仲間編



 「こんなとこで、まっ昼間っからエロビ鑑賞なんてやってんじゃねぇよ」
 しかも雁首そろえて。
 呆れを含んだハスキーヴォイスが空間を響かせるや否や、スクリーンの映像が消され、 真っ暗な室内に光が戻った。
 いっせいにつけられた照明に、室内の全員が眩しさに目を閉じた。
「何すんだ。てめえ」
 唐突に乱入してきた人物に次々に殺気立った声があがる。
 そのメンバーの中にいて、いち早く正体を見破った者がいた。
「よぉ、お前も見ねえ?」
 場の雰囲気にそぐわないのんびりとした、緊張感のない声が発せられる。 悪びれもせずに声の方向を振り向き、にかっと笑みを浮かべているのは、悪友であるところの篤志。 彼の台詞に、剣呑な空気を帯びていた場が、いっきに動揺にゆれた。
「あほか……」
 脱力感を覚える朱蘭を一斉に見つめる30対の瞳。
 何もこんな日にこんな場所で……。
 やけに悲しい気分になる光景に朱蘭はひとりため息をつく。 が、そのため息の理由は彼らには伝わらない。
「なんだよ。興味ねえのか? 変なやつ」
 激しく勘違いしている篤志の台詞に、頭痛を覚える朱蘭である。
「あーつーし……」
「なんだよ。結城さんかよ……」
「止めないでくださいよ」
 疲労感が増し、思わず近くの机に寄りかかる。
 そんな朱蘭をよそに、動揺を隠すようにわざと声をあげた面々は、平然としている篤志に続き、 強気な言葉を口にする。
 窓にかかった黒いカーテンを遮光のためにぴたりと閉めた視聴覚教室内。 机を教室の左右にずらし、中央に座るスペースを作り、 文字通りの被りつきで大スクリーンの前に陣取っている彼ら。
 暖房は効かないはずなのだが、野郎たちの熱気で暑かった。
 なんだかこいつらにあげるの、あほらしくなってきた……。
 持ってきた紙袋に目を落とし、少女は作ったことを後悔し始めていた。 が、渡さず持ち帰るのもなにやら悲しい気がする。
 渡したら渡したでまた別の後悔が襲ってくることは判ってはいたけれど……。
 朱蘭は大きく息を吸い、覚悟を決めると、大きくなりつつある声に、 仕方なくとどめの言葉を刺した。
「……まりあに見られたら、おまえら軽蔑されっぞ」
 発した言葉はそう大きなものではない。ないはずだったが、正確に彼ら全員の耳に届いたらしく、 いっきに場が静まりかえった。表情を固まらせる者さえいた。威力は絶大である。
 あまりの効果の良さに朱蘭自身が動揺するほどに。
「……あ、う、その……だな……」
 いちようにバツが悪そうな表情を浮かべる。 篤志さえも意味の繋がらない言葉の羅列の後、口をつぐんだ。
 いっきに場を盛り下げてしまった人物は、居心地の悪さにかすかに眉根を下げ、 ついで見事な黒髪をかきむしる。
 失言だと気づいた時には、場の空気だけではなく室温も下げてしまっていた。
 かすかに揺れる遮光カーテンが隙間風の存在を教える。
「……あ……えーと、ごめん。今のは言い過ぎた」
 ため息を押し流すかすかな風が頬を撫でる。
 さすがに今のはまずかったと、慌てて頭を下げても、気まずい空気はなかなか消えない。 チョコをあげる雰囲気ではなくなっている。
 どうにかして空気を変えなければ、と思ってもなかなか突破口は見当たらなかった。
 が、いつまでも無言で立ち尽くしているわけにもいかず、結局朱蘭は覚悟を決め、 持ってきた紙袋の中に手をつっこんだ。
 がさごそっと大きな音をたて始めた少女を、少年たちが怪訝な顔で見つめる。 集中する視線が背筋がくすぐったいほど恥ずかしい。
「なにやってんだ。お前」
「いや、その、おまえらにチョコを、な。どうせ一個ももらってないだろう」
 今の詫びも兼ねて……。
「お、彼女のか?」
 瞬間、瞳を輝かせた篤志の声に、他の少年も活気づく。
 早とちりの、膨らんだ期待が、動きを素早いものにした。 瞬時にして飛び起きると、ひとりが朱蘭からチョコの入った袋をひったくった。 みな一斉に紙袋の奪い合いを始める。
