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私記:父の記録

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 12日、日曜日である。(われわれには日曜日は関係なかったが)事務局が閉まっているので大学当局との接触ができない。動きはないかと思っていたのだが、学外で思わぬできごと、これからの住民運動に大きな影響を及ぼしそうな問題が起きていた。

 中部一帯に施かれたオフリミッツについて当該地域の市町村長、業者は、米軍に対してその解禁の要請を続けていたが、12日コザ市長と同市オフリミッツ対策委員会は、市民に対する詫び状と「目下日本滞在中の瀬長亀次郎及び兼次佐一の両氏はコザ市の代表とは認めない。」との声明を発表した。市長の、市民へのお詫びというのは、中部学生大会に会場を借したことで市民に迷惑をかけた、ということのようであった。

 この声明は各方面に波紋を広げた。ついに米軍の巧妙で強硬な策謀の前に屈したことになる。このことは直面しているわれわれの問題(処分問題)にも影響を及ぼさずにはおかないだろう。
 暗然たる気分だった。
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