神沼・服部編



 月に一度開かれる定例会。
 特にこれといって問題があるわけではなく、会はスムーズに進行し、閉じられようとしていた。
 持ち回りで本日のホスト役を任されていた服部は、和やかな雰囲気のまま終わりを迎えた会に、 安堵の息を漏らす。苦りきった表情を浮かべたまま。
 主だった面々が席を立ち、会場を後にする。
 その背中を眺めやりながら、服部は喉元へと手を伸ばした。
 彼にとっても締める機会の少ないネクタイ。 会の間中、息苦しさに何度も手をやったソレを勢いよくはずし、近くの椅子にひっかける。
 ぐるりと辺りを見渡すと、退出しかけているどの顔も、 普段着慣れないスーツ姿に窮屈そうな表情を浮かべていた。
 シャツのボタンを襟元までしっかり留め、ネクタイを締め、堅気の企業戦士を装ってみても、 自然とにじみ出る雰囲気は消せない。
 太い眉をかすかに緩め、鋭く尖った瞳に自嘲の笑みを浮かべる。
 形ばかり溶け込んでも隠せない違和感はくっきりと自分たちを浮かび上がらせているというのに。
 滑稽すぎて笑うことすらできないな、とまるで他人事のような感想を胸のうちにこぼし、 服部は冷め切った緑茶をいっきに喉に流し込んだ。
 一瞬の休憩後、指示を仰ぎに来た若い衆にいくつか指示を飛ばし、 立ち上がりかけた背にかけられた声。
「ご苦労でした。服部の」
 ただひとり、ねぎらいの言葉をかけてくれた人物を振り返り、服部は苦笑した。
 男は他の面々と同じく窮屈そうに襟元のタイに手をかけながらも、寸前で思いとどまり、 しゃくれた顎をさすっていた。
 奥方みたてなのだろうか。明るい茶色の上下は着せられたという印象が強い。
 いかつい顔に人を安心させる笑みを浮かべた神沼正一は服部と同じく総長結城朱蘭の教育係である。
 実直さと忠誠の深さで幹部にまで上り詰めた男。
 同じ役目の気安さから懇意にさせてもらってはいたが、 ストレートに感情を示す彼が服部は実のところ苦手であった。
「いえ。わざわざのお声かけ。痛み入ります」
 いやいやと相手も恐縮し、親しげに手を差し出した。
「この後何か御用がおありか?」
 人もまばらになった室内。囁くように話を切り出した神沼の背中越しに、 先ほどまで姿のなかった人影を認め、服部は眉を潜めた。
「ご存知か。神沼の」
 突然トーンが下がった声に、神沼の眉が下がる。
 視界の隅で唇の端を軽く歪め、困ったように笑う男を認め、 服部は彼が判っていて自分を呼び止めたことを知った。
「……申しわけねぇ。三代目がお呼びで」
「なぜ今頃、顔を御見せになる?」
 背筋をピンと伸ばし、軽やかな足取りでこちらへ近づいてくる女性は場の雰囲気に臆しない。 見慣れぬ人物の登場に怪訝な顔をする男たちの間を颯爽と通りぬけ、ふたりとの距離を縮める。
 女は長い黒髪を背中に流し、鮮やかな緋色のコートを羽織り、同色のサングラスをかけていた。 表情は見えないが、口元が悪戯を企んでいるこどものような幼い笑みを浮かべている。
「気紛れなお方ですから……」
 服部の横に並び、彼と同じく上半身が微かに傾く程度の軽いお辞儀をしながら発する男の言葉は、 どこか諦めに近い。
 貴方はあの人に甘すぎる。
 非難する目を向ける服部に対し、神沼は「本当に申しわけねぇ」と身体を小さく丸めた。
 そんなやりとりを拾ったのか、女性の肩が軽く震える。
 笑っているのだろう。が、それも一瞬だけで、女性はふたりの前にたどり着くと、 口元に浮かべた笑みを引っ込めた。
「……まずは……ごめん」
 チンピラ風情の神沼と紳士然とした外見の服部。 外見は違えど本質は同じふたりのおとこの前で、女性はいきなり頭をさげる。
「三代目!」
「何を……」
 ふたりの幹部に近づく不審者(朱蘭)を追い払うためやってきた舎弟たちを下がらせ、 3人だけになった室内で、ひっくり返った声があがる。
 ふいをつかれた謝罪の言葉に、二の句が告げないでいる服部をよそに、 神沼は穏やかに彼女の顔を上げさせた。
「……今日の会合に出なかったこと、怒ってんだろ?」
 ずれたグラスの間から覗く瞳が、伺うようにこちらを見上げる。 媚びているわけではない。強い光を放つ目は素直に謝罪の意を示していた。
 彼の顔をつぶした形となった今回の事態に、良心がとがめたか。
 躊躇することなく下の者相手に頭を下げ続ける主人─結城朱蘭を前に、 服部は白旗をあげざる得なかった。
 お飾りとして担ぎ上げられているとはいえ、総長は総長、 会合ぐらい顔を出してほしいと服部が願い出たのはつい先日のこと。 しかし結局、約束は果たされず、彼女のいないまま会合は始められ、終わってしまった。
 まぁ、彼女が参加したからといって何が変わるわけでもない。 むしろ面白半分にかき回されない分、気分的にも非常に楽でやりやすかったわけなのだが、 さすがにそれを本人にいうことはできない。
 先手必勝は彼女の策だと知りつつ、何のお咎めなしに許してしまうのは、 そんな後ろめたさもあった。
 主人である義仲朱蘭親子に「外見は正反対でもが中身は同じ似たもの同士」だと評され、 根本的な部分では彼女に甘いふたりの男は互いに顔を見合わせ苦笑を浮かべる。
「本当にごめん」
 わざとじゃないんだ。ただちょっと今日は日が悪くて……。
 サングラスを外し、土下座までしそうな勢いの彼女に、神沼が止めに入る。