 思わぬ事態に呆気にとられ、制する暇もなく、 次々とセピア色の包装紙に包まれたチョコが少年たちの手に渡っていく。
「え? まりあさんのですか?」
「いや……ちが……」
 違うんだと言い募ろうとする朱蘭の声にも、まったくもって聞く耳を持たず、 血走った目で互いのチョコを追う。
「うっわ〜〜、気が利くなぁ」
「だから、あの……」
 なだめるように手を伸ばす朱蘭を、いくつもの殺気立った眼差しが遮る。
 あまりの迫力に、少女は言葉を喉の奥に押し込めるしかなかった。
「やっぱ彼女、俺のことが好きなんだな」
 勘違いの幸せに浸る声に横を向くと、うっとりとした目で梶がチョコを抱きしめている。 スクリーン横では踊り出すヤツらもいた。
 ごっつい顔の男どもが、幸せをかみ締めている姿は一種異様である。 天井を仰いでいるヤツもおり、彼の頬からは涙の線ができていた。
 その光景を複雑な表情で眺め、朱蘭はひきつった笑みを浮かべるしかなかった。
 頭からまりあの手作りだと思っているところが腹立たしい。
 だからといってそれを表に出すことも気が引けた。 真実を知ればどんな反応を示すか想像できるだけに、思い切って自分からだとは言い辛い。
「これはおれのっすよ」
「いや、僕のですってば!」
「てめえはちげーよ。すっこんでな」
「オマエも勘違いすんな」
「なにぃ」
 いまだチョコの取り合いをしている連中もおり、少女が躊躇している間に険悪さはより増していく。 今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうな……。
 意を決して割り込もうとしたその瞬間。
 すっかり親友手作りのチョコだと思い込んでいる彼らのひとりが、 包装紙を開けるのももどかしく、豪快に破り捨て、勢いよく口に放り込んだ。
「あっ、司!」
 思わぬ事態に驚きの声をあげると、中途半端に口を開いたまま、少年も朱蘭を見返す。
「ふぇ?」
 お互い見つめたまま、時が止まる。
 と次の瞬間。
「朱蘭! こんなところにいたのね。由暁さんが」
 薄茶の柔らかな髪を今日は両耳の後ろで束ねた眼鏡の少女が駆け込んで来た。
 由暁さんが裏で待っているから早く帰んないと、と続けようとして、 室内に流れる奇妙な空気に言葉を飲み込む。
「え……、あの、何、やってるの?」
 一斉に浴びさせれる31対の眼差しに、まりあは思わず後退さる。 防音製のドアが背中に当たり、これ以上は引けないことが判ると、 少女はおびえた目を集団の中心人物へと向けた。
「いや、あの、チョコを……」
 説明をしようと朱蘭が口を開いた瞬間、野太い悲鳴が空間を揺るがした。
「まりあさん!! ありがとうございます」
「オレのことをこんなにも思ってくれて!」
「いや、おれのことっすよね」
「貴方の気持ちは受け取りましたから!」
「いや〜〜、感激っす。生きてて良かった〜」
 轟音とともにヤンキー集団がまりあに迫る。 電光石火の勢いに、朱蘭は珍しく彼らを制することができなかった。
 剃り込み、眉ナシ、赤毛に三白眼。止める間もまったくなく、人相の悪い集団は親友を取り囲む。
 ドアを背に立ちすくむ親友の顔色からは血の気がひいている。
「……なんの、ことですか?」
 逃げ腰になる身体を懸命にとどめ、おびえを極力表に出さないように必死になっている姿が見て取れる。 気の毒なほど小さくなりながらも、震える声を搾り出し、親友はなんとか彼らに応えていた。
「チョコですよ! チョコ!」
「わざわざおれたちみたいなののために、ありがとうございます」
 一方、めったにない機会に有頂天になっている連中は、まりあの様子に気づかない。 爛々と目を輝かせ、彼女との距離を詰め、そして一斉に頭を下げた。
 予想外な彼らの態度に、まりあの目が驚きに見開かれる。 次いで輪の外にいる朱蘭に真っ直ぐな目を向けてきた。
 どういうこと?
