分をきめた理事会のあと、深夜まで話合いがもたれたということは、教授間に処分反対の空気が強かったせいもあろう。

 しかし、「苦悩の選択」であったといわれるその謹慎処分の決定も、バージャー主席民政官によって一蹴された。

 学生会の本土派遣代表(総会で選出の5名)は、私学連も受け入れを了解し、8月11日出発準備を進めている最中にこの問題が起ってきたわけである。状況が思わぬ展開をみせる中で、私学連とも連絡をとり、とりあえず出発を見合わせ、事態を見守ることになった。
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