「わかりました。ですから顔をあげてください」
 今回は仕方がなかったと諦めますが、次回からは、なしにしてくださいよ。
 そうでないと下の者たちに示しがつかない。
 それだけではない。公の場に出ることが少ない不真面目な13代目総長は、 現在でもあまりその顔を知られてはいない。 今のように、故意ではなくとも総長だと気づかずに彼女に危害を加えてしまう者もいるかもしれないのだ。
「努力する」
 釘をさす服部に視線を固定し、数分の沈黙後、少女は自信なげに言葉を返す。 はっきりとYESといえないところが彼女らしい。
 これも仕方がないと早々に諦め、服部はしかられ覚悟で現れた朱蘭を改めてみやった。
「自分に何か御用がおありで?」
 扉の向こうでやきもきしているであろう配下の者たちを気にしながらの問いかけに、 主人の顔が一瞬強張った。
「……いや、あの、用といえば用なんだけど……」
 とたんに歯切れが悪くなる。
「何かしでかしましたか?」
 渋い顔で彼女の顔を覗いた神沼からも一歩下がり、少女は背後にまわした両手を振り返る。 常の彼女らしくない態度が違和感を湧き上がらせる。不自然すぎる態度。
「三代目。外でみなが私を待っています。用件は速やかに願いますが」
 何か変なことでも企んでいるのか、と身構え、固い声を発した服部は次の瞬間、力が抜けた。
「いや、そうじゃなくてさ、今日バレンタインだろ」
 がらりと雰囲気を一変させた教育係の片割れに、焦ったように首を横に振り、 その勢いのまま少女は二人の前にふたつの箱を押し付けた。
 ひとつは五センチ四方の箱。もうひとつはやけに重そうな……。
「……?……」
 何を言われたかイマイチ理解ができないふたりは、受け取ることも忘れ、ぽかんと少女を見つめた。
「だから、ほら。ふたりにはいろいろと迷惑かけてるし……今日みたいに居心地の悪い思いをさせたりしてるし。 いっつも悪いと思ってるんだけどさ。この性格だし、面と向かって言いづらいし」
 そしたらまりあがバレンタインに便乗して言うなら言いやすいだろうって……。
 早口でまくし立て、ぐいぐいっと箱を押し付けてくる総長は、 珍しく年相応の子どもの顔になっていた。 困ったような怒ったような照れたような変な表情を浮かべ、頬を真っ赤に染めている。
 彼女の勢いに押され下がるふたりに、また一歩進み出て朱蘭は言葉を続けた。
「服部は甘いものがダメっていうからお酒にした」
 九州出身だから芋焼酎な!
「神沼にはアーモンドチョコ!」
 アーモンド、好きだろ。
 だから受け取れ!
 最後は強引に二人の掌に押し付け、朱蘭は2,3歩後ずさる。
 渡したはいいものの無反応なふたりの様子が気になるのか、 不安に揺れる瞳は何度も男たちの間を行き来する。
 呆然と、押し付けられたものと主人とを見比べる服部と、 身じろぎせず何度も目だけを瞬かせる神沼。
 やがて我に返った神沼が掌の小箱に目を落とし、疑問を口に上らせた。
「三代目がお作りになられたんで?」
 ぎょっとなった服部がしゃくれた顎の兄弟分と彼が手にしてる箱に目を移す。
 彼の視界の隅で肯定するように頷く主の姿が映り、服部の動きが止まった。
「……うん……とりあえず作ってみた……」
 たぶん、死にはしないと思う。ただちょっと胃とか腸とかは危ないかもしれないけど。
 語尾にいくにしたがって小さくなる言葉は自信のなさを表していた。
 なんとも不安な言葉を吐き出した総長を前に、しかし神沼が示した反応は、服部も、 渡した彼女自身も思いつかない意外なものだった。
「本当ですか? ありがとうございます」
 湿った声で叫ぶなり、男は勢いよく身体を二つに折った。
 いや〜〜感激です! 三代目自ら作ってくださるとは。
 信じられないことに、顔をあげた男の両頬からは一筋ずつ透明な線ができていた。
 涙を流すほどありがたいものなのか。
 彼女の台詞が小さすぎて男に届かなかったのだろうか。
 身体を壊すかもしれないと言っていたのは自分の空耳か?
 言うべきか言わざるべきか迷っている服部の眼前で、口をあんぐりと開けたままの総長の姿があった。
 予想外の反応の波紋は、服部だけではなくあげた当の本人にも波及しているらしい。 零れそうなほど大きく目を見張ったまま、少女は彫像のように動かない。
「三代目? どうなさったんです? 服部の。貴方まで」
 開いているのかいないのかわからないほど小さな瞳をきょとんとさせ、 神沼はためらうことなく抹茶色の包装を解きにかかる。 とめる間もなく丁寧に箱を開け、神沼はふたりの前でチョコをそのまま口に放り込んだ。
 スローモーションのような一瞬。
「あ!」
 同時に叫んだ二人の声と、 チョコをコーティングした不恰好なアーモンドが丈夫な男の歯に噛み砕かれるのが同時。
 噛み砕く音が静まり返った室内にやけに大きく響き……。
「うまい! 美味しいですよ。三代目」
 じっくりと味わっていた男の目が細められ、再び感動を表す。
 予想外の展開に未だ動けずにいるふたりを置き去りに、 神沼は次々と箱の中のチョコに手を伸ばした。
 芋焼酎の箱を手に、服部は意外な度胸と懐の深さを発揮する男を驚嘆の眼差しで長い間みつめる。
 それは服部の中で神沼への評価があがった瞬間だった。


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