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私記:父の記録

琉大が燃えた日トップへ


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 大学側は学生の動きを警戒しつつ、以後の対策をとっていた。

 19日はあさ10時から各学部(文理、教育、農家政)ごとに教授、助教授、講師の全員が集められ、学部教授会が開かれた。この会議で学長から学生処分に至るこれまでの経過を説明、了承を求めたようである。会議は部外者を一切締め出しての秘密会であった。

 学生会としても懇談を申し入れたが受け入れられず、それでは傍聴させてほしいと強く要求したがこれも許されなかった。

 各学部教授会がどういう結論を出すのかが注目されていた。秘密会議で正式な発表はなかったが、伝えられる情報によると、教育学部は、今後処分された学生の将来について大学側が責任をもって途を講ずるのであれば、という条件づきで処分を了承したといわれ、農家政学部の態度についても、教育学部とほぼ同様であったという。

 文理学部は当初から当局の措置に対して強硬態度が伝えられていた。処分学生がすべて同学部であるということもあって、理事会の処分決定について強い不満を示す意見が圧倒的となり、その撤回を要求する請願文を提示することになったようである。そしてその作成にとりかかったが、学長はじめ当局の強い要望により取り止めて再び協議、結局この日は結論をみないまま、20日午前零時すぎ散会、改めて協議することになった。

 一方、問題の発展を極度に警戒していた当局は、18日発表した学生会声明を各新聞社に手渡したのは誰であったかについても調査する等、細かい神経を使い、処分決定を不当とする動きに対しては処罰をもって抑えるという方針をとっていた。もちろん声明文は当局の許可を得ていなかった。そのことも問題にしようとしていたのだろうか。あるいは予備的な調査であったのかもしれない。その後声明文に関しては特段の問題はなかった。

 大学当局は、処分発表と同時に「大学の内外を問わず学生の集会を禁ずる」という学長名の禁令を出したが、さらに学生課を通じて全学生の家庭に「当分の間、理事会の申出により学校の許可なき学生の集会は禁じてありますから参加させぬよう御配慮下さい」という文書を送るなど、手をつくして学生会の動きを封じていた。

 学生会は、特別委員会を中心に動いていたが、当局のきびしい監視の中、有効な対策がとれずにいた。どういう事情か、古我知会長は顔を見せなくなっていた。副会長の喜友名毅は体調がすぐれず休んでいたし、事務局長の喜舎場は本土滞在中で三役不在。中心部が欠けていた。喜舎場君が代表団よりひと足先に鹿児島経由で帰ってきたのは8月24日であった。鹿児島で事件の詳報はきいていたようである。元気だった。

 状況打開のための学生会自体の行動は手詰まりになっていたが、不当処分に対する抗議、学生会への支援、激励の来訪が絶えず、その応対に忙しかった。

 8月19日には在京の県人会から、琉大教授会には「今後学生処分に対し教授会の良識を期待する。」という要請電、学生会には「団結して処分学生を守れ。われら支援する」という激励電が届いていた。宮古教職員会では「単に一流大の問題ではなく、教育全体の問題であり、学問の自由も教育の自主性も期待できない。反米の名で学生の処分を強行しているが、その責任は学生だけが負うべきでなく、学長もその責任を負うべきである。」として、学長の辞任を要求する声明を発表していた。

 23日には伊江島真謝区の東江保区長、同地主代表阿波根昌鴻氏ほか数人の区民代表が大学を訪れ、琉大学生のみなさんにはたいへんお世話になった、この度の処分はとんでもないことだ、と学生会を激励。学長、理事長に対しては学生に対する厳罰処置を速やかに取り消すよう請願書を提出した。また伊佐浜の代表も学生を激励し当局に要請するとともに、土地協に対しても全面的な支援を要請している。(伊佐浜のみなさんのことは、喜舎場君が土地とり上げの際に知り合った野国のおばさんのことを書いている。)

 中部学生大会の会場使用(諸見小)で問題となった地元のコザ地区PTA連合会も処分撤回の声明を発表している。これらの請願書、声明文等を次に揚げておく。
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