映画雑文 追記(2001.2.10)はこちら |
ナビィの恋 |
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監督■中江裕司 脚本■中江悠司/中江素子 テーマ曲■マイケル・ナイマン with 登川誠仁 出演■平良とみ/登川誠仁/西田尚美/村上淳/平良進/兼島麗子/アシュレイ・マックアイザック/嘉手苅林昌/大城美佐子/山里勇吉 1999 日本 映画評論家おすぎの〈シネマトーク〉とセットになった特別プログラムの上映会に出かけました。PM 6:30の開場時間より早めに入り口へ向かったのですが、その時すでに長蛇の列が・・・。係の人が、前売り券をお持ちなら中へどうぞ、と案内してくれたもののロビー内もすでに列、列、列・・・・・・。シネマトークは初めてで、う〜ん、噂通りの盛況ぶりです。加えて「ナビィの恋」の求心力なのでしょう。 客席はみるみる埋まっていきましたが、一人分の席を確保するのはそう難しくはなく、前から4列目のほぼ真ん中の席(ジャストポジション!)に座ることができました。200?ほどの客席は満席! こんな満杯の劇場で映画を観たことないぞー。舞台の花道や通路にも客が座り込むという状態で(後ろは振り向かなかったから分かりませんが、おそらく立ち見も多かったのでは)、私の隣には、娘さん(かな?)と一緒の70〜80代と見うけられるおばあちゃん。他にもご年輩の方が多数いらっしゃいました。やっぱ、ウチナーものだからね・・・。 さて、おすぎのシネマトークから開演です。 ◆トーク 職業柄、人の“喋り”には興味があります。落語や漫才、ニュースキャスター、朗読やアナウンス、デパートの実演販売 etc・・・。喋っている内容というより、如何にして相手に“聞かせている”かというところに耳を傾けてしまいます。 おすぎは約50分間のトークでした。椅子が準備されていましたが、ずっと立ったままです。彼(彼女?)の場合はテクニック云々よりもやはりキャラクター性ですね。こればっかりは真似できないので何とも羨ましいかぎりです。持ち時間いっぱい、聴衆をだらけさせなところはさすがプロだと思いました。 話しの中で意外だったのは、日本映画に対し、「テレビでいつも見ている顔をわざわざお金払ってまで見る?」として、“キャスティング”の貧弱さを話していたこと。日本映画を映画館で観ることに躊躇する人は少なからずそういう思いがあると思いますが、自らTVに露出しているおすぎの口から聞けるとは・・・。 そして、大島渚監督の「御法度」を取り上げ、「病気から復帰して頑張ったことと作品の出来の善し悪しは違う。」「日本の中では、大島とたけしに関しては誰も何も言わないの。」 そうだよなぁ、北野武監督の次回作(「BROTHER」)はアメリカまで行って“やくざ”だもんね。北野作品は観たことないです!はは〜。 ・・・等々、他に名前の出た映画は「シックス・センス」「ファイト・クラブ」「トーマス・クラウン・アフェアー」「海の上のピアニスト」、そして、森田芳光監督の「黒い家」をさんざんこき下ろしてトークは終了。 ◆ナビィの恋 沖縄を題材にした作品は、どちらかというと今まで避けていました。沖縄を伝えるのは難しい。伝えたいことがあまりにも多すぎて、伝えようとすればするほど何も伝わらないということになる・・・。それが映画となるとなおさらで、そこに描かれる沖縄は沖縄でなくなる気がしていたからです。でも、この「ナビィの恋」は今までと違うウチナーもの、という気がしていて、予告編を見てからというものずーと心待ちにしていました。 理由の一つは、テーマ曲を大ファン!のマイケル・ナイマンが担当していること。それに、登川誠仁はじめ沖縄の芸能界の人々がチョイ役ではなく、まさに演じる側であること、などです。 さて、その内容は、“大琉球ミュージカル映画”の名にふさわしく、突然唄が始まったり、踊り出したり、島のどこにいてもサンシンの音が聞こえるという情景が描かれていました。 本島ではもう見られなくなった海の美しさ・・・。ブーゲンビリアの濃いピンクが情熱的な恋心をよく表しています。そして、日本語!の字幕スーパ−が出るたびに客席では笑いがおこり、アブジャーマー役の男が面をとり山里勇吉の顔が写ると拍手がおこる・・・。民謡等は隣のおばあちゃんの方がよく知っていて、遠慮がちに口ずさんでいる。 あぁ、こんな風に映画を観るものいいなぁ、と思いました。 最後のカチャーシー(サンシンの早弾き)の場面では、膝を叩いて調子をとってしまいますね。地方の公民館での上映もあるようで、この場面で踊り出す人がいるかもしれませんよ。アシュレイ・マック・アイザックのフィドル(ヴァイオリン)も素晴らしいです。 ホント、楽しかった〜。 −−追記(2001.2.10)−−−−−−−−−− 主人公のオジイが妙な英語混じりの喋り方をするでしょ? それがとてもユーモラスで笑いを誘う部分なんだけど、ああいうオジイ、オバアは沖縄では結構います。アメリカ世がありましたからね。文法論から入った私達の英語より、ブロークンであっても米兵相手に渡り合ってきたオジイやオバアの英語の方がはるかに通じる。そんな時代を生きぬいてきたオジイ・オバアの強さ明るさがあの映画のパワーなんだなぁ。 ・・・と、沖縄で生まれ育った者として、ついついそんなことを思ってしまいます。 沖縄産ということを意識していない映画のようで、やっぱりあれは沖縄の映画なんですね。 |