 状況を把握できていない瞳が投げかけてくる問いかけ。
 それに応える前に、仲間たちによって親友の姿が隠される。
 説明するチャンスを失い、朱蘭は再び蚊帳の外で見守ることになってしまった。
 28対の眼差しが期待と興奮で見守る中、やがて親友の声が流れてくる。
「それって……みなさんが今、手にしているチョコのことですか?」
 恐る恐るといった体で口にした彼女の言葉に、28人分の頭が上下に揺れる。
「……それって……私じゃ、ないですけど……」
 彼らの反応に、ようやく状況が理解できたのか、人垣の向こうの声が申し訳なさそうに声のトーンを落とした。
 と同時にどよめく室内。
「まりあさん、じゃ、ないんですか?」
 がっかりした声があがる。
「違うの? ショック」
「え? そしたら誰だよ」
 誰からだよ。
 次々口にされる疑問がふいに途切れ、ゆっくりとこちらを振り返った。
 いっきに重くなる空気。流れる気まずい雰囲気。
「……もしかして……」
「え? まさか……」
 彼らの笑顔が一転、恐怖に引きつった。
「……そんなばかな……」
 おびえる28対の眼差しが、黒髪の少女に集中する。
「朱蘭が作ったもの、なんだけど……」
 決定的な爆弾を投下され、28人の動きが止まった。
 ごっくん。
 やけに大きく響き渡る嚥下する音。
「あ……」
「え? あ、司のやつ、食っちまった」
「おい! あ、司!! 司!! 大丈夫か!!」
 焦りの声があがった。同時にチョコを飲み込んだ当の本人は、ショックでその場に気絶する。
「司!! 司!!」
 好意を木っ端微塵に砕かれ、憮然とした表情でパニくる連中を見つめながら、朱蘭は固く心に誓った。
 こいつらにはもう絶対何もやるもんか。


 決意を胸に床を睨み付ける悪友の横では、のほほんとした表情で不恰好なチョコを頬張る少年がひとり。
 その隣では、最後の最後に止めを刺した少女が友人を心配げに見守っている。
「なんだ。富樫のじゃなかったんだ……」
「……言っちゃって良かったのかな」
「言わなきゃ、富樫が迷惑したっしょ」
「そうだけど……」
 うん、うん。形のわりには結構いける。
 相棒の心配をするでもなく、まったくの他人事と相手にしない少年を、まりあは横目で睨み付けた。 が、態度を改めるわけでもなく、彼は箱の中からまた一粒取り出すと、まりあの隣に立つ少年へと目を移した。
「おい、真太、お前も食えや」
 いけるぞ、これ。
 まだ幼さの抜けない弟分に差し出すと、彼は心配げな眼差しを朱蘭に向けたまま、首を横に振る。
「いいです」
「何? おまえも食べるの嫌か? 大丈夫だって、何かありゃ、アイツを訴えればいいんだし」
「朱蘭が頑張って作ったのよ。そんな言い方……」
「じゃあ、富樫も食べれば」
 ほい。
 真太を素通りしたチョコがまりあの眼前へと差し出される。
 受け取るべきか一瞬迷った彼女の視線の先、不安そうに見守る真太の瞳が映り、 少女は慌てて篤志からチョコをひったくった。
 甘くて苦いカカオの味が口に広がった。






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